認知症医が認知症になった
『ボクはやっと認知症のことがわかった』(長谷川和夫・猪熊律子著 ㈱KADOKAWA)という本を読みました。
精神科医で、認知症診療の専門医である長谷川和夫先生の著書です。
長谷川先生は、簡単な質問からなる認知症診断のために使われている「長谷川式認知症スケール」を開発、認知症診療の第一人者として認知症の理解を広げることに力を注いだ方です。
私が若い頃は、「認知症」は「痴ほう症」と呼ばれ、「ぼけ老人」なんて侮蔑的に言うことがあり潜在的な偏見を助長していました。
この「痴ほう」という呼び方を「認知症」という呼び名にするため国に働きかけたのも長谷川先生です。
改名によって、病気への偏見が緩和され、言葉の影響は大きいと思いました。
この認知症の権威である長谷川先生が、2017年に認知症の診断を受け、自ら認知症であることをメディアに公表しました。
認知症を公表
認知症の専門医である長谷川先生が、認知症を世間に公表することにはご家族も含めて葛藤があったと思います。
それでも、自分が認知症になった体験を伝えることを厭わなかったのは
「認知症は、特別な病気ではないので隠すことはない。」
超高齢化社会になり、「年を取ったら誰でもなりうる」と考えるようになれば、社会の認識は変わる。
「認知症になったり終わり」という診断を受けた人への偏見や差別をなくしたい。
という思いがあったからだと著書にありました。
また、専門医が当事者としての言葉で認知症について発信することは、説得力があり社会的にも影響を与えます。
「認知症になったからといって突然、人が変わるわけではなく、昨日まで生きてきた続きの自分がそこにいる。」
「認知症は、固定されたものではなく、よくなったり、悪くなったりというグラデーションがある。」
認知症になって人が変わる訳ではなく、見える景色も突然変わる訳ではないという認知症になったからこその言葉が印象的でした。
訴えること
先生が、認知症になって切望することは
自分は、「認知症なんです。」と言える社会になること。
それには、周囲が、認知症の人をそのまま受け入れて、自分と同じ「人」であることを第一に考えその人ととの接し方をそれまでと同じようにすることです。
生活をともにするときの知識や技術を周囲の人が知れば、色々と工夫をしてあげることも出来、認知症の人の生きやすくなります。
それには、認知症になっても大丈夫という安心のケアが担保される社会が必要なのです。
かつて認知症患者の隔離と収容、拘束が行われていたことがありました。
これは、社会や人との繋がりを断ち切ってしまう行為です。
認知症であってもそのらしさや人権、人としての尊厳を無視する行為は、やってはならないのです。
「存在を無視されたり、軽く扱われたりしたときの悲しみや切なさは認知症であろうがなかろうが同じ。」
「何かを決めるときは、自分を抜きに物事を決めないで欲しい。」
このように置いてきぼりにしないでと認知症の当事者である長谷川はおっしゃいます。
そして、例えば料理など得意なことは、長年してきたことなので手が覚えていることがあります。
認知症になっても出来ることがあるので、認知症の人から全ての役割を奪わないで欲しいと訴えます。
暮らしとは、周囲の人との関わりによって変わってくるので、認知症になっても孤立せず社会との繋がりや人の絆が大切だといいます。
以前、NHK特集『認知症の第一人者が認知症になった』で見た日課である喫茶店でのコーヒータイムで、社会と断絶していない先生のお姿が印象的でした。
そして、テレビ番組で見た認知症を公表している漫画家でタレントの蛭子能収さんの周りの方々の接し方が素晴らしく参考になりました。
認知症になっても「仕事を続けたい」という蛭子さんの希望に寄り添い周囲がサポートをし、連載漫画の執筆を続けています。
元々、蛭子さんは恰好つけて自分をよく見せるとか、普段と違う自分を見せるとか元々ない方ですが認知症になってさらに素直な自分の感情のまま描きたいものを描いているということでした。
蛭子流の絵を描こうとか、こう書けば読者が喜ぶとか面白いとかではなくて、「ありのまま」をさらけ出すことを編集者の方が認めているのが素敵でした。
やりたいこと出来ることを奪わず、家族も仕事の関係者も本人の意思を尊重。
認知症でも本人らしさを大切にし、素直に自分の感情を表す人としての生き方を周りも自然に受け入れている蛭子さんのような暮らしぶりや社会が普通になることを長谷川先生も望んでいたと思いました。
早期発見・早期絶望
認知症は、「早期発見・早期絶望」といわれることもように早期に発見しても認知症は、治らないという認識があります。
確かに早期の人へのケアは少ないけど早期診断が大切だと長谷川先生は書かれていました。
それは、記憶が失われたときに備えて、自分が今後どう生きたいか判断がはっきりしているうちに色々と準備が出来るからです。
「正常圧水頭症」のように早期の診断、治療により治る可能性のある認知症もあります。
やはり、認知症の兆候や異変があれば専門医を受診することなのです。
しぼり菜リズム(まとめ)
認知症診療の第一人者の長谷川和夫先生の著書『ボクはやっと認知症のことがわかった』という本を読みました。
長谷川先生は、認知症診断に使われている「長谷川式認知症スケール」を開発、「痴ほう」という呼び方を「認知症」に変えるよう国に働き掛けています。
認知症の権威である長谷川先生が、認知症の診断を受け、自ら認知症であることを公表、自分の体験を伝えています。
「認知症は、年を取ったら誰でもなりうる。特別な病気ではないので隠すことはない。」と考えるようになれば、社会の認識は変わる。
「認知症になったり終わり」という診断を受けた人への偏見や差別をなくしたいという思いがあり認知症を公表しました。
「認知症になって突然、人が変わる訳ではない。」「認知症は、固定されたものではなく、よくなったり、悪くなったりというグラデーションがある。」という認知症になったからこその言葉が印象的でした。
先生が、認知症になって切望することは自分は、「認知症です。」と言える社会になることです。
それには、周囲が、認知症の人をそのまま受け入れて、自分と同じ「人」であることを第一に考えてその人との接し方をそれまでと同じようにすることです。
認知症を公表した漫画家でタレントの蛭子能収さんのように本人のやりたいこと出来ることを奪わず、本人の意思を尊重し、その人の生き方を自然に受け入れる社会が普通になることを長谷川先生も望んでいました。
医師として、早期発見で将来の準備が出来、治療により治る可能性のある認知症もあるので、認知症の兆候や異変があれば専門医を受診することを勧めています。