上野の東京都美術館で行われている『没後50年 藤田嗣治展』(主催東京都美術館朝日新聞社、NHK、NHKプロモーショ)ンへ行きました。
画家藤田嗣治(以下藤田)の質、量ともに史上最大規模の回顧展で、国内外から集められた初藤田作品100点以上が展示されています。
私にとって、藤田嗣治は「エコール・ド・パリ」や「モンパルナス」に関連する作家の絵を見に行くとよく名前を耳にする作家です。
そして、マッシュルームカットと丸眼鏡の出で立ちのインパクトのある自画像と猫の絵のイメージが強かったです。
でも、公開される作品が今まであまりなく、実際の絵に触れる機会はありませんでした。
このように私にとって藤田作品は、知っているようで知らない秘密のベールに包まれていました。
その藤田の作品をこれだけの多く見る機会はめったにないと思い今回、(たまたま、館内で知人の写真展があり観に行く約束をしていたので、これは運命だと思い)見に行きました。
展覧会は、8章構成になっていて、初期から晩年まで時系列で藤田の絵を追いながら藤田のストーリーに触れることが出来ます。
第1章、第2章
第1章「原風景・家族と風景」では、藤田が東京美術学校(現東京藝術大学)に在学中の明るく柔らかな作品などが展示されています。
第2章「はじまりのパリ・第一次世界大戦をはさんで」は、日本からパリに渡り、静謐で哀愁を帯びた風景画を多く描きます。
第3章、第4章
第3章「1920年代の自画像と肖像・『時代』をまとうひとの姿」
トレードマークの丸眼鏡とおかっぱ頭のどこかキャラクター化した藤田の自画像です。『自画像』(1929年 国立近代美術館蔵)
このように、自分をPRする術を知っている?パリっ子の間でも有名になりました。
墨を使い面相筆で描く様子の自画像ですが、これで日本的技術を取り入れた独自の画法を確立します。
「第4章『乳白色の裸婦』の時代」
1920年代の藤田の最盛期の作品群『乳白色の裸婦』です。繊細さと柔らかさ、透明感のある肌が艶っぽい乳白色の裸婦をここで、堪能出来ます。
浮世絵を参考にして筆と墨を使い東洋的な技法を取り入れ、今までになかった透明感のある色を使って独自の技法を生み出していくプロセスを見ることが出来ます。
それが「乳白色の下地」で、作品を追うごとに乳白色の下地がより美しく完成度が高められていきます。
乳白色の下地は、近年、絵が修復されたときその秘密が解き明かされ、和光堂のシッカロールなども下地に使っていたそうです。
乳白色の下地を最も効果的に生かせるモチーフが裸婦像で、この裸婦の絵がパリで熱狂的に支持され藤田は、フランス画壇の寵児になります。
『バラ』(1922年 ユニマットグループ蔵)
花瓶の縞模様と伸び上がった薔薇の茎は、繋がって連続性があります。花瓶の下の装飾的なクロスの植物との対比が面白いです。
第5章、第6章
「第5章 1930年代・旅する画家・北米・中南米・アジア」
世界恐慌後に絵画の値段が暴落し、経済的にも家庭生活も破綻した後、藤田は北米、中南米、アジアへ旅をしながら異文化と触れ合い様々な国の人を描いていきます。
乳白色の肌から一転し色鮮やな作品は、素早く描ける水彩画が多いです。
『裸婦マドレーヌ』(1934年 大阪リーガルホテル蔵)この愛人マドレーヌと諸国を旅をしました。藤田は、生涯5度の結婚をしています。
「第6章 『歴史』に直面する・二度目の『大戦』との遭遇、そして作戦記録画へ」
フランスで大成功を収めた藤田は、日本では美術界からの嫉妬と反発に会い受け入れられない存在でした。
日本に帰国してから日本に擦り寄るために軍部に協力して、「戦争画」を描きます。
初期は、写実的な写真のような戦争の絵でしたが、ドラクロワ(「民衆を率いる自由の女神」)、ベラスケスなどの芸術としての歴史画を参考にして単なる戦争記録画から一線を画すようになってきました。
それが、『アッツ島玉砕』(1943年、東京国立近代美術館)です。
藤田は、この絵で自分の才能を発揮出来ることを発見し、力量を存分に発揮しました。193.5×259.5㎝とサイズが大きく圧倒的な存在感と、そのエネルギーに立ちすくんでしまうほどでした。
