井草八幡宮にある文華殿に10月に行ったので紹介したいと思います。
井草八幡宮「文華殿(ぶんかでん)」
毎年秋の「例大祭(9月30日・10月1日)」の期間中だけ、特別に一般無料公開される場所が境内に建つ宝物殿「文華殿(ぶんかでん)」で、井草八幡宮に代々伝わる貴重な社宝や歴史的な資料が収蔵・展示されています。
館内は写真撮影禁止のため、今回はメモしてきた貴重な社宝や地域の歴史民俗資料、そして神社にまつわるものを書きました。
外観は、貴重な重要文化財や数々の社宝を火災・湿気・災害から守るため伝統の校倉造りを模したコンクリート造りになっていて、地面からの湿気を防ぐために床面が一段高く作られています。
建物内に入るのに靴を脱いで室内に入ります。
中は、長方形のワンフロア(一室)になっていて、部屋の左側・右側の壁面に沿って、展示物が奥まで配置されています。
広すぎて迷うような博物館とは違い、真ん中の通路を歩きながら左右の展示を1周(約10〜15分ほどで)じっくりと見渡せる、 考古・社宝関連、縄文の重要文化財から武将の遺品まで神社にゆかりのある地域密着の宝物館としてコンパクトにまとまった空間です。
重要文化財「顔面把手付釣手形土器」や石器類
顔面把手付釣手形土器
入ってすぐのガラスケースに旧青物市場の建設現場から出土した、人の顔が付いた国指定重要文化財「顔面把手付釣手形土器」があります。
「顔面把手付釣手形土器」井草八幡宮の所有 Wikipediaより
重要文化財「顔面把手付釣手形土器」が発見された経緯は、1940年(昭和15年)に遡ります。
当時、國學院大學の学生であった宮崎芳樹(後の井草八幡宮宮司)が、神社に隣接する「新宿青果杉並支店(青果市場)(現サミットストア善福寺店・コジマ×ビックカメラ善福寺店)の建設現場において、縄文時代の住居阯を発見しました。
宮崎氏は、1940年(昭和15年)にこの建設現場で住居阯を発見・報告し、翌1941年に論文「杉並区新町発見縄文土器紹介」を発表
この発見が大きな契機となり、考古学者である大場磐雄らによる本格的な発掘調査(井荻八幡遺跡)が実施されました。
調査では5箇所の住居阯とともに数多くの縄文時代中期の土器が発見され、その中から、後に国の重要文化財に指定される「顔面把手付釣手形土器」が出土しました。
土器の特徴は、縄文時代中期の「勝坂式土器」形式で、釣手土器の機能を持ちます。
瞳型の釣手デザインは長野県・札沢遺跡の「動物装飾付釣手土器」と類似点があり、内側には火を灯したことによる煤の付着や熱による変色痕跡があり、儀式・祭祀の道具であった可能性が高いとされます。
見た感じは、両掌に収まるくらいのサイズで、中は少し黒っぽく変色し壊れた形跡もなくそのままの形で残っているのは奇跡的だと思いました。
縄文中期の勝坂式・加曽利式土器、弥生土器、須恵器、石鏃(やじり)など
1937年(昭和12年)、井草八幡宮の境内地付近から縄文時代から鎌倉時代にいたる各時代の土器や石器類が発掘されそれらが展示されていました。
縄文時代中期の立体装飾が特徴の「勝坂式土器」や、整った渦巻き模様の「加曾利式土器」、狩猟に使われた「石鏃(やじり)」
古墳〜平安時代の薄手で実用的な「弥生式系統をひく土器」
古墳〜鎌倉時代の高温で焼かれた陶器「須恵器(すえき)」
これらの発見は、井草八幡宮の境内一帯が、数千年の長きにわたり途切れることなく人々の生活や祈りの舞台であったことを裏付ける貴重な証拠となっています。
その他の社宝展示品
武将たちの信仰(源頼朝・太田道灌ゆかりの武具)
かつて高名な武将たちが戦勝祈願に訪れた歴史を感じられる室町時代から幕末にかけての貴重な軍事資料が並びます。
