「苦海浄土 わが水俣病」石牟礼 道子
「水俣病」が公式確認してか68年
その歴史は、常に認定を巡る戦いとともにあり患者の高齢化が進み今なお国の認定を受けていない患者がいて残された時間を思うと気が気ではないです。
「公害の原点」とされる水俣病を題材とした「苦海浄土 わが水俣病」石牟礼道子著の存在は知っていたけれど読む機会がなく、作者の石牟礼道子が亡くなり、彼女の精神的同士である思想家の渡辺京二がこの世を去ったのでこれはもう読むしかないと思い手に取りました。
「苦海浄土」は、水俣病水俣病の患者と家族の苦しみを書き綴った記録で初版は1968年です。
真正面から対峙する本は、心身整えて読むようなもなので久しぶりに小説を読むことに苦労しますが、水俣や天草のお国訛りで綴られた箇所など慣れてくれば次第に読みやすいものになります。
水俣病は、手足の感覚障害や運動障害を発症する神経系疾患で、原因は、チッソ(新日本窒素)が垂れ流す工場排水に含まれていた有機水銀で、その有機水銀に汚染された魚介類を常食していた地元漁民を中心に発病しています。
ノンフィクションではない?
チッソや国や行政が放置するなら、せめて被害者の声なき声を取り上げたのが「苦海浄土」で、患者に密着取材した事実が書かれているノンフィクションかと思いきや読み進めると第三章、四章、五章の「きき書」を中心に少しでも隠したい奇病に罹った人が、こんなに心中を吐露するのかと不思議に感じるようになりました。
「きき書」の章の坂上ゆき、江津野杢太郎少年の家族、杉原ゆりの言葉がある程度は、本人達から聞いたものには違いないがあまりにも石牟礼道子の目や心のフィルターを通したもの、いえ、石牟礼道子自身が完全に彼らになり変わって紡いでいる文章なのである。
水俣の素朴な人達の「語り」を「あの人達が心の中で言っている言葉にならない言葉を文字にすると、ああなるのよ」と石牟礼自身が匂わせているようで事実かそうでないかは謎のままです。
むしろ、客観的事実として補われるは、巻末の解説の水俣病を研究し続けた医師・原田正純氏による水俣病の50年史でこちらの方が、水俣病の概要はよく分かります。
もしかかしたら当事者本人は、ほとんど語っていないかもしれないが、本人や家族達の苦悶や怨み節を代弁するとこのような語りになるか
「苦海浄土」の誕生に携わった渡辺京二も患者らが言外に含んだ思いをを文字にしたものと言っているように独白は、記録としての事実というより石牟礼道子の私小説だと明かしています。
これが私小説にしても石牟礼の語り口は、虚飾なく紡ぎ出された彼らの心の真実であり、決して往生出来ない魂の救済になりうるのものです。
フィクションとノンフィクションの絶妙なキワを突いた「きき書」の章の文体は、詩人である石牟礼道子の手によるものだからかあまりに文学的な表現で、彼らがそこまで語っていないしても淡々とした病状などの記述や秘めた心の叫びが、逆に壮絶な歴史の記録としてこの本を読んだ人に刻まれます。
これこそが「苦海浄土」の神髄であり、この部分が、多くの読者を魅了し水俣の問題に目を向けさせるきっかけとなるような水俣病を象徴する本にしたのだと思います。
豊かな生活と尊厳
水俣病に関する人達は、豊かで美しかった海やかつての活気にあふれた漁村の日々を回想し、貧しいながら海で獲った魚を生活の糧にし自分達でも自給的に食べ海と一体になり暮らしてきました。
この豊穣な海の恵みに支えられた金銭的ではない豊かな暮らしが、海そのものが有機水銀で汚染され仇となってしまうことが水俣の風土が美しいだけにあまりにもやるせないです。
怒りや告発ではなく第三章の坂上ゆきが発する「もういっぺん、行こうごたる海に」という言葉が全てで、金銭的な解決より再び元気だったころの日常に戻りたいというのが唯一の願いなのです。
現実には、そんな魂の叫びを叶えられないための代替措置として金銭的解決を求めたが、チッソは当初それさえも拒んでいました。
杢太郎の爺さまが「魚は天のくれらすもんでござす。天のくれらすもんを、ただで、わが要るとおもうしことって、その日を暮らす。これより上の栄華のどこにゆけばあろうかい」と語り「天下さまの暮らし」が奪われた悔しさが滲んだ語り言葉が美しくも悲しいです。
山や海の恵みで暮らし、自然と一体になった人々の価値観とは無縁の経済優先の発展途上に水俣禍があり、福島の原発事故も似たような構造を持っています。
チッソは1957年の熊本医学会の資料に出てくるが、同社が水俣病の原因だと政府が断定したのはそれから11年後で、被害者達の「尊厳」がこの間全く放置されたことになります。
原発にしても水俣病にしても一時の問題ではないのだけど、次第に取り上げられなくなりいつしか「終わった問題」となってしまう可能性があります。
そのようなことがないように水俣病を取り上げた「苦海浄土」は、残され読み継がれるべき本であると感じました。
話は、それますが、丁度「苦海浄土」を読んでいるとき、水俣病患者らの団体と国の懇談の場での出来事を書いた朝日新聞 の「天声人語」(2024.5.9)にこんな箇所がありました。
語り部だった杉本栄子さんが患者に向けて遺した言葉「苦しくても、のさり(賜りもの)と思うて暮らしてくだまっせよ」
自らも水俣病だった杉本栄子さんが、こういう境地に至るまでどんな葛藤があったのだろうかとこちらも興味を惹かれました。
しぼり菜リズム(まとめ)
「公害の原点」とされる水俣病を題材とした「苦海浄土 わが水俣病」石牟礼道子著は、水俣病水俣病の患者と家族の苦しみを書き綴った記録で初版は1968年です。
この本の神髄である「きき書」の章の独白は、記録としての事実というより石牟礼道子の私小説で、フィクションとノンフィクションの絶妙なキワを突き多くの読者を魅了し水俣の問題に目を向けさせるきっかけとなりました。
患者やその家族の金銭的な解決より再び元気だったころの日常に戻りたいというのが唯一の願いもむなしく、チッソが水俣病の根本原因であると国が認定したのが発症記録が確認された11年後でその間、患者達の尊厳はないがしろにされてきたのです。