井草八幡宮探訪・宮司様から聞いた歴史やちょっとした裏話がおもしろかったです。

春に井草八幡宮の宮司様から境内を歩きながら直接伺った貴重な歴史やちょっとした裏話です。

井草八幡宮については↓

源頼朝も祈願した「井草八幡宮」

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1. 境内配置の変遷と「頼朝の松」の血統

今でこそ美しく整えられている境内ですが、昔と今では社殿や祠の場所が大きく異なっていました。

始まりは「春日神社」でした。

井草八幡宮

現在、手水舎の奥の左側にひっそりと鎮座している「春日神社」。実はこれが、井草八幡宮の元々の姿であり、この地の信仰の原点なのだそうです。

かつての拝殿「大井殿」の場所

井草八幡宮

現在の拝殿がある場所は、昔の配置とは異なります。かつては全く違う場所に「大井殿(おおいでん)」と呼ばれる拝殿がありました。

ちなみに、現在の拝殿が建っている場所は、かつては松の前にあたる位置でした。

頼朝の松の正統なる血統

頼朝の松

頼朝公お手植えの松

境内にある源頼朝公ゆかりの松。かつての初代の松は、現在の松の周囲にある燈篭のあたりにそびえ立っていました。

現在の松は、その初代の松から採れた「松ぼっくり」の種から大切に育てられたもの

正真正銘、頼朝公の時代からの血統を受け継いでいる奇跡の松なのです。

また、かつての北参道は、現在の参拝者から向かってより「中側(内側)」を通るルートになっていました。

2. かつての広大な境内と地域(青物市場)のつながり

現在の約1万坪でも圧倒的な広さですが、昔の敷地はさらに広大で、地域の生活そのものと密接に結びついていました。

青梅街道まであった境内

かつては、現在の「青梅街道」が走っているあたりのすぐ手前まで、すべてが井草八幡宮の広大な境内敷地でした。

現在の「くら寿司」の横を通る区道のあたりを含め、昔は境内の敷地を使って活気あふれる「青物市場」が開かれていたそうです。

そのため、昔のバス停の名前は「青物市場」や「井草八幡裏」となっていました。

しかし、神社の威厳を守るため、当時の総代(氏子代表)の皆様が熱心に働きかけたことで、現在の「井草八幡宮」(東参道の鳥居付近)という誇り高い停留所名へと変更された歴史があります。

「井草八幡裏」(北参道入口付近)というバス停もあります。

一番大きな鳥居はどこ?

