回想法
話し手の昔の思い出話を聞き手が共感して受け止める心理療法である「回想法」とうのがあります。
話し手は、高齢者で昔の懐かしい写真や音楽、昔使っていた馴染み深い家庭用品などを見たり、触れたりしながら、昔の経験や思い出を語り合い人生を振り返ることで心の安定やコミュニケーション能力の維持、向上を図ることが出来ます。
回想法は、「認知症」の予防や進行抑制に効果があると考えられます。
この「回想法」をまだ知らない父が亡くなる半年前、入院中の当時87歳の父に「昔の体験談」を語ってもらったことがあります。
昔話とは、父の少年時代に経験した「戦争」の話で、この話をしてもらうことで感じたことがありました。
今、考えると人生を振り返って語ることは、まさに回想法で、これで得られる「効能」や感じたことまた、「回想法」について書きました。
父に戦争中の話を聞く
父は寝たきりで口から食事が出来ず入院していました。
もう、そんには長くは生きられないと思い父の戦時中の話をほとんど聞いたことがないので聞いておきたい。
元気があるうちは、テレビや新聞を見たり専門誌のクロスワードパズルをやってましたが段々と、眠ってる時間が長くなり少し会話をして気分転換を図って欲しい。
父は、「認知機能」はしっかりしているも、じっと天井ばかりを見つめていてはボケてしまう。
話すことが、脳を活性化させるのにもいいのでは。
ということで、何か「話題」を作って父と会話をすることにしました。
それには、この頃、終戦記念日も近く、今まで父の口から聞いたことがない戦争中の話をしてもらおうと考えました。
父は、とても記憶力がよく、70年前のこともよく覚えていて私の質問に答えながら話をしてくれました。
一気に話すと疲れてしまうと思い、紙に聞きたいことを書き出して少しづつ聞きました。
昔話といっても戦争当時の話なので、楽しいことなどなく「辛い話」が多いのかと思いました。
でも、戦時中は日本を離れ、一家で中国の北京や天津に移り住んで、周りに日本人も沢山いて、終戦近くまで平和にのんびりと暮らしていました。
だから身近に亡くなった人もなく、空襲のような直接的な被害もなく中国での生活をそれなりに満喫していたようでした。
このときの話をまとめたものです↓
食料にも比較的に恵まれていて、家の門の前の道路にテーブルを出して食事をしたり日本では出来ない経験をしたことが楽しかったみたいです。
唯一、大変だったことは、中学のときに家族と離れて「勤労動員」で宿泊しながら慣れない土木工事を行ったことです。
どんなことをやったのかと聞くと「つるはしで、道路に穴を掘った」と言いました。
それが、大変だったとか辛かったということは言いいませんでしたが、祖母から父は、「体が弱く、20歳まで生きられないと医者に言われたことがある」と聞いたことがあったので、体も小さく虚弱だった父には過酷な労働だったと想像します。
ただ、そのすぐ後に「爆弾工場」への動員があったものの寸前に終戦になり、そこへは行かなくてよくなったことに何か運命を感じたようでした。
中でも父が、自慢気に話していたのが戦時中に暗記させられた「教育勅語」や「軍人勅諭」を今でも半分くらい覚えているということです。
中学生という多感な時期に終戦を迎え、終戦間際から日本に引き揚げてくるまで間、学校が機能しておらず、そのため1年以上勉強が出来なかったことが残念だったと言っていました。
終戦後、引き上げ時には家財道具のほとんどを置いてきて着のみ着のまま船に乗ったけど、多くの「日本人引揚者」が経験した過酷な体験はしていないということでした。
ただ、北京で生まれた父の下の弟(叔父さん)がまだ乳飲み子で、幼子を中国に残して祖国に帰る日本人もたくさんいたのでよく連れて帰って来たと言っていました。
(そういえば叔父さんは、よく冗談で「自分は、中国残留孤児になりかけた」みたいな話をしますが、このときのことだったのだと思いました)
共感する
父は、無口であまりしゃべらないのと耳が遠いので余計、会話をすることが億劫になって自分の殻にこもってしまっているような状態でした。
でも、昔のことを思い出しながら話すことで少し生気が戻ったような感じになり特にこの頃、父との会話が弾んだ記憶があります。
当時のことを振り返ることと話をすることで、少しは、脳が活性化されたのかもしれません。
私も初めて聞く父の話がほとんどで、父の新たな一面を知ることが出来たという発見と父の過去を「追体験」することで親子の「共通認識」が増え二人の距離がより近づいた気がしました。
父の話で特に印象的だったのが「教育勅語」や「軍人勅諭」を今でも半分くらい覚えているというのもので、「これって、凄いことだよ!」「お父さんは、お母さんより記憶力がいいね」「お母さんも驚いていたよ」と褒めたら喜怒哀楽はあまり出さない父が嬉しそうにはにかんでいました。
