特別展「運慶 祈りの空間ー興福寺北円堂」(東京国立博物館)へ行きました。
運慶といえば、実際に見た東大寺南大門の金剛力士像の阿吽の筋骨隆々の迫力が印象に残り 1988年からの解体修理にほんの僅かだけど寄付をしたことがあります。
この解体修理で内部から多数の文章が発見され阿形像を運慶・快慶、吽形像を定覚・湛慶が中心となって造立したことや、わずか60日間で完成させたことが分かり(ほんの僅かな寄付だけど、自分も関わったので)嬉しかった記憶があります。

興福寺北円堂
今回は、藤原不比等の追善供養のために建立された興福寺北円堂にある本尊の「弥勒如来坐像」「無著(むじゃく)・世親(せしん)菩薩立像」さらに、北円堂にかつて安置されていたとされる中金堂の「四天王立像」の国宝7軀が展示されます。
北円堂は通常非公開ですが、修理完成を記念して弥勒如来坐像の約 60 年ぶりの寺外公開という貴重な機会で、年配の方を中心に多くの観覧者が来場していました。
何度か訪ねた興福寺は、国宝館の超イケメン君「阿修羅像」に惚れポスターまで買い長らく自分の部屋に飾っていたが、北円堂の記憶は残念ながらないのです。
弥勒如来坐像
本館特別5室中央に設けた朱色の4本の柱が立つ八角形のステージは、北円堂の八角須弥壇とほぼ同寸で北円堂を再現して、まるで北円堂内に立っているような厳かな気持ちになります。
(でも、人も多いので現実世界にすぐ引き戻される)
今回は、弥勒如来坐像と 無著、世親菩薩立像は、現在も北円堂に安置されていますが、加えてかつて北円堂に安置されていたであろう中金堂の四天王立像も何年かぶりに集結した計7軀を展示
(行方不明の両脇侍菩薩像を加えて、本来は9軀だった)
7軀しかないから、会場内を何度か往復して後ろから前から横から(まあ、上からは見れないが)360度堪能しました。
その中でもステージのセンターを務めるのが、仏師運慶とその一門が手掛けた本尊の「弥勒如来坐像」(国宝)です。
藤原不比等の弥勒が住む兜率天(とそつてん)への往生の願いから北円堂が建てられ本尊として弥勒像が祀らましたが、弥勒如来と弥勒菩薩は何が違うのかかという素朴な疑問が浮かびます。
弥勒菩薩は、修行中の身で頬に指をあてている思惟(しゆい)のポーズ、弥勒如来は、菩薩が悟りを開いて仏となった未来の姿なので、堂々とした仏の姿ということです。

東大寺南大門の「金剛力士像 阿形」
弥勒如来について、同じ運慶が作った過去に見た東大寺南大門の「金剛力士像」と比べると
武士が台頭した時代だったから東大寺南大門の金剛力士像は、動的な力強い表現で、対称的にこの弥勒如来坐像は悟りを開いた如来なので運慶の持ち味の溌剌さが欠けるけど静的で内省的
体中の血管や筋肉が浮き出るほどに怒りの感情を爆発させた阿形と吽形は門の守護者として悪を払い参拝者を威圧するが、逆に弥勒如来坐像は、信仰の対象として慈悲深さや悟りの境地を示し来るものを拒まずといった受容が感じられます。
金剛力士像は、下から見上げることを計算してか顔が大きく脚が短いから近くで見ると迫力があるけど弥勒如来坐像は、須弥壇(しゅみだん)の正面に立つ位置で拝観するのが一般的なので、超越的な存在として慈悲に満ちた表情で向き合うことが出来ます。
(会場では、少し見上げる感じ)
どちらも日本彫刻史上の最高傑作には違いないが、金剛力士像は軍団が力を結集して60日という短期決戦で仕上げた若々しい勢い、弥勒如来像は円熟期の内面的な表現の追求というのが感じられ静かな余韻を残します。
総じて、金剛力士像にしても弥勒如来坐像にしても運慶が、仏像の役割や対象に応じて表現を変えることが出来る振れ幅の広い仏師だったのだとうのが比べてみると分かります。

