容態が、悪くなる
父は、昨年の10月27日から「305号室」に移りました。
305号室は、療養病棟の中でも重症の患者が入院している部屋です。ナースステーションが近くにあり、頻繁に看護師が様子を見に来てくれます。
6月に転院してきたばかりの頃、「誤嚥性肺炎」になり7月中旬くらいまでその病室に入っていました。そのときは、「経鼻栄養」も中止になり「点滴」だけになりました。
肺炎が治って、経鼻栄養が再開され、点滴が取れるとナースステーションより遠い比較的元気な人がいる部屋に移ることが出来ました。
その部屋にいる間は、ベットの上でリハビリをしたり、食事(ヨーグルトやゼリー)を食べたり、車椅子に乗ったりしていました。
ところが、10月27日に熱、喉の痛み、気持ち悪くなり305病室に再び移りました。
305号室に移ってからは、口から食べる食事と経鼻栄養は再開されることはありませんでした。熱、痰で2週間抗生剤入れた点滴をしていました。
経鼻栄養を止める
病棟で、比較的重症患者が入る「305号室」に父が入ってから、生きる綱は細い静脈から入れる「皮下点滴」だけになりました。
経鼻栄養も気持ちが悪くなったり、逆流して誤嚥性肺炎になるリスクを考えると本人のためにしない方がいいということでしていません。
喉についている菌の検査で、抗生剤が効かない「MRSA」や「緑膿菌」が出ました。
(これらの菌を保菌しているということで、感染症にはなっていないというだったと思います。)
肺にも「菌」があるということでした。何の菌があるとか詳しくは、聞きませんでした。
肺に菌があると誤嚥したとき肺炎になるリスクが高くなる。
また、レントゲンでも、右肺汚い白っぽくて胸水溜まっている可能性があるので、誤嚥したときは肺炎になりやすいということです。
そして、肺炎になっても抗生物質効かないということで、経鼻栄養はもうやらないということでした。
以前行っていた太い血管から栄養を入れる「中心静脈栄」も敗血症のリスクがあるので、やらない方がいいということです。
一度敗血症になると再発しやすいということで、3月に敗血症になった父にはリスクが高いのです。
低栄養状態になる
10月下旬から経鼻栄養を止めて、点滴のみになりました。
点滴は、「水」と「電解質(イオン)」を主な主成分したものです。
経鼻栄養で900カロリー~1200カロリーくらい摂っていたいた栄養が、点滴で、500㎖を1日1本で生きるために必要最低限になりました。
1日500㎖の点滴をすれば3ヵ月は生きられますが、点滴の針がいつまで入るか分かりません。
「低栄養状態」になり、免疫力が低下した体を容赦なく襲ったのでしょう。
11月15日くらいから「帯状疱疹」が右額から頭にかけて出て、瞼の上も水泡の痕が黒っぽくなって痛々しく見えます。
点滴と格闘
父は、手や足、点滴が出来そうなあらゆるとことから点滴の針を刺して行っていましたが、針が入る場所がなくなってきました。
父は、元々、血管が糸のように細く針を刺す看護師も苦労していました。
可能性のある静脈を探して点滴の針を刺しますが、入らなくて看護師が3人掛かりで「血管探し」に格闘しているときもありました。
静脈に針を入れるのに重要なことは、どの血管を選ぶかによるようです。入りやすそうな血管をいかにして見つけ出すかが、成功の鍵で点滴が得意な看護師がやるとうまく入ります。
足の親指にも点滴の針を刺していたときもありました。
主治医からは、自分では出来ない、ベテラン看護師でないと入らないと言われ、担当する看護師が点滴が出来ない日はやらなくなりました。
足や手などあんかを当てて温めてやっと入っても静脈の壁が弱いので点滴が、漏れてしまいます。点滴が漏れると父が痛がるので、看護師を呼んで点滴を抜いてもらいます。
栄養状態も悪く、浮腫みが強く血管の状態も脆弱です。右手の甲が、点滴の痕で「内出血」し腫れ上がっています。
それでも、父は生きたくて点滴を望んでいます。
点滴が出来ない日は、主治医と口裏を合わせて「寝ている間に終わった」と誤魔化していましたが父は、点滴をしていないことが分かるようで怪訝な顔をしていました。
高齢でもこの世に未練はたっぷりあります。
秒読み段階になると恐怖、寂しさ、無念との闘い。家族との別れの辛さ。このような「魂の痛み」は、体の痛み以上と想像に難いです。
点滴が、入らなくなった
点滴が入る日と入らない日があり、更に栄養が不足して頬がやつれてきました。
それでも頭はしっかりしていて、こちらが話しければ少し答えます。
目は覚ましていていますが、こちらをただじっと見てることが多くなりました。必ず、今日は何曜日、今何時、早いねというようなことを会いに行くと聞きます。
「(遅くなるから)もう帰っていいよ」と気を使ってくれます。
しかし、1月9日くらいから点滴が、全く入らなくなりました。
10日に父が、点滴をやりたがっていたので、主治医が鎖骨下の太い静脈にもやってみたが無理でした。
血管内が、脱水してドロドロになっている。血管内の空間維持が出来ない。血液の状態が、よくないのです。
12月は「帰るね」と言うと父は布団から手を出して握手をし、その手にはまだ力がありました。しかし、この頃は、握り返す手が弱々しくなっていました。
全身状態が、悪い
お正月後は、詳しい検査はしませんが、「脳腫瘍(髄膜腫)」の影響で、「静脈洞浸潤」が起こっていた脳内の血液の流れも平和でないかもしれないと言われました。
高齢の父の「脳腫瘍」の手術の事前説明で、聞いたこと。説明を受けるときのポイントも
低蛋白血症、心不全、胸水が溜まるなど父の身体に追い打ちを掛けます。
「心臓」と「脳」は機能しているが、全身はガタガタだったようです。このような状態で、生きている、意識があるのは珍しいと主治医から言われました。
例え点滴が出来たとしてもその成分が、もう回らないということです。
尿も出なくなりました。薬は、てんかん予防薬を座薬で入れているそれ以外は、毒になるので使っていないということです。
カロリーの低い点滴をずっと続けていると低栄養になり、水分だけが身体に入ることになります。
その水分を身体が処理できなくなって、ひどい浮腫みが出たり、胸やお腹に水がたまったり、痰が多くなって本人が、苦しむことになります。
末期の水
年が明けてから尿も出なくなり、全体的に脱水気味で枯れていくような感じになってきました。
1月8日には、入浴をしてさっぱりしたようですが、久しぶりの入浴なだったので疲れたみたいでした。これが、最期の入浴になりました。
1月10日に、点滴を外しました。
乾いた口と唇を湿らせるために水で、湿らせた綿を当てるといいと言われました。ペットボトルの水を買ってきて、家族が行って下さいということでした。
水をガーゼに含ませて、「末期の水」を取るようです。(本来は、亡くなってから行う)
この水でもむせてしまい、誤嚥する危険はあるそうです。
しぼり菜リズム
点滴を外して、2日ほどで父は息を引き取りました。
亡くなる前日は、大好きなテレビの画面を目で追っていましたが、帰り際にバイバイと手を振ってもあまり反応しませんでした。もう、発語も出来なくなりました。
結果的に点滴の針が入らなくなったので、過剰な点滴せずに枯れるように亡くなったかと思います。
家族は、臨終に立ち会えませんでしたが(母が聞いた)当直医の話で、父は、安らかに眠ったようでした。
死因は、「心不全」です。