松田聖子
松田聖子がデビュー40年を迎えて『松田聖子スペシャル ロング・バージョン 風に向かって歌い続けた40年』NHKという番組をやっていて、これを見ながら松田聖子のことなど書いてみました。
群を抜いた歌唱力
実は、私、昔から松田聖子のファンでした。
デビュー当時は、「ぶりっ子」のイメージが強くて、中森明菜と比べて女性である私が「松田聖子の曲を聴いている」っていうのは公言出来ない雰囲気があって、「隠れファン」としてヘッドホンでいつもこっそりと彼女の歌をテープを聴いていました。
特に聖子ちゃんの「声」が好きで、高音がいい。
彼女が出てくる以前は、ハイトーンで歌い上げるケイト・ブッシュやどこまでも透明感のあるファルセットのオリビア・ニュートン・ジョンなんかが好きでした。
80年代は、高音域に艶のある八神純子や聖子ちゃんにも曲を提供している尾崎亜美などの高い声が素敵なシンガーはいたのだけど、もっとさらっと歌い上げる聖子ちゃんの歌声が、一番、好きでした。
(高音が、澄んだ声の河合奈保子、石川ひとみ、岩崎姉妹の美声も捨てがたい)
いつ聴いても聖子ちゃんの声って、グレープフルーツをキュッ搾ったようなフレッシュさや耳馴染みのよさがあって飽きがこないんです。
キビタキかオオルリの鳴き声みたいに綺麗で、聴いているといいホルモンが出そうな彼女の「声質」が好きでした。
財津和夫や松本隆の「声が届く」「声が通る」ってプロ中のプロが絶賛するほど松田聖子は、透明感のある伸びやかな声で、当時のアイドルの中でも歌唱力は群を抜いていました。
そんな中で特に好きだったのが、とろける様な甘い歌い方、ハスキーの使い方を駆使している『ユートピア』です。
『ユートピア』は、夏になると聴きたくなるアルバムで、このアルバムを聴くと夏の思い出が蘇ります。
聴き始めた瞬間からその世界にトリップさせてくれる『セイシェルの夕陽』や『マイアミ午前5時』を聴きたくて『ユートピア』のテープは、擦り切れるほど聴きました。
これを作曲、編曲した大村雅朗の『セイシェルの夕陽』の聖子ちゃん本人から番組で紹介されたエピソードが面白かったです。
『セイシェルの夕陽』のレコーディングが上手くいかなかったので、大村氏が黄色いワーゲンでマクドナルドに連れて行ってくれ、「聖子ちゃんは、マックに行けないから」とハンバーガーを買ってきてくれ車内で食べたというものです。
マックのハンバーガーを食べてる聖子ちゃんも何か、ほのぼのとしていいなあと思ったのとそのときの二人は、どんな関係だったのか気になりました。
聖子ちゃんが兄のように慕う大村氏は、才能あるしイケメンで優しいので、二人の間にロマンスが生まれなかったのかと詮索してしまいました。
「『セイシェルの夕陽』、(セイシェルに)行ったつもりで歌おう」という大村氏の励ましで、イメージ通りの曲になって世に出たという話を聞いて、この曲がますます好きになりました。
大村氏は、聖子ちゃんの曲のアレンジを数多く手掛け、ある意味大村氏がこの頃の「松田聖子」の世界観を作ったのだとこのとき思いました。
最近は、デビュー当時の澄み切った高音は聞けなくなりましたが、そこは技術と円熟味で補っていい味が出ていて、今でも聖子ちゃんの歌声は心にスーッと染みて癒されることは間違いありません。
松本隆とタッグを組む
松田聖子の歌といえば松本隆というくらい「松田聖子×松本隆」のコンビは、松田聖子を語る上で外せないです。
10代の頃は、松本隆の作詞で圧倒的に好きだったのが太田裕美の『木綿のハンカチーフ』でした。
松本隆は、太田裕美に詩をたくさん書いていて「太田裕美×松本隆」の曲の世界に作曲の筒美京平という巨匠がタッグを組んで、それらの曲に酔いしれていましたが、「太田裕美×松本隆」の牙城を崩したのが松田聖子です。
松本氏は、かねてから自分の詞と松田聖子の歌声がよく合うと考えていたそうで、そんなときに彼女の作詞の話が舞い込んで来たと語っていました。
そのタイミングで作曲を呉田軽穂(松任谷由実)抜擢して、当時の最高の人材を集めて作った曲が『赤いスイトピー』『渚のバルコニー』です。
この二つの曲は、松本隆の詞がとっていいい仕事をしています。
『赤いスイトピー』
「なぜ、知り合った日から半年過ぎても
貴方って手も握らない」 「なぜ、あなたが時計を見るたびに 泣きそうな 気分になるの?」 |
『渚のバルコニー』
「渚のバルコニーで待ってて ラベンダーの 夜明けの海が見たいの そして秘密」「右手に缶コーラ 左手には白いサンダル ジーンズを濡らして泳ぐあなた あきれて見てる」「馬鹿ね 呼んでも無駄よ 水着持ってない」 |
