荻窪の街中にある立派な長屋門「明治天皇荻窪御小休所」

明治天皇荻窪御小休所

明治天皇荻窪御小休所

JR荻窪駅南口から5分ほどの場所に江戸時代にタイムスリップしたような場所があります。

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(善福寺川の忍橋から500m北へ行きます)

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繁華街のすぐ近くオフィスビルや住宅街の中に立派な「長屋門」が残っていて石碑には「明治天皇荻窪御小休所」とあります。

明治天皇荻窪御小休所

埼玉県飯能市の飯能市近衛師団演習総監、小金井の桜見物に行幸する明治天皇が、休憩所に使った場所です。

明治天皇荻窪御小休所

入り口には大きな桜の木があり、向こうに見えるのは荻窪駅近くの高層ビルで、門の裏手にオフィスビルがあります。

門の付近には、特別な説明文はなく門構えがあるのみで、ここでは詳しいことは分かりませんでした。

後で調べると大正15年東京府史蹟、昭和9年文部省史蹟に措定されたが太平洋戦争後解除され、以後、区の史蹟の指定を受けていないので、案内板もないと思われます。

明治天皇荻窪御小休所

駅の近くゆえ、人通りは多いのだけど不思議なのは、人が一人通れる大きさのくぐり戸にも人がせわしくひっきりなしに入って行ったり出て来たりするのですが…

皆、どこへ行くの?どこから来たの?

と門を覗いて見ると

明治天皇荻窪御小休所

オフィスビルの方に行く通りになっていて、旧青梅街道に通じていました。

くぐり戸を抜けて反対側に出ると

明治天皇荻窪御小休所

こうなっていて、門を利用した駐輪場にもなっていました。

明治天皇荻窪御小休所

実は、この長屋門は門だけ残っていて、敷地はオフィスビルの所有地になっていて旧青梅街道に抜けられるので、この門をくぐって人の往来があったのです。

ビルやマンションの利用者だけでなく、周辺住民や通行人など一般の人も利用出来る「公開空地」というもので誰でも通行可能なのです。

それにしてもここにポツンと門だけがポツンとあるのは、どういうことなのか

その経緯を調べると以下のことが分かりました。

明治天皇荻窪御小休所 長屋門

この場所は、元々は、中田村右衛門という旧下荻窪の名主の屋敷だった所で11代将軍の徳川家斉が春の雉狩、秋の鶉(うずら)で年中行事のように訪れる際、この農民の中田家の屋敷で休憩所として利用してそうです。

(この辺りの杉並、善福寺池を中心に野鳥が多い鷹狩の地であったそうだ)

しかし、江戸時代、長屋門を構えられるのは上級武士だけでしたが、時の将軍のために特別に長屋門を作らせたたそうです。

明治天皇荻窪御小休所

明治16年には、明治天皇が埼玉県飯能の近衛師団の演習を統監のためにた名馬・金華山に乗り換えて演習地に向かう途上立ち寄り、小金井の桜を見物する際にもこの中田家に立ち寄り休憩し、以来、毎年小金井への花見に行く際には立ち寄ったそうです。

(明治改元や東京遷都などの取り組みをされた明治天皇は、新しい時代に相応しく各地へ積極的に行幸されたそうです)

明治天皇荻窪御小休所

2回の行幸の御礼として天皇より七拾円を下賜された中田氏は、小金井の桜を購入して荷馬車で屋敷まで運んだという話もあり、門前の桜はそれではないと思うけど立派な桜です。

その後、中田家から藤沢家に所有が移りその際の約束が

「御小休所と長屋門を守ること」

だったそうです。

藤沢家は、この約束を守り政府が出した取り壊し命令にも応じなかったので長屋門だけは、残りました。

東京市の史蹟の指定が外され石碑も取り壊すよう命令されましたが、石碑も守り続けたそうです。

明治天皇荻窪御小休所

この門は、旧青梅街道沿いにあり街道に面する東向きに建てられていましたが、屋敷を譲渡された藤沢家が昭和62年(1987年)にビルを建築することとなり現在の場所に移築復元されました。

