78歳の父は脳腫瘍の手術をしてリハビリ病院に入院しています。
高齢の父の「脳腫瘍」の手術の事前説明で、聞いたこと。説明を受けるときのポイントも
脳腫瘍の術後、父はリハビリ病院に転院。転院した事情やリハビリ病院で行うことなど
その父の主治医から先週話が、ありました。
看取りか延命か
主治医の話は、「看取り」か「延命」かを家族で話し合って1週間後までに決めて欲しいとのとでした。
1週間のタイムリミットというのは、今の状況では高い栄養を補給することが出来ないので、このまま「低栄養状態」が1週間以上続くとよくないということで決められた期限です。
主治医は、父の「点滴」や「経鼻栄養」が限界に来ているので、それを止めて何もやらないか、他の方法で栄養を摂る「人工栄養」にするか決めて下さいということです。
点滴や経鼻栄養が出来なくなった理由は
点滴や経鼻栄養を2ヶ月近くやっていましたが、それが出来なくなってきました。それは、次の理由からです。
点滴の針を刺す場所がなくなってきた。
父は、投薬や栄養補給のための点滴を繰り返しやっていたので、手が浮腫み、血管も細いので点滴の針を打つ場所もなくってきたのです。ですから、これ以上点滴による栄養補給は難しいということです。
経鼻栄養も難しい
鼻からチューブを入れて、栄養を入れる経鼻栄養をしていましたがこれも限界にきているということです。
鼻から栄養剤を入れ胃や腸を通過して栄養を補給しますが、高栄養のものを入れると気分が悪くなったり、下痢をすることが多くなったとのことです。父は、もともと胃や腸の状態がよくありません。
こうような状況で点滴や経鼻栄養で、高カロリーの栄養が摂ることが出来ず、現在、父は、栄養状態が極めて悪いということなのです。
点滴や経鼻栄養が出来ない状況なので、栄養を入れることを一切止めて看取りをするか、口ではないところから栄養を送る人工栄養という手段で、延命し続けるか選択をして欲しいということなのです。
口から食べることが出来ない
どうして、看取りか延命か二つの選択を家族に委ねたのかです。
父は、口から現段階で食べ物を食べられなくなったのです。脳腫瘍の術後リハビリ病院に入院している父は、術後、1か月半以上ほとんど、口から食べることをしていません。
何故、食べられなくなったというと「嚥下機能」が衰えたからです。
父はリハビリ病院で、「嚥下機能」を調べる検査をした結果「極めて嚥下機能が、低下している」とのことで固形の物はおろか、液体さえも口から入れられない状態になっていたのです。
嚥下機能の低下は、「飲み込む力」が衰えたということです。飲み込む力がないと食べた物が気管や肺に入り、「誤嚥」のリスクが高まります。
誤嚥による肺炎、誤嚥性肺炎を起こせば命取りになってしまいます。
手術をした急性期病院でゼリーを食べて、一度誤嚥性肺炎を起こしています。以降、口から食べることを止めているのです。
家族の選択は
母、妹、弟と私で話し合って選んだのは、4人の意見が一致した「延命」治療です。どうして、延命を選んだのか4つの理由からです。
①看取りは、まだ早い
突然、主治医に言われたので、まだ父の「死」が現実的ではありませんでした。看取りには皆、「早い」と思ったからです。
栄養を一切取らないと1~2週間で、亡くなるということです。
全ての管を外して自然に亡くなるのが、一番本人にとって苦痛が少ないのですが、早くて1週間後に亡くなるのは家族4人に「覚悟」がまだなかったのです。
父には今回のことは話してはいませんが、「まだ死にたくないが、このまま生きているのはね」と言っていたので、数週間後に亡くなることは本人も望んでないと思いました。
②嚥下機能の回復も一縷の望みがある
主治医も言っていましたが、「口から食べる」ことの代替方法で栄養を摂りながら、1か月くらい様子をみてその間に食べれるようになればいいのではないかということです。
嚥下機能のリハビリをして、回復すれば口から食べることが出来る可能性はあります。
ほぼ毎日、ST(言語聴覚士)によるリハビリが組み込まれていので、嚥下機能の回復に一縷の望みを託したい思ったからです。
⓷脳腫瘍の手術が成功して、右手、右足の機能が回復しつつある。
脳腫瘍の手術は、成功しました。急性期病院から少しづつリハビリを始め右足、右手の麻痺が回復しつつあります。
特に右手が上がるようになりベットで、新聞を読めるようになりました。右手で、グー、チョキ、パーも出来ます。
このように以前使えなかった体の機能の回復の兆しがあり、術後の集中治療室での辛い治療を経験したのにここで、全てが途絶えてしまうのも無念かと思いました。
集中治療室は、強制収容所。でも、生きる望みを持てば、そこから出ることが出来る
④父は、認知機能がしっかりしている
2ヶ月以上寝たきりで、天井ばかりを見詰めていますが認知機能が衰えていません。むしろ、84歳の母より記憶力はいいくらいです。
日々何もせず食べる楽しみも奪われ、代わりに記憶にまつわる集中力が突出ようになったのかと病棟の看護師に言うと、普通は、年や月日や曜日の感覚がなくなり呆けてきてしまう人が多いということです。
点滴などの薬の名前まで覚えていて、看護師も驚いていました。このように頭がはっきりしているのに「死」を選択することは、時期尚早ではないかと思ったのです。
人工栄養は、延命か
父は、家族の判断で「人工栄養」で栄養を補給する道を選びました。口から食べられなくなって人工栄養で生きることは延命なのか。
人工栄養で生きていることは、「生かされる」ことだと考えると延命治療になります。本来、人間を含めた生物は「食べられないこと=死」なのです。
やはり、このことから口ではないところから栄養を送るという手段は、延命と言えるでしょう。
自分の意思で生きるというより「生かされている」というような状態になるので、このことが「尊厳」ある生き方なのかということです。
しかし、飲み込みの機能の回復して再び口から食べられるようになれば延命ではなく、そこに希望を見出すことが出来れば「生きていくため」の行為となるのです。
まとめ
1週間で、父の余生や「生き方」を決めるのはとても難しいことでした。「看取り」をする覚悟とそれを受け入れる時間が、1週間では少な過ぎます。
父の置かれた状況を理解することや説明されたことがどういうことなのか、頭の中を整理したり、調べる時間も限られていました。ただ、家族の意見が一致したことは、「今は、まだ早い」ということでした。
「人工栄養」という手段を選んで、今はただ父の「食べる」機能が回復することを願うばかりです。