古関裕而
朝の連続テレビ小説『エール』NHKで改めて、主人公のモデルになった古関裕而の曲に触れその素晴らしさを発見しました。
これからに期待。『スカーレット』派の私が見るNHK連続テレビ小説『エール』
実は、今まで古関裕而といえば子どもの頃『家族対抗歌合戦』の審査員で、よく拝見していてこんな偉大な作曲家だったなんて知らなかったのです。
子どもの頃は、「偉そうな人」イコール「偉い人」だと思っていて
番組では、この人怒ることがあるのかしらというくらいいつもニコニコしているどこにでもいるお爺ちゃんという感じで、歌が、下手な出場者がいても決して、悪く言うことはありませんでした。
審査委員長だからその道の重鎮だったと思いますが、そんな素振りが全くなく柔和な表情、朴訥とした語り口といい大物ぶらない正に人格者だったのですね。
『エール』で聞いたりや色々と調べてみて物心ついた頃から聴き慣れた曲ばかりで、誰もが知っている、この曲もあの曲も古関裕而の作品だったのかと本当に驚くばかりです。
天才作曲家
古関裕而は、「天才作曲家」です。
音楽好きの父親の蓄音機から流れる民謡や浪曲、吹奏楽を聴いて育ち、10歳のとき母親が買った卓上ピアノで作曲を始めました。
クラスメイトが、詩を持って古関に作曲を依頼してくるようなり作曲にのめり込んで作曲家の道を志していきます、作曲は、ほぼ独学です。
(独学で、音楽理論を習得。教科書は、山田耕筰の簡易作曲法)
古関裕而が、何故、天才かというと独学で作曲を習得したここと小説を書くように作曲をしていたということです。
「テーマや詩を前にしてその状況を浮かべると音楽がどんどん、頭に中に湧いてくる」
というようにピアノやギターの楽器も使わず曲を頭のなかで作ることが出来たようで、五線紙とペンだけで作曲していくのです。
一度聞いた曲の譜もすぐに再現出来て、交響曲でさえ頭の中で作曲したといいます。
このように生涯で、5千曲というとてつもない曲を作り残していったのです。
調べてみると私の大学の第3応援歌の作曲が古関裕而でした。
その他『エール』関係でいくと小学校の校歌の作曲が、藤山一郎(柿澤勇人役)で、大学の第一応援歌の作曲が古賀政男(野田洋次郎役)、他に、山田耕筰(志村けん役)、学生歌の作詞が、野村俊夫(中村蒼役)が関わっていました。
国民的作曲家
古関裕而は、クラッシックに傾倒しクラッシックの作曲家を目指し、組曲「竹取物語」がイギリスの国際コンクールで入賞しました。
「ロバート・シューマン古関勇治(本名)、私の恋しきクララ・シューマン内山金子」と声楽家を目指す妻金子との文通では、憧れのシューマン夫妻に例えて愛情を表現していたほどです。
ちなみに妻金子とは、4か月で百通を超えるやり取りをして金子の「私の初めての恋で、最後の恋にします」と結婚しています。
古関は、西洋音楽にこだわってクラッシックを続けたかったのですが、経済的に破綻した実家を援助するため、生活費を賄うためにコロンビアに入社して歌謡曲、いわゆる「流行歌」を書くことになったのです。
だから当初は、クラッシックの作曲家というのが根底にあって、流行歌との狭間で「船頭可愛や」(1935年発売 音丸、作詞:高橋掬太郎)までヒット曲を生み出せませんでした。
「船頭可愛や」は、クラシックの素養があるから民謡調でありながら全体的に格調が高い独特の旋律になりましたが、ギターやマンドリンを入れた庶民的な曲の古賀政男に比べて取っつきにくく、この格調の高さがネックになって直ぐには売れなかったようです。
でも、生活のためにクラッシックから大衆音楽に舵を切ったことで、私達に馴染みのある音楽が生まれ、多くの人に愛される「国民的作曲家」が誕生したといえるでしょう。
戦時歌謡
戦時中の古関は、数々の「戦時歌謡」を発表しました。
露営の歌(1937年発売 霧島昇 作詞:薮内喜一郎)
若鷲の歌(1943年発売 霧島昇・波平暁男 作詞:西條八十)
暁に祈る(1940年発売 伊藤久男 作詞:野村俊夫)
愛国の花(1938発売 渡辺はま子 作詞:福田正夫)比類なき美しさ
どれも悲し気で哀愁を帯びた切ない旋律で、軍歌を超えた名曲だと思います。
当時は、戦争に協力しなくてはならないということで作りましたが、「戦意高揚」だけではなく戦場での兵士が故郷を思う気持ちや、その兵士達を見送る者に対する庶民の悲しみを時代と妥協しながら作ったのだと思いました。
中には、詩が変われば賛美歌のような崇高な曲もあり、複雑な感情で胸が痛くなります。
プロ中のプロ
古関裕而は、注文さえあればどんな曲でもクライアントのイメージ通り作り上げる職業作曲家という「プロ中のプロ」です。
校歌、社歌、自治体歌、応援歌、行進曲などのスポーツ音楽、軍歌、歌謡曲、モスラの歌などの映画音楽、ミュージカル、オペラと縦横無尽に幅広いジャンルのとてつもない数の曲を作り続けてきました。
軍事歌謡曲も軍部に頼まれて、作ったという事情があります。
「巨人軍の歌~闘魂込めて」(1962年発売守屋浩・三鷹淳・若山彰)と「大阪タイガースの歌」(1936年中野忠晴 作詞:佐藤惣之助)
