銀河鉄道の夜
『赤旗日曜版』に連載中の『銀河鉄道の夜 最終形』(ますむらひろし著)を毎週、楽しみに読んでいて、本家の宮沢賢治の童話『銀河鉄道の夜』も読みたくなりました。
『銀河鉄道の夜』は、4稿まで推敲を重ねていて、第一稿で登場した案内役である「ブルカニロ博士」の箇所をカットしたのが第四稿の「最終形」です。
『赤旗日曜版』で、ますむら版『やまなし』『オッペルト像』『ひかりの素足』『虔十公園林」賢治シリーズで連載してずっと読んでいますが、どれも猫が主人公で、画が細密で美しく永久保存版にしたいくらいです。
(引越しで紛失したけど40年くらい前の『アタゴオル物語』(ハードカバー)、また読みたいなあ。)
子どもの頃に読んだ『銀河鉄道の夜』は、孤独な少年ジョバンニと友人カンパネルラが銀河鉄道に乗って銀河を旅するというメルヘンの物語のイメージがありました。
うる覚えの銀河鉄道から見える幻想的な銀河と何だか不思議な乗客がいたなあくらいしか記憶がなく、賢治がこの物語を通じて何を伝えたかったのなんて考えてもみませんでした。
だから、子どもの頃には分からなかった『銀河鉄道の夜』の「テーマ」を考えるべく今回、改めてこの本を読んでみました。
ジョバンニの旅
簡単に言ってしまえば『銀河鉄道の夜』は、主人公ジョバンニの旅の物語で、旅の過程での深い経験がジョバンニの再生につながるというものです。
銀河鉄道に乗る前のジョバンニは、内向的で空想好きな少年でした。
母親が病気で寝込み、父親が行方不明のため家は貧しく、学業と同時に新聞配達と活版所で働かなくてはなりません。
らっこを密猟して投獄されていると噂された父親のことで、ザネリ達にいつもからかわれ仲間外れにされています。
活版所の大人にも冷たい言葉を掛けられて、一人、孤立していました。
唯一、幼馴染で友人のカムパネルラとも疎遠にしていますが、彼は、朝夕の仕事で気がそぞろなジョバンニが、授業で答えられないでいるとジョバンニを庇うために答えを分かっていても黙っていたり、同級生がジョバンニをからかうときも気の毒そうにして彼だけが、ジョバンニを気に掛けてくれます。
そんな孤独を抱えたジョバンニが、星祭りの夜、カムパネルラとともに銀河鉄道の旅に出ます。
そこで出会う人々は皆、それぞれの思いを抱えつつジョバンニに何かを与え、去って行きその、出会の中に次々と生きる意味を発見いていきます。
そして、物語の後半のカムパネルラの死という出来事をきっかけにジョバンニは、「本当の幸せを」求めて生きていくことを決意するのです。
賢治が伝えたかったこと
『銀河鉄道の夜』で賢治が伝えたかったことは、物語に何度も出てくる「ほんたうの幸(本当の幸せ」とは何かというのを考えることです。
銀河鉄道の旅で出会った人や乗客・大学士、鳥捕り、灯台守、水難事故の死者達の寓話的なエピソードで、ジョバンニは、徐々に「本当の幸せ」とは何かというのを意識していくようになります。
鳥捕りの様子に、ジョバンニは気の毒でたまらなくなり「もうこの人のほんたうの幸(さいはひ)になるなら自分があの光る天の川の河原に立って百年つゞけて立って鳥を捕ってやってもいゝ」というような心境になりました。
そして、ジョバンニが旅の終着には「もう僕は、本当にみんなの幸せのためならば、あの蠍のように、体を100ぺん焼かれてもかまわない」という境地になっていたのです。
旅で導き出しだ「本当の幸せ」とは、「皆の本当の幸せ」で、大好きなカムパネルラと一緒にその幸せのためにどこまでも行きたいと強く願っていたのです。
しかし、そう思った瞬間にカムパネルラが消えてしまいました。
カムパネルラが消えた悲しみのうちに目覚めたジョバンニは、直ぐにカムパネルラが命を犠牲にして友達を救った事実を知ります。
人の命を救ったカンパネルラの死によって、ジョバンニは銀河鉄道の旅が何を意味していたのか気づくのです。
銀河鉄道の旅で得たことは、カンパネルラのように自分を犠牲にするとまではいかなくても、「他者への思いやり」ではないかと思います。
「本当の幸せ」とは、「自分の幸せだけを考えるのではなく、皆の幸せを考えることだ」いうことに至ったのです。
これは、賢治が信仰した『法華経』を通して学んだ大乗仏教の「一人は全体のために、全体は一人のために」という自利利他の原理つまり、「世界全体が幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない」という精神です。
それは、『よだかの星』など他者のため死んで行く者の話が多い賢治の作品に貫かれているテーマで、『銀河鉄道の夜』でも描かれているテーマです。
「自分よりも他人を思いやり、見返りを期待しない」私になりたいと『雨ニモマケズ』で遺しているように、「他者への思いやり」が実際、私利私欲なく人のために生きた賢治の生涯を貫いたテーマでこの作品にも反映されています。
ジョバンニの切符が、往復切符の訳は?