藤田にとって戦争画を描いたこの時期だけ、唯一、日本の認められ日本に初めてシンパシーを感じたのではないかと思います。
第7章、第8章
「第7章 戦後の20年・東京・ニューヨーク・パリ」
日本で軍部に協力して、戦争画を描いたため藤田の運命は変わります。
終戦を迎えると戦争画を描いた藤田は、戦時中の国策協力を糾弾され失意の中、日本を去ります。
パリに戻る前のニューヨークで、フランスへの入国許可を待つ間に描いたのが藤田の代表作『カフェ』(1949年、ポンピドゥー・センター蔵)です。
魅惑的な黒のドレス、もうすぐ戻るパリへの期待と不安を漂わせているとされています。
パリに戻ってから、藤田はパリの街並みや子どもたちを描きました。表情のない子どもの絵は、実在するモデルがいる訳ではなく藤田の心の中の子どもです。
「第8章 カトリックへの道行き」
戦後日本に失望した藤田は、1955年にフランス国籍を取得し1959年にカトリックの洗礼を受けて「レオナール・フジタ」としてキリスト教をテーマにした作品を多く手掛けました。
晩年の代表作『礼拝』(1962-63年 パリ市立近代美術館蔵)修道士の服装で聖母に祈りを捧げる藤田と君代夫人、背後の晩年を過ごしたヴィリエ=ル=バクルの家が描き込まれています。
この頃の作品のサインは、洗礼名の「Léonard・Fujita」。作品のサインも「嗣治・Fujita」と漢字とローマ字併記から戦後「Fujita」とへと変化して心境の変化が伺えます。
晩年は自己の信仰と向き合い宗教的作品に残して、パリの地で日本に一度も戻ることなく骨を埋めます。
今回の展示会の関連番組特集『よみがえる藤田嗣治~天才画家の素顔~』(NHK)日曜美術館『知られざる藤田嗣治~天才画家の遺言~」(NHK Eテレ)を併せて見たので、藤田嗣治の人物像とそれぞれの絵の背景を知ることが出来ました。
藤田の人生
初期から晩年までの足跡を通して、藤田の絵や人生の変遷が分かります。
フランスでの成功の半面、日本美術界からやっかみや嫉妬で認められず受け入れてもらうことが出来ませんでした。
戦争画を描くことで故郷「日本」に擦り寄りましたが結局、日本に見捨てられてしまいます。そんな埋められない寂しさは、フランスでも埋められなかったのではないかと思います。
日本人でもフランス人でもないデラシネの居場所は、常に絵の中にあったと思います。
藤田は、1日の大半を精力的に作品制作に捧げて、常に技術の高みを目指す努力をしていきます。その飽くなき制作意欲で、独自の画風を生み出していきこの展覧会では、その過程を見ることが出来ます。
明治、大正、昭和の時代を、画家として生き、全うした人生だと思いました。
しぼり菜リズム
今回、館内で待ち合わせの時間があり、1時間ちょっとのやや早足の感じで見ました。
時間に余裕があれば2時間くらい掛けて、1点1点じっくりと説明を読みながら藤田の世界にどっぷりと浸かりたかったです。
とにかく、1時間では物足りないほど作品が多く、充実した内容でした。順回路に数か所ソファーがあるので、疲れたら座りながら少し離れて作品群を眺めることが出来ます。
平日の午後だったので、当日券も並ばず購入出来ました。
人気の作品の前には人が集まっていましたが作品の展示スペースに余裕があり、特に混雑もなくスムースに見ることが出来ました。
■東京都美術館
- 東京都台東区上野公園8-36
- TEL 03-3823-6921(代表)/ FAX 03-3823-6920
- JR上野駅「公園口」より徒歩7分
■『没後50年 藤田嗣治展』
- 日時:2018年7月31日(火)~10月8日(月・祝)
9:30~17:30(入室は閉室の30分前まで)
夜間開室金曜日は9:30~20:00(入室は閉室の30分前まで) - 会場:企画展示室
- チケット:前売券 | 一般 1,400円 / 大学生・専門学校生 1,100円 / 高校生 600円 / 65歳以上 800円 当日券 | 一般 1,600円 / 大学生・専門学校生 1,300円 / 高校生 800円 / 65歳以上 1,000円
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