東参道の鳥居

東参道の鳥居

境内のあちこちにそびえる鳥居ですが、実は正面のように見える場所ではなく、「東参道の鳥居」が境内の中で一番の大きさを誇っています。

境内には、東日本大震災の激しい揺れによって倒壊してしまった鳥居があります。

倒壊してしまった鳥居

倒壊してしまった鳥居

倒壊してしまった鳥居の説明版

自然災害の爪痕を残す一方で、境内にある「岩間の神」の赤い門(朱塗りの門)は、これまでに3回も丁寧に塗り直しをされ、美しく維持されています。

この「朱色」には、魔や悪いものが神域に入り込まないようにするという、大切な結界の意味が込められています。

3. 社殿の奥深さと、行き場をなくした末社たち

コンクリートに守られた「本殿」の神秘

拝殿のさらに奥に目を向けると、頑丈なコンクリート製の建物が見えます。

実は、この建物の中に神様が御鎮座されている「本殿」が大切に納められています。

周囲にある末社(小さなお社)と比べても、4〜5まわりは大きい圧倒的なサイズ感。物理的な距離だけでなく、精神的にもまさに「奥が深い」神聖な空間です。

昔はこの本殿は外に露出していましたが、現在はコンクリートの建物で保護される形になりました。

そのため、普段は遠くから拝むことしかできませんが、お正月と永代祭のときだけは、すぐ近くまで行って参拝することができるそうです。

本殿の建築そのものは非常にシンプルで、華美な飾りの彫り物なども少ない、厳かな造りになっています。

行き場をなくした末社たちの移設

井草八幡宮

境内には、お稲荷さんや三峯神社といった末社が並んでいます。

実はこれらのお社、元々は境内の中の全く別の場所に離れてポツンと佇んでいたそうです。

時代の変化の中で、そのままでは「行く場所(維持する場所)がなくなってしまう」という危機があり、現在の場所へと移設され、大切に集められることになりました。

中でも「お稲荷さん」は、かつてこの周辺に多く暮らしていた農家の方々から、五穀豊穣の神様としてとりわけ深く信仰されていたとのこと。

お社の移設の歴史一つとっても、井草の街の発展やかつての農村地帯だった頃の地域の暮らしぶりが見えてきます。

4. 神職・お祭りのリアルな舞台裏

井草八幡宮例大祭

例大祭

普段は見られないお宝や、神職の皆様のちょっとした苦労話も伺うことができました。

太田道灌の遺品と流鏑馬の弓

源頼朝公の武勇にあやかってこの地で戦勝祈願をした太田道灌

彼にゆかりのある宝物殿の「太田家の旗」や、伝統神事である「流鏑馬(やぶさめ)」で実際に使われる弓などは、神殿の近くに大切に保管されています。

これらが一般に公開され、私たちの目に触れるのは、基本的には秋の「例大祭」の時などに限られます。

ペリー来航の年の狛犬と「禁足の森」

井草八幡宮

境内に佇む狛犬をよく見ると、奉納されたのは「1853年(嘉永6年)」。まさに黒船・ペリーが来航した歴史的な年のもので、非常に古い歴史を持っています。

また、境内には人が絶対に足を踏み入れてはならない神聖な「禁足(きんそく)の森」が存在し、武蔵野の原始の自然が今もそのまま守られています。

熱気あふれる「井草の太鼓」

井草八幡宮の祭りといえば、太鼓(左)と神輿(右)です。

太鼓祭りの際、向かって右側には、伝統の「井草囃子(いぐさばやし)」の奏者たちが乗り込み、祭りの熱気を最高潮へと盛り上げます。

参拝の作法と「クーラー」の導入

井草八幡宮の参拝作法は「2礼(2拝)2拍手1礼」が基本です。全国の地方によって神社の作法は様々ですが、ここではその平均を取った形になっているそうです。

ちなみに近年では、なんと拝殿にクーラーが導入されるという、時代の変化に合わせた現代的なアップデートも行われています。

夏の神職の隠れた苦労

井草八幡宮

神職の皆様が身にまとう美しい「狩衣(かりぎぬ)」。

夏場は涼しげな麻の衣に衣替えするため、参拝者からは風情があるように見えますが、実際に着ている側としては「とにかく非常に暑い!」とのこと。

伝統を守り、神様に奉仕するお仕事の、体力的にも大変な舞台裏を垣間見ることができました。

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最後に

井草八幡宮

宮司様から直接伺ったお話の数々は、どれも井草八幡宮の歴史とこの地域の人々の暮らしが地続きであることを教えてくれるものばかりでした。

次に境内を歩くときは、ぜひ「頼朝の松の燈篭」や「コンクリートの本殿」「末社のお稲荷さん」、そして「1853年の狛犬」に注目してみて下さい。

※メモ書きと後で調べたものを追記してまとめてあります。

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ABOUTこの記事をかいた人

2017年現在57才 50代になって体に色々な変化が起きました。 アレルギー、腰痛、変形性膝関節症、脂漏性皮膚炎、手湿疹、眼精疲労、胃腸の不快感、開帳足等々一気に吹き出しました。 このほかに病気以前、未病のものもあるので 自分の体を見つめ直した生活を考えています。 健康、医療、病気、楽しいことも含めた日常生活を綴っていきたいと思います。 認定医療コーディネーター、ホームヘルパー びわの葉療法インストラクターの資格保有