富士山は嫌い
20年以上前に富士山に登り、富士山に幻滅してしまった。幻滅したのは
山小屋の食事に失望
山小屋の夕食はカレーだったような記憶がありますが、朝食用のお弁当とともにテンションの上がるものではなかったです。
富士山で、美味しいものが食べられないと分かっていましたが、自分でインスタントラーメンでも作った方がよかったです。でも、山小屋の缶ビールは美味しかったです。
空気薄くて高山病になり頭が痛くて、下りるまで体調が悪かった。
元々飛行機や車で、一気に標高の高いところに行くと気圧の変化に順応出来ない体質で、必ず耳鳴りや頭痛に悩まされます。富士山も空気が薄くて、酸素が少ないため標高に体が慣れずに苦労しました。
高山病の症状が緩和されるならと携帯用酸素(スプレー缶)を山小屋で購入しましたが、その場しのぎでしかありませんでした。生あくびばかり出て、頭もポーッとした単調な登りは辛かったです。
山小屋が雑魚寝状態で、寝られない。
徹夜で登る人や夜中のうちに出発する人、雑魚寝の山小屋の起床時間はまちまちで、荷物を整理する音や話し声やイビキで寝ませんでした。出発する深夜2時位まで、一睡もせず起きていました。一緒に登った仲間も、熟睡出来なかったようで、下界の街(御殿場あたり)の灯りを見に小屋の外に出る人もいました。
渋滞
登山道は、ご来光を頂上で見る人の行列で大渋滞です。夜明け前の、ヘッドライトや懐中電灯の明かりが連なる登山道が、富士山の夏の風物詩なのでしょう。ヘッドライトの行列の中で、ゆっくりと登れるのはいいのですが、山の上でも都会並み人混みを経験するなんて、げんなりとしてしまします。
緑が少なくて紫外線が強い。
5合目からは、森林限界を超えているので、樹木や緑がほとんどないです。草木一本生えていない荒涼とした登山道をただ黙々と登って行く苦行が、しばらく続きます。
緑や花を眺めながら、ときには鳥や動物などに出会える楽しみが山登りの魅力ですが、土や砂がむき出しの状態では心が殺伐とします。標高も高いので、夜が明けて太陽が出ると強い紫外線の洗礼を浴びます。紫外線を遮る木もないので、私はつばの広い帽子にアラブ人みたいにバンダナを顔に巻いてひたすら陽に焼けないように歩きました。
観光客のような服装の輩がいる。
観光地は、車で入れる5合目まで。5合目から先は、登山になるので登山の服装や装備で登らなくてはなりません。5合目の延長で、軽装で登っている登山客もちらほら見かけました。
夏は天気が安定しているので、大事に至らないことが多いのですが…。7月の登山シーズン、行楽地と変わらない人の多い富士山では、新田次郎が描く氷点下20度、強風の厳冬期の富士山はもちろんのこと、草木も生えない過酷な気象条件が隣り合わせにあることを気づきもしないのでは。軽装で、山に入る人が多い尾瀬と同じかと。
須走砂埃。
下山は、須走ルートです。砂の斜面を駆け下りて行く登山道ですが、膝がガクガクとします。アラブ風に巻いたバンダナを固く結び直して、黙々と修行僧のように砂埃の中を下りて行きます。
登山道は馬糞だらけ。
五合目が近くなると、疲れた登山者を乗せるための馬が馬車を引いて歩いています。登山道は、馬の糞が落ちていているので踏まないように気を付けて歩かなくてはなりません。高山病による頭痛のことも忘れるほどゴールを目の前にして、心が晴れやかになったものケチがついてしまいました。
嫌いは好き
埼玉に住んでいた子どもの頃は、冬になると富士山が見える高台が小学校の通学班の集合場所でした。空気が澄んだ冬は雑木林の葉が落ち、木々の間に見える雪を抱いた富士山が毎朝出迎えてくれました。
子ども心にいつでもそこにいてくれる、そこにあるのが当たり前の山が富士山でした。毎年、小学校の夏休みに従妹たちのいる愛知県の母の実家に遊びに行くのですが、東海道新幹線から見える富士山(当時は、三島から静岡駅の間)を見るのが好きでした。
帰りは、暗くなっていることが多いので見ることは出来ないのですが、上りは(行き)富士山が見える右側の席に座るようにし、蒼い富士山が後方に流れ去るまで飽くことなく眺めていました。雲がなく長い裾野が見えたときは、幸先(今回の旅)がいい予感がしたものでした。
この思い出もあり、私にとって表富士は、新幹線から見る山容全体が見える静岡県側から見る富士山です。
当たり前過ぎて気が付かなかったその存在感の大きさ
40年近く埼玉や東京で過ごし、富士山に親しんでいたせいか、遠く岩手に移り住んでからは富士山を見ることが出来ずに寂しかったです。
岩手の富士山は、通称「南部富士」の異名を持つ岩手山。岩手山もとても美しい山ですが、子どもの頃から見慣れた山はやはり、本家の富士山です。このとき初めて、生活圏の中に富士山がないという寂しさを味わい、東京から離れて暮らして、ちょっとしたホームシックに掛かっていたのかもしれません。
当たり前過ぎて気が付かなかった富士山の存在感の大きさを改めて感じたのです。
富士山が見える安心感
東京に住んでいる今、以前ほど見える場所は少なくなりました。私は、見たことがないのですが、主人の話では地元の駅のホームからも富士山を見ることが出来るそうです。いざとなれば東京タワーやスカイツリーに登れば富士山を見ることが出来るので、いつでも見られるという安心感があります。
30代の頃、台風で大きな被害にあった富士山の国有林のボランティアで、森林復元するための下刈り作業を手伝ったことがあります。将来や行く道に迷いのあった30代に富士山でのボランティア活動は、人生のちょとした契機になりました。私の背中をほんの少し押してくれ、その後の指針を示してくれました。
遠くから眺めて思うもの
富士登山については辛口になってしまいましたが、頂上からの360度の展望は地球そのものを感じさせてくれました。雲海から上る御来光も、富士登山の苦行を帳消しにするほどの価値があります。
まあ実際に富士山に登ってみたら、結婚したら内情が見えてしまいがっかりしたといったところでしょうか。私にとって富士山は、子どもの頃の思い出や思い入れなどもあり、少し離れたところから憧れの君として見ているのが一番いいようです。