脳腫瘍の手術をした父が、点滴や尿のなどの管が体に付いたまま、看護師の付添いのもと転院しました。
管を付けたまま転院
今回の転院は、突然だったのでビックリしました。
前日、私と母で転院先の病院に面談に行き、ベットが空くまで転院出来ないと言われました。
しかし、母が病院から帰るとすぐに電話があり、明日10時に転院することが決まったと連絡があり急遽、転院となったのです。
父が脳腫瘍(髄膜腫)の手術をして、術後1か月集中治療室にいましたが、年末に一般病棟に移りました。
高齢の父の「脳腫瘍」の手術の事前説明で、聞いたこと。説明を受けるときのポイントも
集中治療室は、強制収容所。でも、生きる望みを持てば、そこから出ることが出来る
父の術後の「脳」の状態は、良好で回復していますが肺と心臓の状態があまりよくないので、人工呼吸器がしばらく外せませんでした。
「誤嚥(ごえん)」をするというので、点滴で栄養を摂り40日くらい食事もしていません。痰も多く、吸引も欠かせません。
人工呼吸器から酸素マスクになりましたが、MRIの検査で調子が悪くなり先日も一時的に人工呼吸器を付けました。
このように栄養補給の点滴パックの管が付けられ、食事も出来ない状態で何故転院するのかと思いました。
何故、転院したのか
どうして、治るまで同じ病院に入院できないのか、突然、転院しなくはならないのか。
これには、国の方針と医療費のなどの懐事情が絡んでいるからです。
国にお金がない
治るまで同じ病院にいることが出来ないのはズバリ、国にお金がなく、国が膨大に膨らむ医療費を削減したことが主な原因です。
今までは、父の場合でも手術した病院で、治療をして食事が出来るように回復すればリハビリをして、自宅で生活が出来るようになれば退院とひとつの病院で全て行っていました。
ところが、2006年以降の医療改革制度で、長期入院はなかなか出来なくなってしまったのです。
病気の経過に合わせて、それぞれの時期に必要な専門治療が出来る病院に移って、病院の役割分担を行うように変わりました。
父が手術をしてある程度の治療が終了し病状が安定すると、今度は、病気によって低下した機能を回復するためにリハビリを目的とした病院に転院をしなさいということです。
点滴などの管が付いたままでも食事が出来なくても「急性期」を過ぎた。ある程度病状が安定したとみなされるのです。
手術をした担当医が、「脳」の状態もいいし元気だとしきりに母に強調していたのもこんな事情があったからかもしれません。
命に関わり緊急を要する入院時に比べると元気なのかもしれませんが、食べることも歩きことも出来ず、私達からみると決して元気には見えませんがね。
診療報酬が低くなる
医療費を削減したい国は、平均在院日数の短かくし、早く病気を治して患者を退院させたほうが病院の利益が増えるような仕組みにしました。
入院して、2週間以上経つと診療報酬が、がくんと落ち90日以上の入院ではさらに低くなります。
病院としても長く患者を入院させると儲からないので、早く退院させたり転院させるようにしているのです。
父のように1か月以上入院している患者は、病院の経営上早く出したいのが本音なのです。
このような病院側の事情があり、父は急性期を過ぎて、命に関わる状態を脱したと判断され、治療の第2ステージの「リハビリ」を中心に行うリハビリテーション病院に転院したのです。
急遽転院したのにもうひとつ、父のように脳腫瘍の場合は、手術後2ヶ月を過ぎるとリハビリテーション病院も受け入れてくれないというのがあります。
11月27日に手術をしているので、2か月後の1月27日までに転院しないと受け入れ先がなくなってしまいあまり、時間もなかったのです。
今回、たまたま転院先の病院のベットに空きが出たのかもしれません。
父の転院先は、リハビリテーション病院
父の入院した病院は、リハビリテーション病院です。
リハビリテーション病院は、発症して最初に入院した病院で治療を受け、症状が安定すると病気により低下した機能を回復するために治療や訓練を行います。
リハビリテーションを集中して行うことで、家庭復帰を支援することが目的です。
医師、看護師、理学療法士、言語聴覚士、介護福祉士、医療ソーシャルワーカーなどのリハビリテーションスタッフが「チーム」を組んで対応します。
入院前に家族とソーシャルワーカーで面談があり、この当たりの流れは詳しく説明してくれました。
