写真は、私が、譲り受けた義母が織ったマフラーとブラウスです。
2年前に義母が突然亡くなり、私と主人が義母の住んでいた家に引っ越すことになりました。葬儀が終わると、義母の遺品整理と引越しの準備が始まりました。
義母が亡くなるまで、子どもが義母と一緒に住んでいたので、私達夫婦が賃貸のマンションを引き払い、子どもと一緒に住むことになりました。義母の遺品整理と引越しを業者を使わず自分達で行ったので、そのときのことをまとめました。
遺品整理で、行ったこと
義母の遺品整理に加え、私達が引っ越しをするためには、1軒の家(義母の家)にもう1軒分の荷物や家財道具(私達夫婦の)を入れなくてはなりません。
義母の家に2軒分の荷物や家財道具を入れる空間がないので、1軒分の荷物や家財道具を処分しないとなりません。
義母が住んでいた家では、子どもが住んでいたので主人が、先に子どもと生活を始めました。引っ越しが終わるまで私は、単身マンションでの生活です。
家賃や光熱水費など掛かる二重生活となるので、引っ越しを早めに終わらせなくてはなりませんでした。義母の遺品の整理と1軒分の荷物や家財道具を処分する作業を並行して行いました。
分別、処分
まず、45リットルのビニール袋を沢山用意することから始めました。分別したものをビニール袋に入れていきます。45リットル以上の袋はぎっしり詰めると重たくなるので、私でも運びやすい45リットルの袋にしました。
ごみにするものを可燃、プラ、不燃に分別します。捨てるのか残すのか、処分の判断がつかないもは、専用の袋に入れていきます。この他に段ボールの箱を用意して、残すものを入れます。
週に1度、義理の妹が分別作業に加わり、必要なものを見てもらいました。分別して、捨てるものはどんどん捨てます。
家電、家具の処分
両方の家にある家電や家具はどちらか1つを選んで、処分しました。
電子レンジ、ガス台、冷蔵庫、洗濯機、エアコン、食器棚、テーブル、照明器具、トイレのウオシュレット、鍋、炊飯器、食器、調理器具など。同じものが2つあっても仕方がないので品質のいいもの、使い勝手のいいものを残し、処分しました。
冷蔵庫、洗濯機、エアコンは、近くの電気屋に電子レンジ、食器棚はリサイクル業者に頼んで処分してもらいました。照明器具、ウオシュレット、鍋、炊飯器、調理器具は粗大ごみに出しました。
一枚板の無垢材の和机は、粗大ごみとして外に置いていたら欲しいという人がいたので、譲りました。
着物、桐箪笥
義母の着物や小物、桐の箪笥は、義理の妹や叔母(義母の妹)が形見として引き取ってくれました。
貴金属、貴重品
主人と義理の妹で、整理しました。
手紙、書類、写真、アルバム、雑誌書籍類、家計簿
数十年分の手紙や家計簿、写真やアルバムの整理は、主人にしか出来ないことなので、主人が整理しました。
マット類、座布団、布団
私がアレルギーなので、マット類は処分しました。私と主人が変形性膝関節症で、椅子とテーブルの生活になったので、畳に座ることがなくなり、和室用の机と座布団も処分しました。
衣類
未使用のパジャマや靴下など私が、譲り受けました。
義母の趣味の作品
洋裁、編み物、木彫り、絵画、織物など趣味の多彩な義母が作った作品が、たくさんありました。亡くなる直前まで、作っていて作りかけのものもありました。
布地、毛糸などの材料、画材や裁縫道具、ミシン、折り機など処分しました。木彫りの作品は、義理の妹や叔母や親せきの方が、形見として引き取ってくれました。
義母の作ったセーターや洋服は、シンプルで生地も仕立てもよく、不思議と私の体にぴったりと合いました。特に既製品だと袖丈が長過ぎることが多いのですが義母の作ったブラウスやジャケットなどは、どれも私の袖の長さに丁度合うものでした。
このように私の体にぴったりな上着類は、ほとんど譲り受けました。使っていない毛糸は選別して、残してあります。
2012年亡くなった義父の遺品
義母より先に亡くなった義父の遺品も1割くらいありました。衣類、趣味の川柳や書道の作品、アルバムは、主人が整理しました。
仏壇
義父が亡くなったときに義母が、仏壇を購入しました。キリスト教徒の義母が亡くなって、主人の意向で仏壇のをやめて祭壇を大工さんに作ってもらいました。仏壇は業者に頼んで、「魂抜き」をしてもらい処分しました。
食品類、食器、鍋、雑貨
食材など食べれられるものは、家族で頂きました。義母が、たくさん作った梅干は、とても美味しく、今でも食べています。
無水鍋は、義理の妹のもとにいき、それ以外の鍋は、処分しました。
義母は、食器に凝っていたのでたくさんありましたが、使う食器以外処分しました。引き出物の皿や茶器類も処分しました。雑貨などは、使うもの以外、不燃や可燃ごみに出しました。