「紺碧の空」(1931年 早稲田大学第一応援歌 作詞:住治男)と「我ぞ覇者」(1946年 慶応義塾大学応援歌 作詞:藤浦洸作詞)
ライバルチームの「阪神と巨人」「早稲田と慶応」両方の曲を書いていて職業作曲家として徹してしたのだなあと思いました。
「紺碧の空」は、最初の世に出た流行歌で、後の「オリンピック・マーチ」「スポーツ・ショー行進曲」などスポーツ音楽の原点となった古関にとって記念すべき曲です。
古関は、日本人の感性をよく見ていて、日本人の心情を作曲で表現しています。
だから、大衆の心を捉えただと思います。
職業作曲家としてその時代を象徴している日本人の感性を曲にして、それを流行歌として消費されるだけではなく「文化」の領域にまで定着させた作曲家でもあるのです。
私のベスト3
改めて、古関裕而の代表的な曲を聴いてみてその中で、私の「ベスト3」を選んでみました。
聴けば聴くほどどの曲もいいのですね。
3位★イヨマンテの夜
イヨマンテの夜(1949年発売 伊藤久男 作詞:菊田一夫)
「イヨマンテの夜」、「高原列車は行く」(1954年発売 岡本敦郎 作詞:丘 灯至夫)、毎年夏の甲子園に流れている高校野球大会歌「栄冠は君に輝く」(1948年 伊藤久男 作詞:加賀大介) の3つから迷いに迷って選びました。
藤山一郎、伊藤久男、岡本敦郎、渡辺はま子など古関メロディーを歌う歌手に恵まれて、音大や芸大などで、本格的に声楽を学んで皆さん、歌が、上手なのです。
「イヨマンテの夜」の伊藤久男のバリトンの圧倒的な歌唱力と力強さの中に叙情溢れる歌声に、子どもの頃に釘付けになった記憶があります。
改めて、聴くと表面をなぞるだけではない歌い方とドラマ以上にドラマを感じる曲そのものに心を鷲掴みされます。
2位★★オリンピック・マーチ
オリンピック・マーチ(1964年)
言わずと知れた「東京オリンピック」のマーチです。
6年間小学校の運動会の入場行進にこの曲が使われていたので、この6/8拍子のマーチが掛かると思わず右手左足が出てしまうようです。
古関は、日本で行う最大のスポーツの祭典の曲に雅楽、邦楽などの日本的なものを取り入れたかったそうですが難しく、日本的な旋律はいったん忘れて作ったそうです。
ただ、最後の部分に「君が代」をアレンジさせたものを取り入れているのが彼のこだわりだったと思います。
1979年のNHKラジオのアーカイブの本人談で、オリンピックマーチは、自身の音楽の集大成として最高のものを書くことが出来たということです。
英雄たちの選択「昭和に響いた“エール”~作曲家・古関裕而と日本人~」BSNHKでは
古関にとって東京オリンピックの行われた「国立競技場」は、戦後復興を象徴する晴れやかな舞台と同時に戦争の影を落としている場所であったというのがありました。
1943年同じこの国立競技場で「学徒出陣」の壮行があって、それを古関は、知らないはずはないというのです。
古関は、戦時中「暁に祈る」を予科練の募集歌として作っていて、この歌に感化されて予科練に入隊した人も多くいたはずです。
予科練は、8割が戦死しているので、同じ地で行われるオリンピックの曲は、大戦で亡くなった人達の「鎮魂歌」という意味合いもあるのではないかというのです。
1位★★★長崎の鐘
長崎の鐘(1949年発売 藤山一郎 作詞:サトウハチロウ)
この鐘は、被ばくした教会から掘り出された鐘で、自ら長崎で被ばくしながら救護にあたった医師を歌った歌です。
原爆で亡くなった人々の鎮魂の歌であり、戦後、日本人が復興する象徴的な歌であると思います。
テノールの美しい格調のある歌声の藤山一郎が、よりこの曲を香り高く昇華させた感じです。
直立不動で、朗々と歌う藤山一郎は、子どもの頃、随分、品のある真面目なおじ様だなあと思っていました。
悲しみに満ちた「短調」音階に始まり「長調」に転じるところが劇的で(ここ好き!)、原爆で打ちひしがれた人々が絶望から明るい未来に立ち上がっていくようです。
戦時歌謡を作った悔恨もあり戦後は、この歌のように音楽で、人々の背中を押して心を照らしていったのだと思います。
【参照】
- 昭和歌謡の巨星たち 作曲家古閑裕而~国民への応援歌~ BSテレビ東京
- 英雄たちの選択「昭和に響いた“エール”~作曲家・古関裕而と日本人~」BSNHK
- 声でつづる 昭和 人物史 古関 裕而・こせき ゆうじ「人生読本・旅と歌」1979年4月2日~4日放送 ラジオアーカイブス・NHK カルチャーラジオ
しぼり菜リズム
昭和とともに運命を共にし、人々に寄り添った曲を生涯に渡って作り続けた古関裕而は、「日本の宝」だと思います。
この歌もあの歌もそうだったのかというくらい馴染のある曲ばかりで、今も色褪せていません。
現代人の心の琴線に触れるメロディーは、今聞いても新鮮で、不朽の名曲だと思います。
今回、ドラマ『エール』で再評価された「古関メロディー」の素晴らしさを改めて実感することが出来ました。