広島のばっちゃんと岡崎のおじちゃん
岡崎に「おじちゃん」と広島に「ばっちゃん」子ども達から慕われる素敵な人がいます。
広島のばっちゃん
まずは、「広島のばっちゃん」から。
以前見たNHKのドキュメンタリー番組で気になっていたのが、子ども達を非行から守るために40年間食事を提供し続けているの広島市のばっちゃんこと中本忠子さん(以下「ばっちゃん」)です。
元保護司で毎日、市営住宅の自宅で多いときには3 升のお米を炊き、少年少女3〜10人に無償で食事を提供しています。
ばっちゃんは、いわゆる「子ども食堂」のさきがけみたいなことを長きに渡りやっているのです。
ばっちゃんさんの自宅は、貧困家庭や虐待、ネグレクトなど様々な境遇にいる子ども達や非行に走って少年院に入った子、問題のある子達のたまり場となっていました。
ばっちゃんのお宅にご飯を食べに来るのは、いずれも家で満足に食事が取れずにお腹を空かせている子ども達です。
ばっちゃんは、保護司やPTA関係の活動を通して、キレれる子というのは大体空腹で、お腹が空いていると「犯罪」に結びつきやすいと考えていました。
「空腹」が少年たちを非行に走らせてしまうと分かっていたから、お金のない子ども達に自分の「生活費」と「貯金」を切り崩して食事を与え続けました。
「満腹になると気持ちが落ちつき、いらいらしない、キレれない。」と腹が減ったら家へ来るようにと子ども達を招いていました。
テレビでのばっちゃんは、よく親子丼を作っていました。
温かい親子丼やご飯を作り食べさせて話す場を与え、多くの子どもが立ち直っていくのを40年支え続けたのです。
岡崎のおじちゃん
広島のばっちゃんもすごいけれど愛知県岡崎市のおじちゃんもすごい人です。
「おじちゃん」こと、愛知県岡崎市にあるお寺の住職の廣中邦充さんは、夫婦で非行や虐待、いじめ、薬物依存などで親元で暮らせなくなった子ども達を預かっています。
お寺はまさに「駆け込み寺」で、問題のある子をお寺で無償で預かり面倒を見て更生させてきたのです。
私は、『ザノンフィクション』というテレビのドキュメンタリーで知りましたが、ネットにも沢山その功績は紹介されているの是非、調べて下さい。
お寺で、訳アリの子たちを沢山、預かってきましたがその「生活費」や「食費」は、自身の講演料や奥さんが看護師をしていて稼いだお金で賄っていることです。
テレビでは、子ども達に掛かる食費が月50万円と言っていましたが、普通の家庭でさえも食べ盛りの子どもの食費を賄うのは大変なのに大勢の子ども達の胃袋を賄ってきたのは、奥さんの功績も大きいです。
おじちゃん自身も元ヤンキーで警察にも何度もお世話になっていて、だからこそ問題のある子ども達の気持ちに寄り添えるのです。
沢山の子ども達を預かった経験から一見、無邪気に仲間とじゃれ合う少女の危うい心も見抜いてしまいます。
親の愛情が足りない目の前の子どもと正面からぶつかりどつきます。
どついた後には、ハグをして…。
血のつながらない子どもと自分の全てを出して立ち直るまで、とことん付き合います。
安心の拠り所
40年以上、200人以上の子ども達を「温かいご飯」で支えた中本さん。
「空腹」の子ども達は、愛情に飢えています。その飢えには、温かいご飯がいいのです。
お腹が満たされた後のたわいもないおしゃべりに子ども達は、気持ちが落ちついていきます。
そして、苛立ち、キレそうになる心が抑えられる。
400人近くの問題のある子ども達に無償で、衣食住を提供して寝食をともにする廣中さん。
どんな言葉よりも「居場所」や「食事」を提供することは、心に傷や問題のある子ども達にとって、安心の「拠り所」があるということになります。
その拠り所によって、人は更生していく機会を得るのだなあと思いました。
ばっちゃん、おじちゃんの現在
広島のばっちゃんは、現在84歳です。近所の人々が調理を手伝ってくれるようになり、食費を集めるためのバザーに出す物を持ち寄ってくれるようになります。
広島市から財政支援も受けられるようになり、地域の人達も協力して子ども達に食事を振る舞い続けています。
一方おじちゃんこと廣中邦充さんは、2019年4月に肺がんで道半ばで亡くなっています。
とても残念ですが、お葬式ではお世話になった子ども達が大勢参列して、おじちゃんの人柄を偲ばせ少しほっとしました。
長きに渡りお疲れ様でした。ご冥福をお祈りいたします。
しぼり菜リズム
血のつながりのない子ども達のために、衣食住を提供したり毎日、台所に立ち続けることは誰もが出来ることではないと思います。
何十年の長きに渡り、手弁当で子どもたちを支え続けてきたことは、並大抵なことではないのです。
そんなことをごく普通に当たり前のことのようにやってこられたお二人は、それを「無償の愛」だなんて思っていないのではないでしょうか。
ばっちゃんやおじちゃんが身近にいたら起きなかったであろう「少年犯罪」も沢山あるのではないかと思ってしまいます。