「昔話」「苦労話」「自慢話」は高齢者にとっての「三大話」で、話し手の「得意な話」をしてもらうことはすごく大事だと思いました。
辛かったこと、頑張ったことは、繰り返し考えるので脳裏に焼き付いているはずです。
子どもの頃覚えたことや体に沁み込んだ技や知識は、いくつになっても忘れないものだと思いました。
相手の人生に寄り添う気持ちで「凄いね」「大変だったね」など共感の程度を使い分けながら盛り上げると話し手は、生き生きと話をして、それで脳が活性化するという効果につながりるのだと思います。
ただ、戦時中の話は、人によっては、必ずしも楽しいことばかりではないので本人にとって辛い思い出や、話したくない体験がトラウマになっている場合もあるので、そういうときは、無理に聞き出そうとしない方がいいと思います。
回想法の効用
「回想法」に話を戻すと回想法では、話のツボを押さえて、話し手が何を伝えたいのか思いを馳せることが重要です。
「過去の回想」は後ろ向きの行動ではなく、自分の人生を「これでよかった」と認め老年期を健やかに過ごすための自然の行為で、回想法は、単にノスタルジーではなく過去から現在、さらに未来に向けた希望を見出すものというのがあります。
回想法には聞き手が必ずいることも大きな効果をもたらします。
過去のことを話しながら「自分の話をちゃんと聞いてもらえている」と感じることで、満足感や「自己肯定感」を持てます。
私も父に話を聞きながら必ず、「大変だったね」とか「よく覚えていたね」とかなるべく話に「共感」する言葉を掛けました。
話のきっかけがつかめないときや話が弾まないときは、「話」にまつわる写真や昔の道具、懐かしい歌や食べ物があると「呼び水」になり本人も話がしやすくなることがあります。
父には、一人でずっと話をしていてもらった訳ではなく、私が質問をしてそれに答えてもらうようにして、その方が父も話しやすかったようで、結果、たくさん話を引き出しことが出来、そこから話も広がっていきました。
「戦争中に中国に住んでいたと聞いたけど、どうして、中国に行ったのか」「中国のどこに住んでいたの?」「学校は、どこに行っていたの?」「日本人は、いたの?」「学校で、何を勉強していたの?」「中学で、英語の勉強はやった?」「日本食を食べていたの?」「空襲の被害は」「玉音放送は聞いた?」「引き上げ船の中は、どうだった?」など細かく聞いた記憶があります。
覚えていないこともありましたが、父は、記憶力がよくて私の質問にはほとんど答えてくれました。
娘のために頭をフル回転して、昔の記憶を辿っていたかもしれません。
父が、戦争当時の体験談を話したことは、今、考えると一種の「回想法」だったと思います。
このときは、回想法というのも知りませんでしたが、父は、昔の話を思い出しながら話すことで脳を使い何らかの刺激を得ることが出来たのかと想像します。
父は、食事を摂れない状態でも、いつか「口から食べたい」と願い「東京オリンピック」を見たいと常に前向きに「生」を見続けていました。
だから、自分の「生きてきた証」をたどる行為は、「生きていること」そのもので、たとえ寝たきりになっても「生の充実」を感じていた瞬間だったと思います。
それは、きっと未来へ「生きる希望」にもなっていたと思います。
(そう、信じたいです。)
年を取ると新しいことを覚えるのは難しくなりますが、昔のことを思い出したり考えたりすることは抵抗なく出来ると思います。
身近に高齢者がいる場合は、きっかけを作って人生の思い出の話などをしてもらうと父との会話のように思い掛けない発見や効能があるかもしれません。
しぼり菜リズム
「回想法」は、高齢者の昔の思い出話を聞き手が共感して受け止める心理療法で「認知症」の予防や進行抑制に効果があると考えられます。
話し手は、高齢者で昔の懐かしい写真や音楽、昔使っていた馴染み深い家庭用品などを見たり、触れたりしながら、昔の経験や思い出を語り合い人生を振り返ることで心の安定やコミュニケーション能力の維持、向上を図ることが出来ます。
高齢の父に戦時中の話をしてもらったことあり、父の知らなかった一面を知ることが出来、父の過去を追体験することで親子の共通認識が増え二人の距離がより近くなりました。
「昔話」「苦労話」「自慢話」など話し手の得意な話に「共感」することで、満足感や「自己肯定感」を持つことが出来ます。
過去を振り返ることは後ろ向きの行動ではなく、自分の人生を「これでよかった」と認め過去から現在、さらに未来に向けた希望を見出すものというのがあります。
自分の「生きてきた証」をたどる行為は、「生きていること」そのもので、たとえ寝たきりになっても「生の充実」を感じ未来へ生きる希望になるのだと父の話を聞いて思いました。