紀行文、滞在記のベスト10です。
ほとんど何十年も前のもので(新しくても10年くらい前か)、いかに最近、本を読んでいないというのが分かります。
ただ読んだ本の記録は 後から振り返ると自分がどういう道を通ったか分かるので面白いです。
今読み直せば、当時の視点とは異なるのでしょうがその頃の感性で書いてみました。
第2位:『若き数学者のアメリカ』藤原正彦
数学者である藤原正彦の1972~75年にかけて、アメリカの大学で研究員、助教として過ごした日々を書いたエッセイです。
先に『国家の品格』『祖国とは国語』などを読み、新田次郎の山岳小説や藤原ていの戦後満州から引き揚げたときの体験記なども読んでいたので、二人の息子である藤原正彦に勝手に親しみを持っていました。
ユーモアを交えた文章から人柄が滲み出て、すぐに著書に没入することが出来ました。
エッセイは、アメリカの70年代の空気感が感じられ、叙情的な美しい文章にともにときに若さほとばしる情熱が一線を越えることもあり読んでいて楽しいです。
でも、アメリカの地では楽しいことばかりではなく、当初、異国人としての気負いや孤独、疎外感に悩みながら葛藤する様子も包み隠さず書いていて
そこから、旅先や学校で出会った人々との交流を通じてアメリカに対する垣根が低くなり馴染んでいく様や人間として成長していく過程は読んでいて清々しくなります。
感受性も行動力もあるようなチャーミングな人柄なのであろう
数学に関する本でも「役に立たないというのは、価値がないということではない」と数学者の彼が説いて、「大切なのは何か深く考えること」「すぐに成果が出ずともその行為がいかに尊いか」ことを教えられました。
女性にモテたり、女の子に好かれたり微笑ましい場面もあります。
冷静な観察眼も忘れずアメリカ社会にメスを入れ、アメリカ人やアメリカの日常を綴ったものも興味深く、これを読んだすぐ後に彼のケンブリッジ大学に赴任した滞在記を購入して読みました。
第1位:『時刻表2万キロ』宮脇俊三
20代の頃、宮脇俊三の国鉄全線踏破の本を読んで、本気で仕事辞めて同じルートを旅したいと考えていました。
それが、この『時刻表2万キロ』で『片道最長きっぷの旅』とともに私のバイブルになりました。
黒部渓谷もカヌーも敷居が高いけど「鉄道旅」だったら私でも出来ると思っていて、ただ時間的に仕事していると実践するのが難しいので辞めてしまおうかと思ったのです。
当時「旅」といえば、現地に行くことであり、その途中過程だけを楽しむ旅や用事もないのに列車に「乗るために乗る」というのも新鮮でした。
彼も仕事をしながら寸暇を割いて苦労しながら乗っていた記憶があり、結局、私も仕事は辞めず時折、この本を片手にコンパクトサイズの時刻表をお供に北海道や九州を除く路線に時間を見つけて乗りに行きました。
芸備線、三次線、山陰本線、山口線、紀伊本線、飯田線、高山本線、中央本線、篠ノ井線、信越本線、身延線、小海線、大糸線、磐越西線、只見線、奥羽本線、仙山線、陸羽東線
鉄道旅は案外、効率が悪く時間やお金が掛かるけど、こう見ると結構乗っています。
静岡の旅行の東京への帰りは、浜松から新幹線ではなく友人に付き合ってもらいわざわざ乗り継ぎ乗り継ぎで、東海道本線の鈍列車を乗ったこともあり、当時は、宮脇俊三氏に相当感化されていました。
「年末に広島から芸備線、備後落合から木次線を乗り継いだとき「次は雪(ゆき)です」とアナウンスがあり2両編成のディーゼルは雪の中の小さな駅に滑り込みました。豪雪地帯の山々は雪に覆われ、途中、スキー場もあり雪景色をそんな風にアナウンスするのかと駅名を見ると「柚木(ゆき)」という名前でした。「雪」の中の「ゆき(柚木)駅」なんて素敵だ…」
広島から松江までの路線に乗ったとき、友人との交換日記(手紙)に宮脇俊三風に木次線に乗ったときのことを書いたものです。
自分で書いてみると鉄道関連以外にも幅広く深い教養がないと書けないエピソードや風光明媚な描写とかやっぱり、宮脇俊三氏には到底マネも出来ないです。
そして、宮脇俊三氏の著書はどれも格調高い文章を書くのだけど軽妙で、誰でも読みやすい
つまり、文才があるのです。
地方の小さな町の光景が、昭和の子どもの頃そのものだったり、地元の高校生や乗客の方言にほっこりする描写もあり郷愁を誘うことも度々です。
今では、国鉄民営化から廃線になった路線も数多く、JRや第3セクターを入れても2万キロ乗車というのが叶わなくなり2万キロ旅は、「幻の旅」となりました。
鉄道が開業150年経ちますが、この本やこれまで乗ったローカル線を思い浮かべて鉄道は、経済的価値で測れない大切なものを運んでいるのだと思いました。