ジョバンニの乗った銀河鉄道の乗客は、ほとんどが、「死んだ者達」です。
乗客の多くは、他人のために自らの命を捧げた人々で、その者達を天界へと導くのが「銀河鉄道」です。
「現生→天界(死の世界(=銀河)」
という「片道切符」しか持たない乗客の中で、唯一死者ではないジョバンニだけは、
「現生⇔天界」
という往復切符「どこへでも行ける特別な切符(どこでも勝手にあるける通行券)」を与えられます。
銀河鉄道に乗れた者は、カンパネラのように他人のために命を捧げた人々なので、まだ生きて、誰かのために命を捧げたことのないジョバンニはこの列車に乗れないはずです。
でも、ジョバンニが、銀河鉄道に乗ることが出来たのは、一つは、カンパネラや他の同級生と異なり、家計を助け、母の世話をするために友達と遊ぶことも出来ないジョバンニの境遇にあったのではないかと考えてみました。
ジョバンニが、他の子ども達のように自分のことだけを考えて生活をするのではなく、自分を含めた家族のために「みんなの幸いを」求めることが出来る一番近い立場にいたからです。
大切な人の遺志を受け継いで、現実の世界に戻り賢治の「人のために生きたい」という強い願望をジョバンニに託したのです。
往復切符を手にしたのは、現実世界へと戻り、生きて、「ほんとうの幸せ」という理想を実現するためだったのです。
もう一つは、ジョバンニが、父親不在の中、昔の思い出に生き、学校の友達や職場の仲間から疎外されていてもその境遇を受け入れるという「消極的」な生き方をしていたからというのがあります。
銀河鉄道の旅で、様様な生き方をした人達との出会い(魂のふれあい)を通して変わる(逆境を跳ね返す)きっかけをジョバンニに与えたかったのです。
銀河鉄道の旅の後には、ジョバンニは、カンパネラの亡くなったその場所で、父が間もなく帰ってくることを知らされ、喪失とともに殻に閉じこもっていた過去の自分と決別し、これから「積極的」に生を謳歌する希望を与えらています。
問いかける物語
ジョバンニが、「ほんとうにあなたのほしいものは一体何ですか」と鳥捕りに尋ねようとしたり、カンパネラの「誰だって、ほんとうにいいことをしたら、いちばん幸せなんだねえ。だからおっかさんは、ぼくをゆるして下さると思う」
とその人にとって「いいこと」が、何だかを考えて行動することも作品では示唆しています。
水難事故の青年が「他の乗客の命を奪って生きるよりも自らの命を犠牲にして、他者を助ける」ことが本当の幸いと考えたようにジョバンニは、まだ自分の信じる道が定まっていません。
「ほんたうの幸」を漠然と描いているいるものの、それが何なのか見つけられていないのです。
ジョバンニのとって「ほんたうの幸」を探すことやそれを問い続けることがジョバンニのこれからなのだと思います。
『銀河鉄道の夜』は、賢治が28歳で初稿を書き上げてから37歳の生涯を閉じるまで、3度も推敲を繰り返し、結局、生前には発表されなかった未完成の童話です。
終わり方も、あっけなくその後のジョバンニがどうなったのか気になり、そういう問いかけをも読者も残しているのです。
それにしても、「銀河鉄道の夜」って小学校の教科書にあったのかなあ?
あったとしても当時は、全く理解していなかったと思うしこんな難しいテーマを子ども達にどうやって教えるのだろうか
もし、教科書にあったら国語の授業を受けてみたいな。
しぼり菜リズム
『銀河鉄道の夜』を再読して、単なるメルヘンの物語ではないということが分かりました。
『銀河鉄道の夜』では、賢治が生涯問い続けた「人のために生きること」や「幸せは、何か」というのがテーマになっています。
『銀河鉄道の夜』は、ジョバンニが、「幸せは、何か」を意識するようになった「精神の旅路」であり、ジョバンニの「再生」の物語でもあります。
何よりも親思いで優しくて、誰よりも人の痛みを知っているジョバンニ少年には、物語のその先で幸せの人生を送って欲しです。