• 太田家馬印(社伝による)
軍旗の先端に取り付けるためのもので、大きな「鈴」の形をした珍しい大型の馬印です。
• 武具の数々
室町時代の「六十二間筋兜(ろくじゅうにけんすじかぶと)」や「色々威腹巻(いろいろおどしはらまき・鎧)」をはじめ、太刀、大斧、火縄銃、軍旗などがありました。
中には、実用的な武器としての機能美だけでなく工芸品としての価値のあるものもあるように思いました。
地域と歴史を伝える一流絵師による絵馬や掛物
江戸時代から明治時代にかけて奉納された絵馬や掛物は、地域の伝説や当時の産業を伝える一級の歴史資料です。
• 板絵着色遅ノ井伝図(1840年奉納・杉並区指定有形民俗文化財)

天保11年に上井草村の本橋氏が奉納した「板絵着色遅ノ井伝図」井草八幡宮サイトより
源頼朝が奥州征伐に向かう途中、当地で水不足に困り、弓の端(本筈)で地面を穿ったところ、水の出が遅かったことから「遅の井(善福寺池の源泉)」と名付けられた誕生秘話が描かれています。
当時の農民や講中が、江戸の高名な浮世絵師(あるいはその一派)である英泉(銘に渓泉とあり)に地元の英雄伝説の作画を依頼し、神社へ奉納したとされます。(AI概要による)
源頼朝の躍動感ある姿や湧き出る水の表現が生き生きとして、英泉こと渓斎英泉だとすれば、英泉の歌川広重との合作『木曽街道六十九次』を見に行くので、楽しみです。
• 板絵着色榛名山社頭図(1829年奉納・杉並区指定文化財)

「板絵着色榛名山社頭図」井草八幡宮サイトより
群馬県榛名山を信仰する井草村の人々が文政十二年(1829)に奉納したもの
160×121cmの大画面に当時の榛名神社の社殿や参拝者の姿が力強い筆勢で描かれて、江戸期の信仰形態や風俗習慣を知るうえで貴重な資料です。
• 明治17年に火防祈願として奉納された絵馬の製茶図(1884年奉納)
「八幡宮」と寛永通宝を象った文字が描かれており、旧井荻村で当時盛んだった製茶産業(一部は狭山茶として売買)の歴史を今に伝える貴重な資料で、この辺りで製茶産業が盛んだったことを初めて知りました。
• その他の美術・資料
弘化4年の境内を描いた「社頭図(1847年)」、室町時代の「三社託神号掛物」、板絵神功皇后応神天皇武内宿禰(1815年)、板絵着色鴻門会図などです。
英泉の絵にしても、「榛名山社頭図」の細部まで描き込まれた社殿の建築や参拝者たちの衣服、遠近感のある構図を見れば絵画として鑑賞する価値もがあるのではないかと思います。
宮司家に伝わる仏像
神仏習合時代の歴史を色濃く残す、宮司家伝来の尊像(木造不動明王像、阿弥陀如来立像)がありました。
おわりに
普段は見ることができない井草八幡宮の「文華殿」は、縄文時代の原始的な祈りの形から、武将たちの信仰、そして明治・大正・昭和を生き抜いた地元の人々の暮らしの足跡まで詰まった場所でした。
例大祭に足を運ぶ際は、賑やかな出店や迫力ある神楽だけでなく、是非この文華殿の展示を見て、歴史を肌で感じて下さい。
【出典・参考文献】
- 「杉並区新町発見縄文土器紹介」(『考古学雑誌』第31巻第7号、1941年7月発行)宮崎芳樹
- 『日本考古学・神道考古学論考』(國學院大學考古学調査記録 / 井荻八幡遺跡発掘報告)大場磐雄
- 文化庁・文部科学省「文化遺産オンライン」登録データ(国指定重要文化財)
- 「顔面把手付釣手形土器」文化財・考古資料
- 井草八幡宮 公式サイト「例大祭・文華殿(展示館)公開案内」
- Wikipedia 「顔面把手付釣手形土器」「渓斎 英泉」
- 「すぎなみの地域史Ⅲ 井荻」杉並区郷土資料館ほか







