脳腫瘍の手術は、成功
術後のCT画像を見ると腫瘍があった場所はポカンと黒い空洞が出来、忘れられたように白く写った血溜まりだけがその底に佇んでいます。
「腫瘍は、ほぼ摘出出来た」と術後、主治医から説明を受けました。
スパゲティ症候群
当初は、脳腫瘍が6㎝と大きく癒着や血管を巻き込んでいて、全ては取れないのだろうということでした。
高齢の父の「脳腫瘍」の手術の事前説明で聞いたこと。説明を受けるときのポイントも
手術時間も予定通りに終わり、輸血することもなく、腫瘍はほぼ摘出されました。父の脳腫瘍の手術は、無事に成功したのです。
でもその父が、脳腫瘍の手術の日から1週間以上集中治療室に入っています。
人工呼吸器が外せず、一般病棟に移ることが出来ません。人工呼吸器の気管チューブを入れていると、声を出すことが出来ず話すことが出来ません。
仰向けに横たわったまま、沢山のチューブやモニターに体中繋がれ、体を集中管理されています。
口から気管に人工呼吸器のチューブが入り、腕には点滴の針が刺さり、頭の傷口からは血液を出すためのドレーンの管、尿を排出するためのバルーンの管に繋がれています。
足は、エコノミークラス症候群(血栓)を予防するための器具がついていて、常に空気を送り込んでいます。
呼吸機能、心拍数など心臓の機能、体温、血圧などを測定するために手や体に繋いでモニター観察しています。
無数のチューブやモニターに繋がれ、絶対服従の状態で集中管理された体は、医療器具のチューブをスパゲティに見立てる「スパゲッティ症候群」そのものです。
絶望的な空白の時間が、支配する強制収容所
特に辛そうなのが、人工呼吸器です。
口から気管に直径8ミリ前後のチューブが入っているので、息苦しさと苦痛で父は、呼吸器のチューブを自分で抜いてしまいました。
人工呼吸器に繋がれた状態では、声も出すことも出来ないので、何かを訴えたくて抜いてしまったのかもしれません。
手術の麻酔のときの挿管では無事だった前歯が、この呼吸器の挿管のときに器具に当たって抜け落ちてしまいました。
面会に行くとテープがベタベタ貼られ、傷だらけ(小さな切り傷が、何故が複数ある)の顔をしかめ、前歯のなくなったスカスカの口を大きく開けて、私や母に何かを訴え続けます。
手の自由も奪われているので、筆談も出来ません。声なき声で「苦しい。辛い」と言っているのが、聞こえます。
頭が痛いのか、呼吸器が苦しいのか、点滴が辛いのか、喉が渇いたのか。
看護師がときどき来て、気管チューブから痰を吸引します。すると、やつれてしまった顔が恐怖におのいて叫んでいるのです。
検査機器の電子音が響く中、隣のベットから患者の痰を吸引する「ガァ―」というバキューム音にとてつもなく大きなうめき声が時折、混じります。そんなときの父の肩は、小鳥のように震えているのです。
ある日は、口のカタチから「さ・む・い」と言っているようでした。
複数のチューブに繋がれた状態では、布団も掛けてもらえないのか。
浴衣から筋肉が落ち枯れ木となった足がはだけて、触るととても冷たいです。掛け布団を借りて、母と二人で冷たくなった父の足を摩り続けました。
身体拘束という拷問
呼吸器などのチューブを抜いてしまわないよう指が使えないように、点滴で真っ青に内出血した手にはミトンをはめられ、両足首、両手首も固定バンドで止められ自由に動かせません。「身体拘束」という抑制です。
意識のある父は、動きがコントロール出来ない、意思が伝えらないという緊張と絶望の淵にいるのではないかと思います。
24時間、時間の概念もなくなり、空白の時間が支配します。鎮静から目覚めれば、眼鏡も外された父の目に映るものは、集中治療室のうっすらと広がる無機質な天井だけなのです。
集中治療室は、患者にとって強制収容所並みの絶対服従が支配します。
このような人間としての尊厳が奪われた状態は、父にとって拷問のような時間ではないかと思うのです。心配なのは、そんな時間の中で、心の支えや生きる目的までも失うことです。
何もかも諦めて、無力になって生命の灯も消えてしまわないかと思うのです。
強制収容所とは違う
父にとって集中治療室での時間は、身体を拘束され、意思疎通も奪われてしまい心理的恐怖や痛みなど強制収容所並みの過酷な状況だと思います。
そんな生きていることが辛そうな父の姿を見ていると手術しないで、緩和医療で安らかに眠りについた方が、父にとってよかったのではないなどと考えてしまいます。
実際に集中治療室での治療を体験した人の中には、うつ病や心的外傷後ストレス障害になるケースも多いそうです。
しかし、集中治療室が強制収容所と決定的に違うところは、救命すなわち「命」を救うためという究極の目的があります。
抑制という身体拘束も、無意識に邪魔なものを抜こうとする脳腫瘍の術後の「せん妄」状態やベットから落ちないように危険を避けるために行っている医療行為なのです。
父のような重篤な患者は、緊急事態が起きても、万全の態勢を整えている集中治療室なら安心なのです。
生きる目的を持つことが、生き残る唯一の道
絶望の中にも、生きて生活をするという一縷の望みを描ければ、強制収容所と違い乗り越えることは出来るのです。
本来、脳腫瘍の術後の経過が順調ならば、集中治療室から術後、1日あまりで出ることが出来るのです。手術した頭そのものは、順調に回復しています。
しかし父は、元々胸水が溜まり、肺機能の低下に加え、肋骨が数本折れて、肺が狭くなっています。
このように肺の状態がよくなく、痰が溜まりやすいので人工呼吸器から未だ解放されないのです。
そんな父は、入院前に「東京オリンピックが、見れるかな(見たい)」とポツンと言っていました。
高齢者の積極的治療をするのか、しないのか。「脳腫瘍」の父は、手術を選択した
生きる望みさえ失わなければ、元気になって3年後の東京オリンピックを見ることが出来るのです。
心の支え、つまり生きる目的を持つことが、生き残る唯一の道。自由で自己実現が約束されている環境こそが幸せだ。
とナチス強制収容所から生還したフランクルの『夜と霧』にあります。
極限状態でも人間性を失わずにいれば、元気になることが可能なのです。東京オリンピックを見ることが出来るし、1週間以上奪われた「食べる」という本能的行為も取りもどすことが出来ます。
大好きな岩手のりんご・ふじを食べることだって出来るのです。父は、集中治療室での辛かった時間を取り戻すべき、生還して生き延びなければならないのです。
病を克服し、辛い空白の時間にかえて自分の人生を生き伸びてて欲しいのです。