「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」(東京都美術館)へ行きました。
日本でフィンセント・ファン・ゴッホ(ゴッホ)のファンが多いから数年に1度はゴッホ展が開催されるが、今度は、どんな切り口で行われるのかと興味を持っていました。
今回は、ゴッホの家族に焦点を当てた展覧会になっています。
テオの妻ヨー
ゴッホの家族というと弟テオ・ファン・ゴッホ(テオ)で、ゴッホの生前における唯一最大の理解者であり支援者というのは知っていたが、今展のキーパーソンは、ゴッホの弟テオの妻ヨーハンナ・ファン・ゴッホ=ボンゲル(ヨー)です。
テオは、生きづらさを抱えたゴッホを支援し画家としての活動に専念できるよう画材の購入費や生活費を送り続け、経済的、精神的な支えにもなりました。
また、ゴッホから送られてきた多くの作品を保管し、散逸を防ぎ生前に売れた絵はごくわずかでしたが生前に兄の作品を売ろうと尽力もしています。
ただ、ゴッホが亡くなって半年後にテオ自身もなくなっているのでテオ亡き後は、どうだったのか今まで知りませんでした。

「傘を持つ老人の後ろ姿が描かれたアントン・ファン・ラッパルト宛ての手紙」 1882年9月23日頃
今回、分かったことは、残された膨大な作品と手紙の管理は、テオの妻であったヨーに託されたこと
ヨーは、まだ無名だった義兄の作品の価値を信じ世界中の画廊や美術館に積極的に働き掛けオランダや国外でゴッホの回顧展を精力的に開催したり書簡の出版したことです。
彼女の尽力により、散逸しかけていた作品の整理と保存が行われたことも凄いけど特に彼女の最大の功績は、ゴッホの生涯や芸術に対する考えを理解する上で不可欠なゴッホとテオの間の往復書簡を編集し出版したことです。
(ゴッホの作品やテオとの600通以上の手紙を整理し大切に保管していた)
これにより作品だけでなくゴッホの人間性や芸術に対する深い洞察が世に伝わるようになり、画家の生涯や苦悩というプラスαの物語も加わり作品が広く世に知られ人気を高める要因となったのです。

「画家としての自画像」のイマーシブ映像 ヨーの日記によると「あの頃の彼に一番似ている」と評した作品
ヨーは、本当に聡明な女性で無名の作品を広く知ってもらうため戦力的に売ったり寄贈(美術館への割引販売や寄贈)したりしているのが、作品の販売や貸し出しを記録した台帳(販売台帳)の第4章の展示で、具体的に知ることが出来ます。
こうした緻密な活動があってこそ私達が今こうしてゴッホの絵を見ることが可能で、彼女の存在がなければゴッホの作品の多くは埋もれてしまった可能性が高かったと改めて思いました。
(こういう事務的な作業もゴッホへの愛(価値を理解)とリスペクトがあるからこそ出来るのでしょう)
このようにヨーの努力によってゴッホの評価が高まり、その後、ゴッホの芸術の真価をいち早く見抜き組織的な収集を行ったのが ヘレーネ・クレラー゠ミュラーで、ヨーと同じで彼女もいなければ作品の大部分は散逸したり無名のまま埋もれてた可能性が高いです。
『ゴッホ展─響きあう魂 へレーネとフィンセント』・「ゴッホ」が画家だったのは、たった10年
幻の「花咲くアーモンドの木の枝」
今回、印象に残った絵は、「花咲くアーモンドの木の枝」と言いたいがイマーシブ映像だけで、この絵こそ今展覧会に相応しい絵だったと思ったので残念でした。

「花咲くアーモンドの木の枝」イマーシブ映像
それは、精神を患ったゴッホが療養生活中、テオとヨーの間に生まれた息子に贈るために描いた「花咲くアーモンドの木の枝」を自分のことように甥(名前も敬愛する兄と同じ名の「フィンセント」と命名)の誕生を喜んだに違いないというゴッホの想いがこの絵にあるからです。
フィンセント君のベビーベッドの上に飾られたと言われるこの絵は、春の訪れとともにいち早く花を咲かせるアーモンドの木に「新しい命」や「希望」といった明るい兆しが見えるようですが、自分と同じ名の甥の誕生は、ゴッホの短い生涯の中で数少ない幸福な出来事の一つだったとその後の人生を考えるととても切なくなります。
(売店にも絵はがきがあったので人気のある絵なのであろう、実物を見たかった!)
やはりゴッホ家にとっても大切な絵なので、めったに館外には出さないのでしょうか
そして、この甥っ子のフィンセント君は、父と母の遺志をきっちり繋いでくれ
伯父や父の功績を後世に伝えるためにアムステルダムのファン・ゴッホ美術館の設立に貢献し彼の息子達(ゴッホの大甥達)もまた現在に至るまでゴッホ作品の管理や財団の運営に関わりゴッホの遺産が守られていくのです。
(今回の作品は、そのファン・ゴッホ美術館所蔵がほとんど)
テオから引き継がれた妻ヨーの「ゴッホ愛」は、さらにその子ども達へと着実にバトンが渡されたといったところでしょう
どんなに素晴らしい絵でも世の中に埋もれてしまう絵は多くあるが、とにき金儲けもあるかもしれないが、誰かの愛情や熱意、誰かが意図的に伝えようとしないと後世にまで残っていかないものだとつくづく思いました。
今回は、ゴッホの作品自体は多くなかったが、ゴッホ兄弟のコレクションやゴッホに関連するゴッホ美術館のゴッホ以外の作品も多く、ジョン・ピーター・ラッセルの描いたゴッホの肖像とゴッホ自身が描いた自画像、同じ厚塗りのモンティセリとゴッホの花瓶の花を見比べられたのは面白かったです。
そして、北斎より好んだ広重、国貞、国芳の浮世絵のコレクションも展示され、日本美術の影響が伺われるミレーの元絵から描いた「種まく人」の筆致や色使いの対比が鮮烈で、ミレーが土の匂いを感じさせる落ち着いた色調で描いたのに対しゴッホが鮮やかな黄色や青を用い、日本画のような大胆な平塗りのタッチで再構築しているのが印象的でした。

「オリーブ園」1889年
最後に最晩年に描いた「オリーブ園」について
サン=レミの療養院で「オリーブ園」の連作を描いたが、リズミカルで地中からの英気を全て吸い取ろうとするかのような「生きもの」の力が漲るオリーブの木から翌年の猟銃自殺するゴッホの姿がどうにも結びつかないのです。
しぼり菜リズム(まとめ)
「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」(東京都美術館)へ行きました。
ゴッホの絵が現代まで引き継がれているのは、弟テオのほかにやその妻のヨーの功績が大きく今展では、彼女が緻密に戦力的にゴッホを世に出すために奔走したかが分かります。
どんなに素晴らしい絵でも世の中に埋もれてしまう絵は多くあるが、誰かの愛情や熱意、誰かが意図的に伝えようとしないと後世にまで残っていかないものだと思いゴッホの場合は、家族がそれを担っていました。
ゴッホの作品のほか、ゴッホ兄弟のコレクションの浮世絵、ゴッホに関連する絵の展示も楽しめる構成にもなっています。
■ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢
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- 東京都美術館
- 2025年9月12日(金)~12月21日(日)