この病院は、誰でも入れる訳ではなく重度の認知症や重度の感染症や栄養以外の点滴を受けている人は対象外で、体や心理的に安定した患者を対象にしています。
退院後、老人ホームなどの介護施設に入る人は入院することが出来ません。
あくまで、自宅に帰ることが目的です。
父は、以前、胸椎を骨折したときのリハビリでも入院していて今回が、この病院に2度目の入院となります。
転院先の病院は、最初の病院でいくつか紹介してくれ、以前も入院した病院なのでここを選びました。
この病院は、1日当たりリハビリ実施量が、5.3単位(1単位20分)ところもいいと思いました。
都内では、リハビリを専門にする病院はあまり多くないとので、病院も限られてしまいす。母や私が通いやすく場所にあるというのも今回の病院を選んだ理由です。
ソーシャルワーカーの話だと、仕事などに復帰することを目的にする患者のための本格的なリハビリ病院が、山梨県の石和にあるそうです。
働かなくてはならないなど、社会復帰をしなくてはならない患者にはそちらを勧めているそうです。
父は、あくまで「家庭」復帰なので、家族も行きやすいこの病院を選びました。
リハビリ病院では、何をするの
入院前の面談に母と二人で行き、ソーシャルワーカーに入院中の流れなどを聞きました。
今回のリハビリの目的は、「自宅で自立した生活が出来る」ことです。
そのためには、積極的にリハビリを行うということです。
まず、検査をして父の体の状態を調べて入院期間やリハビリのゴールの目標を決めます。
家族の希望は、理想で言えば手術前と同程度の状態に戻ることで、この旨を伝えました。
自分で食事が出来て、ベットから起き上がり、手摺を伝ってトイレまで歩く。現在は、歩くことはもちろん、自分で起き上がることも出来ません。
誤嚥の状態を調べる検査の結果次第で、嚥下機能が良好であれば食べることから始めます。
ベットで食べることが出来るようになったら、食堂で食べるなどしていきます。
リハビリ病院に入院中に例えば、肺炎を起こしたとか心不全になったという場合は、治療可能な病院に転院するそうです。
リハビリ病院入院中は、家族や病院スタッフとこれから3回ほど面談があり、体調やリハビリの進捗状態などを共有していきます。
以前も退院前に自宅に病院スタッフやケアマネが来て、自宅の状況や在宅での生活の相談もして頂きました。
リハビリテーション病院は、家族とも膝を交えてチームで治療を行っていく感じでした。
リハビリが、始まった
あたふたとリハビリテーション病院に入院した父に早速、会いに行くとすでにリハビリのメニューに沿ったリハビリが始まっていました。
私がいる間も病室に言語聴覚士が見え、30分程度リハビリを行いました。
「認知機能」を確かめるテストや「嚥下機能」を回復させる訓練などしました。
父は、認知機能はしっかりとしていて、自分の出身地、年齢、今日の年と月日、曜日、知っている野菜など聞かれると今日の日にち以外は、まずまず答えられていました。
野菜の話から野菜が高いなどの世間話を交え、簡単な暗算や記憶力のテストなどをして、口腔ケアをしてもらいました。
「嚥下機能」を回復させる訓練では、「舌出し」と「あいうべ―」運動をやりました。
食べたり、喋ったりしないと唾液の分泌が悪くなるので、口腔内が汚れやすいとのことでした。
口腔内から雑菌が入れば、肺炎を起こしやすくなります。
面会に行ったときは、父の興味のありそうなことに話題を振ってなるべく喋ってもらうようにしようと思います。
今日も寝ている父に新聞を1枚ずつ見せて、新聞記事の話題やオリンピックや相撲の話などしました。
来週に嚥下機能(飲み込み)の検査して異常がなければ食事が出来るようです。
午前中は、簡単な体のリハビリも行っていたので、言語のリハビリが終わるとぐったりと疲れてしまったようでした。
日曜日以外は、ほぼ毎日、体と言語のリハビリを行うそうです。
この日、言語聴覚士の介助で自分で「痰」を出すことが出来、一歩前に進んだのかと思いました。
まとめ
脳腫瘍の手術をした父は点滴や尿の管が外れず、食事も出来ないのに急遽リハビリテーション病院に転院しました。
すでに父は、病状が安定した「回復期」(主治医曰く「元気だ!」)ということで、入院2日目からリハビリを行っています。
リハビリを中心とした病院は、医師、看護師、理学療法士、言語聴覚士、介護福祉士、医療ソーシャルワーカー、ケアマネに患者や家族も参加して正に「チーム」一丸となって最終目標に向かっていくような感じです。