蔦屋重三郎
特別展「蔦屋重三郎 コンテンツビジネスの風雲児」 (東京国立博物館)へ行きました。
書物問屋(出版業者)で浮世絵版元の蔦屋重三郎(1750~1797年)こと蔦重は、「浮世絵」界隈で耳にする名前だったが、浮世絵だけでなく黄表紙、洒落本にも関わり、狂歌に浮世絵の挿絵を入れた「狂歌本絵本」を出版して人気を博したことを知りました。
蔦重主役の大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」(NHK)も見ておらず展覧会やネットなど色々な情報を寄せ集めてその人物像に自分なりに迫ると

『箱入娘面屋人魚(部分)』山東京伝の蔦屋重三郎
現代でいうと大衆文化を仕掛けビジネスとして成立させたプロデューサー秋元康や同じ出版の分野で売れるコンテンツを嗅ぎ分け、著者のキャラも含めて「仕掛ける」編集力や発想は、幻冬舎の見城徹に似ているような気がします。
浮世絵は、江戸時代に大量に生産された版画なので国宝には指定されていないものの日本美術史のみならず展覧会に行くと「浮世絵に影響を受けた」というワードを目にすることが多々あり、海外でもフランスの印象派画家、ゴッホ、クリムト、ロートレックなど葛飾北斎や安藤広重も含めて浮世絵に影響を受けた画家が多いです。
もし、蔦重がいなかったらモネやドガ、ゴッホやクリムト、ロートレックの絵の表現も違っていたとは言い過ぎかもしれないが、まず、浮世絵師の東洲斎写楽は蔦重がいなかったら存在しなかったです。
北川歌麿は、蔦重だけでなく色々な版元から声が掛かったので蔦重がいなくとも売れっ子絵師になっていが、やはり蔦重との出会いで「大首絵」は生まれ、蔦重の伝手で吉原に出入り可能になり「青楼十二時」のような遊女の日常を描くことが出来たのです。
(歌麿作品に遊女が多く登場するのも女性の緻密なしぐさや表情を捉えた作風も吉原に見識の深い蔦屋重三郎の元に身を寄せていたから)
また、吉原の遊女や文化人と交流を持ったことで知見を得て歌麿の後の活躍もあったと思います。

会場風景 蔦重が吉原に構えた本屋「耕書堂」の内部 「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」(NHK)のセット
第1章にあったビジネスの成功のきっかけとなった吉原のガイドブック「吉原細見(よしわらさいけん)」は、吉原で生まれ育った蔦重が吉原との強力なネットワークを生かし様々な文化人とも横断的に交友していたから生まれ
蔦重は、黒子・影の仕掛け人として本来ならあまり表に出て来るような立場ではなかったのに関わらず、200年の時を経て大河ドラマの主人公に抜擢されたり、現代の「SUTAYA/ツタヤ」も蔦重にあやかって名前が付けられたというし、私にのところまでその名が届くのは、その功績とともにあまたの一流クリエーター達をくどき落としたたぐい稀な交渉術や社交性を持ち人たらしで懐深く人間的にも魅力があったからと想像します。
会場にあった「吉原細見」は、他店の細見と比べシンプルで見やすく丁数を減らしてコストダウンに成功し庶民でも手に取りやすい価格になったことから消費者目線も考慮した蔦重の経営者としての手腕もあることが分かります。
(蔦重の経営する耕書堂は、本の印刷から出版、販売まで行う書物問屋です)
1,2章のでは、蔦重の北川歌麿や山東京伝を起用して「吉原文化」をエンタメ化して単なるコンテンツを制作しただけでなく「文化ごと売る」という現代的な発想や歌麿や写楽といった才能を見出し育て、演出して世に出すという慧眼と先見性を感じることが出来ます。
また、リスクを恐れないチャレンジャー精神、自ら「蔦唐丸」という狂歌師になったり文化への深い愛がある人だったから数々のベストセラーを生み出したというのもよく分かります。
さらに蔦重は、江戸文化の普及に貢献したばかりではなく種を撒き未来に投資し、後世に大きな影響を与えた人なのだというのを実感出来るのが、後半の浮世絵のコーナーです。
歌麿と写楽