明治天皇荻窪御小休所

『杉並区史探訪』(森泰樹著 杉並郷土史会)によると

「門は間ロ12間半、奥行3間、建坪37.5坪(約124 ㎡)、正面出人りロは3間で中央に両開きの扉、左袖(側)に3尺のくぐり戸があり、左に幅6尺の出格子作りの武者窓がありな内部は、門番の休憩所になっていたようですが、現在は、床が取り払われ土間になっています。」

とあります。

明治天皇荻窪御小休所

長屋門は家臣や門番、使用人達が詰める場でもあったのでこんなに立派なのであろう

長屋門自体もそうだけど外の様子をうかがう目的で作られた「武者窓」も本来、武家屋敷に作るもので、将軍家の威光にかかわるので便宜的に作られたのか、12代将軍の家慶も度々休憩しているようです。

明治天皇も侍従から将軍休憩の故事を聞き、御行在所に指定されたようです。

それにしても江戸時代の門が、高層ビルの谷間にひっそりとある様は、周りの景色が変わってしまった中にポツンと取り残された絵本の『ちいさいおうち』(バージニア・リー・バートン著)を思い出してしまいます。

明治天皇荻窪御小休所

長屋門のすぐ隣にある建物は、小休所だった建物か?

建物も敷地も公開されておらず、木戸や垣根の隙間から覗き見するしかなく怪しいもののように中の庭を覗いてみます。

明治天皇荻窪御小休所

どうにか、垣根の越しに撮った写真で、一部しか見えないので分かりにくいです。

当時は、茶屋風の茅葺屋根の建物で、間口4間、奥行3間、建坪11坪75で、間取りは6畳2室に廻り廊下と9尺の床の間と押し入れがあり使用木材は、杉でここに明治天皇と皇妃が休憩したかと思うほどの飾り金具1つない質素な造りだったそうです。

明治天皇荻窪御小休所 明治天皇荻窪御小休所

庭は、手入れされた樹木や燈籠、手水鉢などがあります。

明治天皇荻窪御小休所

屋敷の裏手に回り込むと屋敷の敷地だった場所に17階建ての近代的なオフィスビルがあるが、周辺は、巨木があり往時を偲ばせます。

庚申塚

庚申塚

旧青梅街道沿いの敷地地内に「庚申塚(こうしんづか)」があります。

塚の茂みの中にあり近寄ることが出来ないので、少し離れた場所から撮影しました。

しぼり菜リズム(まとめ)

明治天皇荻窪御小休所

荻窪の繁華街のすぐ近くオフィスビルや住宅街の中に立派な「長屋門」が残ってる「明治天皇荻窪御小休所」とあります。

ここは、中田村右衛門と言う旧下荻窪の名主の屋敷だった所で江戸時代、11代将軍の徳川家斉が狩り訪れる際、休憩所として利用するために長屋門を作らせました。

明治天皇も休憩所として使用し、持ち主が変わっても旧持ち主との約束により長屋門と石碑が残っています。

門は、ビルが建つため向きが変わり移築されたが、江戸時代の門が、高層ビルの谷間にひっそりとある様はそこだけタイムスリップしたような空間になっています。

〈主な参考文献〉

『杉並区史探訪』(森泰樹著 杉並郷土史会ほか

■明治天皇荻窪御小休所

    • 東京都杉並区荻窪4-30
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2017年現在57才 50代になって体に色々な変化が起きました。 アレルギー、腰痛、変形性膝関節症、脂漏性皮膚炎、手湿疹、眼精疲労、胃腸の不快感、開帳足等々一気に吹き出しました。 このほかに病気以前、未病のものもあるので 自分の体を見つめ直した生活を考えています。 健康、医療、病気、楽しいことも含めた日常生活を綴っていきたいと思います。 認定医療コーディネーター、ホームヘルパー びわの葉療法インストラクターの資格保有