母が亡くなりましたが、母が亡くなった当日と前日に短い時間でしたが会うことが出来ました。
そのとき見たことや思ったことを書きました。
亡くなる前日
母が亡くなる前日、入院している病院から電話があり
「意識レベルが低下してきていて、呼吸状態がよくない。」
「酸素濃度は保たれているけど、いつ急変してもおかしくない。」
ということで、急遽、妹や弟に連絡して母に会いに行きました。
この日は、休日で主治医がいなかったので詳しい病状の説明がありませんでした。
防護服を着て10分くらいの面会で会った母は、酸素マスクはしているが顎が外れいるのか、口を開けたままハアハアと息荒く苦しそうでした。
眠っているように見えましたが、薄目を開けて先に到着した私や弟の姿を追っているように見えました。
耳が聞こえるかどうか分からなかったので、私が「お母さん分かる?〇〇(私の名前)だよ」って手を振るとそれに反応したのか麻痺側でない方の手を少し動かしました。
その手を握ってあげたかったが、コロナを考えると握ることも出来ませんでした。
後から到着した妹は、コロナで面会出来るのは2人までと言われ、先に私と弟が会っているので母に会うのを諦めてかけていました。
これが最期かもしないのに母に会えないの?
そう思って担当看護師に掛け合うと妹にも特別に面会の許可が出ました。
(無理を聞いてくれてた病院には、感謝しています。)
妹が病室に会いに行くと母は目に涙を浮かべているように見えたということでした。
亡くなる当日
翌日、病院から電話
昨日よりも呼吸状態悪化して、尿の出が悪くなり亡くなるのは時間の問題ということで再び病院に行きました。
主治医より説明があり
顎で呼吸し、舌根沈下している。
血圧が測れない、尿が出ない。
無呼吸があり、末期症状出ている ということでした。
亡くなる前の兆候として「下顎呼吸(かがくこきゅう)」というのがあります。
下顎呼吸は、顎を上下に動かすように呼吸することで、口を開いている母の顎も動いているように見えました。
これは、体の機能の衰えにより酸素が足りなくなり、体が酸素を取り入れようとするために起きます。
喘いでいるようで苦しそうでしたが、脳内の二酸化炭素の濃度が上がり「エンドルフィン」という脳内麻薬が出ている状態になるので、本人は苦しく感じていないということを後で知りました。
死期が近づいてきて体が衰えると同時に脳の機能も衰えていくため、本人は苦しいという感覚に鈍くなり死の間際に苦しんでいなかったと知り気持ちが軽くなりました。
体の代謝が悪くなり寝て過ごす時間が増えて、私達が会ったとき母はずっと眠っているように見えました。
この日も少し目を開いて見えましたが、昨日ような反応がなく私達が視界に入っていないようでした。
お別れが近づいているというのに私と弟は、そんな母を見つめるだけでした。
でも、寝ている間でも周囲の音が聞こえている場合があるということです。
このことを知っていたら
短い時間だけど一緒に過ごせた最期にもっと話掛ければよかった。
母の次のステージへの幸せな旅立ちのために今までの感謝の気持ちを伝えればよかった。
後になってこんなことを思いました。
感謝の気持ちを伝えきちんとお別れをすればよかったと亡くなった今、悔やんでいます。
亡くなって
母が最後に入院した慢性期病院は、積極的な治療や人工呼吸器、心臓マッサージなど延命措置を行わない病院でした。
血液検査は異常がなく、 脳梗塞の顕著な症状もあった訳ではなく、精密検査もしていないので亡くなった原因が分からず、死因は「老衰」になりました。
肉親の死別ほど辛いものはありません。
亡くなって親は身をもって子どもに「老い」や「死」を見せてくれます。
親の臨終に際して改めて感じたことは、あらかじめ亡くなる前の症状や兆候について詳しく知っておけば、いざというときに落ち着いた気持ちでお見送り出来たということです。
でも、生きている間は親の死は考えたくない。
だから、どういう状況になると亡くなるのかということは事前に知ろうとせず、(時間を遡って)また同じ状況になっても後悔を繰り返すのだと思いました。
しぼり菜リズム(まとめ)
母が亡くなる前日、意識レベルが低下し呼吸状態がよくないのでいつ急変してもおかしくないということで病院に行きました。
面会で会った母は、酸素マスクはしているが、口を開けたままハアハアと息荒く苦しそうでしたが私や弟の姿が視界に入っているようでした。
亡くなる当日、主治医より顎で呼吸し舌根沈下している、血圧が測れない、尿が出ない、無呼吸があり末期症状出ていると説明がありました。
母は、顎を上下に動かすように呼吸する亡くなる前の兆候である「下顎呼吸(かがくこきゅう)」が見られました。
下顎呼吸は、体の機能の衰えにより酸素が足りなくなり、体が酸素を取り入れようとするために起きます。
呼吸が苦しそうでしたが、脳内麻薬が出て本人は苦しく感じていない、体が衰えると脳の機能も衰えていくため苦しいという感覚に鈍くなので死の間際は、苦しんでいなかったと後で知り気持ちが軽くなりました。
ただ、寝ている間でも周囲の音が聞こえている場合があるということで、最期にもっと話掛ければよかった、母の幸せな旅立ちのために今までの感謝の気持ちを伝えればよかったと思いました。