「一番リアルな青春て何だろう繊細な心の動き、微細な心境の変化を描きたかった」と松本氏が語っているように微妙な女心を歌っていて、いじましい二人の距離感もよく出ていて秀逸な詞です。
最初、松本氏は、松田聖子が『渚のバルコニー』の「馬鹿ね(ばかね)」が歌えるのだろうかと思っていたようでした。
「可愛く「ばかね」はみんな言えるけどどうなのか」と心配していました。
でも、自然に何の先入観もなく「ばっ~かねぇ」って歌って「さすがだ。やってくれた」って感心しているように「ばっ~かねぇ」とう間を伸ばす歌い方は、言葉とは裏腹なふっと力を抜いて柔らかいイメージになっています。
「馬鹿」という言葉の表現の仕方で、聴いている人を馬鹿にしているようになってしまいますが、聖子ちゃんは見事に歌っていていて松本隆の詞の世界を壊していないのはさすがです。
この曲をレコーディングしたときは、生放送が終わって、スタジオに行って初めて曲を聴いてその場で覚えて歌ったそうで、聖子ちゃんは、「ばかね」をこういう風に歌うとか全く考えていなかったと番組で語っていました。
それでも天才作詞家をうならせてしまうのは、並外れた感性というか、天性の才なのでしょう。
当時からただものではなかったのですね。
松田聖子は、松本隆や財津和夫、松任谷由実だけでなく、尾崎亜美、佐野元春、細野晴臣、大瀧詠一、来生たかお、原田真二、南佳孝、甲斐よしひろ、阿久悠、大村雅朗等々「一流」のクリエーターから楽曲を提供され次々とヒットを飛ばし、クイシージョーンズ、ボブジェームスという大御所と組んで「ジャズ」というジャンルへ活動の場を広げたり周りに恵まれていました。
それは、「幸運の女神」を引き寄せるタイミングがよかっただけではなく、彼女に彼らを惹きつける吸引力があったから成し得たことで、それも「才能」の一つなのだと思いました。
永遠のアイドル
消耗されていったアイドルが多い中、聖子ちゃんは、40年という長きに渡ってトップスターの座を守り抜き、今でも第一線で活躍しているのは、彼女が本物の「アイドル」だからです。
大人になってもアイドルってどうなかと思いますが、アイドルは、本来「偶像」「崇拝される人や物」「あこがれの的」「熱狂的なファンをもつ人」を指す言葉でアイドルというのは、世間が決めるもので、「スター」でなくてはなりません。
今は、「自称アイドル」がいっぱいいいて誰でもアイドルになれる時代ですが、「松田聖子」は、そういう意味でも誰もが認めるアイドルです。
還暦近くなった今でも、ブレることなく「松田聖子」というキャラクターの貫き通し質を保ち続けているというのは並大抵なことではないです。
アイドルや大スターを演じ続けことの難しさは、山口百恵や中森明菜を見ていて感じますが、松田聖子は、案外「蒲池法子」との乖離がなくて生まれながらにして「松田聖子」で「天性のアイドル」だったから40年間続けることが出来たなどと思ってしまいます。
逆境もバネにステップアップして芸能界で生きていくメンタル、聖子ちゃんを撮り続けた写真家篠山紀信も認める度胸のよさや一度決めたことにとことん進んでいく芯の強さを持っています。
そんな姿は、財津和夫が語っていた彼女の歌・『風に向かう一輪の花』(松田聖子作詞、財津和夫作曲)の風に向って可憐に強く咲く「一輪の花」そのものです。
やりたいことはやり、欲しいものは手に入れるという自分では絶対なし得ないこと、女性の憧れを具現化しているから女性の支持も高いのです。
フリフリのドレスも似合い、デビュー当時と変わらぬスタイルを維持する努力も欠かさないという高い「美意識」もあります。
「夢を売る仕事」とプロ意識が強く、そんじょそこらの中年のおばちゃんになってしまっては、もう「松田聖子」ではないと本人が一番よく分かっているから相当な努力をしているはずです。
歌だけでなくそんな「生き方」も素敵で魅了されます。
私は、彼女と同年代で聖子ちゃんの歌と共に20代を過ごして、聖子ちゃんの歌を聴くとあの頃の情景が浮かんで時間が逆戻りするほど生活の中にいつも聖子ちゃんの歌がありました。
40年間、聖子ちゃんが少女から大人へ脱皮して進化、一時代を作った過程も共有することも出来たから余計親しみを感じるのです。
だから、これからも「松田聖子」として人生を全うする姿を見守っていきますが、聖子ちゃんには、どんな手を使ってでもいつでもキュートで可愛らしくいてもらいたい。
聖子ちゃんは、いくつになってもアイドル・「永遠のアイドル」としてずっと夢見させて欲しいのです。
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