やり終わって思ったこと
義母の納骨が終わってから、遺品整理を始め私達夫婦の家財道具一式が今の家に収まるまで4か月掛かりました。4ヶ月で、軽トラック20台分くらい家財道具や遺品を処分しました。
遺品整理を自分達で、行ってよかったこと
・費用が少なくてすんだ。
遺品整理は、業者を頼まずほぼ自分達で行ったので最小限の費用ですみました。引っ越しも私達が住んでいたマンションと義母の家が目と鼻の先にあったので、主人と私で少しづつ荷物や家具を運びました。テーブルや箪笥も主人が、運びました。
家電や家具、仏壇の処分の料金、粗大ごみの料金、箪笥や着物などの送料、ごみ袋の料金が掛かりましたが、遺品整理や引っ越しを業者に頼めば大変な費用が掛かったと思います。
・心の整理が出来た
業者を頼まないことで、義母の遺品をひとつひとつ「いる」「いらない」に分けることにより気持ちの整理が、出来ました。
義母は、旅先で突然亡くなったので、その死をすぐには受け入れることが出来ませんでした。義母が生活していた家のものを整理しながら遺品に向き合うことで、供養の一環として時間を掛け、少しずつ折り合いをつけていくことが出来ました。
・遺品にまつわるエピソードを聞くことが、出来た
義理の妹や叔母(義母の妹)とも遺品の整理をやり、遺品にまつわる義母のエピソードを聞くことが出来、今まで知らなかった義母の人柄を偲ぶことが出来ました。
と同時に、義母の遺品の周りに人が集まることで、故人を偲ぶことも出来ました。
遺品整理で、困ったこと
・大切なものも処分したかも
実際に自分達で行う遺品整理は、予想以上の労力とエネルギーが必要です。私達夫婦の荷物と膨大な量の遺品を前にして、どこから手をつけていいか途方に暮れることもしばしばありました。
夫婦で仕事をしながらの遺品整理は、精神的にも肉体的にも疲弊するので、判断力もなくなってきます。何が必要か不要かの判断が鈍ってくるので、大切なものも処分してしまったかもしれません。
限られた時間で、遺品を整理しなくてはならず、迷うと手が止まってしまい時間ばかりが過ぎます。そんな焦りもあったので、大胆によく見ず捨ててしまったものもあったと思います。
・使えるものも捨ててしまった
新婚生活でそろえた電子レンジ、食器棚、照明器具、ガス台は、十分使えるものでした。使っていない食器類、鍋なども捨ててしまい勿体なかったです。
このように使えるものをヤフオクなどネットオークションで売ればよかたったのですが、遺品整理に負担が掛かり過ぎて、時間的にも精神的にも余裕がありませんでした。
業者に労力的なものを任せていれば、捨てずに有効活用出来たものもあったと思います。
・思い入れのある分、進まない
膨大な量の書類や手紙や写真は、段ボールに入ったまま未だに納戸に保管してあり、手つかずのままです。
主人は、故人に思入れのある分、なかなか手がつけられないのだと思います。
自分達で、遺品を整理して達した境地
遺品整理は本来、遺族が失敗のないようにじっくりと故人を想い描きながら、時間を掛けて整理するものだと思います。
そうすれば故人の生前の思いも叶い、供養されるのだと思います。そういった意味で、業者に任せてしまうより、自分達で行った方がいいと思うのです。
しかし、亡くなった悲しみや膨大な遺品を前にして、判断に迷うものもたくさんあります。そんなものも少し時間を置いて、判断が出来るようになるまで置いておくのが一番いいのですが、遺品を置いておく部屋などの空間がなく処分してしまったものもありました。
トランクルームを借りて、移す方法もありましたが、運ぶ手間や費用も掛かります。
ところで、自分が、亡くなったらとどうなるだろうか。
実家にアルバム、山の道具、本、衣類など置いたままの私のものがたくさんあります。何もしないまま私が亡くなったら、業者を頼んで、事務的に処分しなければならなくなります。
生前、元気なうちに整理を始めなくてはなりませんが、思い出の品など捨てられないものが多過ぎます。
アメリカのコレクターは、収集したものを50代60代になったら全部そっくりオークションに出して手放すそうです。あの世に持っていけないからです。
テレビで、ある70代の時計のコレクターが、億近いお金を掛けて収集した時計や時計を飾っている家を年齢的にそっくり手放すと言っていました。
自分の家にあった期間、愛情を注げたこと、一緒に過ごした時間が、自分にとって幸せだったということで、潔いと思いました。
その潔さを私も見習い、「思い出」のみを心に残して、執着している「モノ」(ガラクタばかりですが)を処分しなくてはと思うのですが。
まだ、コレクターのような境地には達していないです。