東京国立博物館の入口のポスト
狂歌ブームの中、狂歌の文字だけの本はあっても、挿絵の入った本はなかったので、蔦重は、人気の狂歌師と喜多川歌麿という売れっ子絵師を組み合わせ絵入りの狂歌絵本を刊行しました。
(狂歌師と浮世絵師のコラボを思いつくのは、やっぱり只者でない)
その狂歌絵本の「画本虫撰(えほんむしえらみ)」は歌麿にとって最初のヒット作で、植物と虫が写実的に描かれて図鑑のようですが、自然の優美な描写は立派な芸術作品です。
以前、「画本虫撰」を見たときは、美人画のイメージが強い歌麿もこのような自然を題材にしたものを描くのだと初めて知りました。
出版にも規制がかかる蔦重達にとって窮屈な時世に変わると滑稽や風刺を旨とした「狂歌絵本」が出版出来なくなります。
そこで、歌麿は、浮世絵の美人画に力を入れ、この美人画が歌麿の代名詞になっていきます。
身代半減となった蔦重は、歌麿と組み雲母を砕いた粉を用いた雲母摺り(きらづり)の背景は描かずに女性の顔の細部や表情、しぐさなどを細かく描写した女性のバストアップの構図の「美人大首絵」を生み出し世間の注目を浴びます。
今回、この「美人大首絵」の中でも傑作「ぽっぴんを噴く娘」は前期展示で後期の期間に行ったため見れないと諦めていたが、なんと展示されていたのでビックリ
実はこの作品、出品目録にも掲載されていないので当初の展示予定には入っていないものでしたが所蔵者の厚意により急遽、後期展示から特別出品することになったそうでこの出会いは、本当にラッキーでした。
しかも前期展示では東京国立博物館が所蔵する「婦女人相十品」だったが、この後期展示は、「婦人相学十躰」の「ぽっぴんを噴く娘」で、「婦女人相十品」より古い初期に刷られたものだと判断し、初摺りに近いため女性の着物や髷に使われている紫色などは非常に美しく鮮やかに残り歌麿が意図した色遣いや線を堪能出来ます。
背景がない大首絵は、特に女性の内面や本質が描かれているといい全身像では表せなかった表情に視線が誘導され、「ぽっぴんを噴く娘」のモデルの娘さんは、10代くらいの若い女性で翻った着物の袖から気になる人が近くを通ったのでつかさず気を惹くために笛を吹いたのかと「恋心」を感じさせる1枚に見えました。
「江戸三美人」もよく見るとそれぞれ3人の目鼻立ちが違いが分かります。
歌麿作品の優雅で官能的な遊女は、淡い自然な色を基調とし繊細な描線や遊女が身に着けている着物の美しさも目の保養になります。
きっと当時の花魁は、カリスマモデルで、江戸のファッションリーダーで(蔦重が仕掛けた?)インフルエンサー
彼女達が身に着けている着物や小物の類、髪型も女性達の憧れで、吉原は、ファッションのトレンドの発信源だったかもしれません。
第3章以降の展覧会場には、蔦重が二人三脚で世に送り出し栄松斎長喜、北川歌麿と東洲斎写楽の浮世絵がたくさんあり浮世絵三昧でした。

会場風景
東洲斎写楽は、役者絵や力士を描いていて他の絵師のように役者をただブロマイドのイケメンに描くのではなく、山藤章二のように大胆にデフォルメして人物の特徴を捉えているのが楽しいです。
無名だった写楽は、蔦重プロデュースにより登場したが、わずか10か月間で約140点の作品を発表した後忽然と姿を消した謎の絵師で、作風が斬新過ぎて当時の人気を得られなかったようだがその作風とともに興味をそそる人物です。
(写楽は蔦重に見出されて一躍有名になりましたが、世の中には、埋もれてしまう才能が五万とあって、それを掘り出し世に送る蔦重のような存在ってやはり必要なのですね)
他に浮世絵のコーナーには、蔦重が手掛けた浮世絵のほかにライバル版元の作品があり、それぞれの版元の特色を見比べることが出来る構成になっています。

英語版パンフレットと舟和パンダのあんこ玉(上野エキュート)
この時代、肉筆画はともかく木版画は漫画のような庶民の娯楽で、芸術品として評価されることはほぼなく蔦重自身も芸術的な価値まで考えていたどうか分からないが、浮世絵でも現代国宝級の作品もあり海外で高く評価されていることから、もしかしたら同じように今の漫画やアニメも将来国宝になるものもあるかもしれないと想像するだけで楽しいです。
午前の早い時間は、並ばずに入れましたが昼頃から入口に行列が出来、熱中症対策のためかテントが設営されていました。
(午前中に行くのがお勧めです)
しぼリズム菜リズム(まとめ)

特別展「蔦屋重三郎 コンテンツビジネスの風雲児」 (東京国立博物館)へ行きました。
書物問屋(出版業者)・浮世絵版元の蔦屋重三郎は、浮世絵ばかりでなく黄表紙、洒落本にも関わり、狂歌に浮世絵の挿絵を入れた「狂歌本絵本」を出版して人気を博しました。
蔦重は、北川歌麿や山東京伝を起用して「吉原文化」をエンタメ化して単なるコンテンツを制作しただけでなく「文化ごと売る」という現代的な発想や歌麿や写楽といった才能を見出し育て、演出して世に出すという慧眼と先見性があり江戸文化の普及に貢献したばかりではなく種を撒き未来に投資し、後世に大きな影響を与えました。
江戸狂歌ブームの中、蔦重は、人気の狂歌師と喜多川歌麿の絵入りの狂歌絵本を刊行しヒットしたが、時世が進み狂歌本など江戸を風刺するような書物が出版出来なくなると浮世絵に力を入れ、歌麿と東洲斎写楽などの大首絵の美人画や役者絵などが注目を浴び、後世に影響を与える傑作が生まれました。
後期展示の「婦人相学十躰」の「ぽっぴんを噴く娘」は、前期展示のものよりより古い初期作品で、当時の色彩がしっかりと残る希少な作品です。
■特別展「蔦屋重三郎 コンテンツビジネスの風雲児」
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- 場所 東京国立博物館
- 会期 4月22日(水)〜6月15日(日)