弥勒像と無著・世親像
博物館の仏像鑑賞の利点として前後左右から好きな角度から見れることです。
特に今回、弥勒像と無著・世親像の背面からの3ショットが拝めたのが面白かったです。
弥勒様の背後の光背はお寺に置いて東京にやって来たので、弥勒像の背中をまじまじ見ることが出来、猫背気味だけど発達した背筋、腰からお尻にかけてのラインが案外肉感的でなまめかしく、実務に長けた官房長官、無著・世親との対比が面白いです。
正面からだど分からない仏像の奥行きや斜め後ろから見たほどよくふっくらとした頬なども見れ(かなり美肌!)、博物館ならではの恩恵に感謝です。
そして、ぐるりと回ると発見!
(弥勒様もストレスがあるのかなあ~)
弥勒菩薩に何か所もハゲ(円形脱毛症)があり、これは巻貝のように巻いた髪(「螺髪(らほつ)」が経年劣化や幾度の火災などで落ちてしまったのでしょうか
涙目の仏像
今回、博物館のブログを読んで是非見ておかなければ思ったのが、無著菩薩立像と世親菩薩立像(兄弟です)の「瞳」です。
運慶が得意とする眼に水晶を嵌める「玉眼(ぎょくがん)法」が、二つの像に使われいて「無著像はキラッと、世親像はキラキラと眼は涙をたたえているようにも見え…」とブログにあり、研究員推奨の「少し斜め」のベストポジションから見ると正面から見たときは分からない水晶が光る円らな瞳を確認することが出来ました。
二人とも目がかなり小さくて見にくかったですが、博物館はライティングに注力していたので、特に世親の(正面から左に回り込む位置から見ると)ウルウルした涙目は、まるで生きている瞳にようで仏像に命を吹き込んでいました。
無著像は、世親ほどではないがやはり水晶がライティングで輝いていました。
弥勒像と無著・世親像の中央のステージを四方に取り囲むのが、運慶の作である可能性が高いと(または、プロデューサーとなった)多聞天、広目天、持国天、増長天の四天王像です。
四天王像は、どれも激しいポーズで今にも動き出しそうで東大寺南大門の金剛力士像の外へ向かう力や強さとは違う本尊を守る内へ向かう威厳が感じられます。
(金剛力士像は、五等身だけど四天王像は六等身でスマートさがあります)
詳しい仏像のことは、よく分からないけど弥勒如来坐像などを見ると夏目漱石の『夢十夜』(「第六夜」)の夢物語の話に象徴されるように運慶は、単に現実を写し取るだけでなく素材の奥に潜む本質や精神を見抜きそれを引き出して仏像に命を与えているように思えてきます。
これが、時代や西洋・東洋といった枠を超えた普遍的な芸術というものなのか
だから、平安後期の形式化した仏像とは一線を画しこうして、何百年の時を経ても静かなる感動を私達に与えてくれるのでしょう
しぼり菜リズム(まとめ)
特別展「運慶 祈りの空間ー興福寺北円堂」(東京国立博物館)へ行きました。
藤原不比等の追善供養のために建立された興福寺北円堂にある本尊の「弥勒如来坐像」「無著(むじゃく)・世親(せしん)菩薩立像」さらに、北円堂にかつて安置されていたとされる中金堂の「四天王立像」の国宝7軀が北円堂の内部を再現して展示
同じ運慶の東大寺南大門の金剛力士像の動的な力強い表現と比べて本尊の弥勒如来坐像は静的で内省的で、運慶が、仏像の役割や対象に応じて表現を変えることが出来る振れ幅の広い仏師だったのだとうのが分かります。
今回見どころだったのが、弥勒如来坐像と無著・世親像のバックショットと世親菩薩立像の眼に水晶を嵌める「玉眼法」
特に世親の玉眼法による輝く「瞳」は、まるで生きた瞳のようで仏像に命を吹き込んでいました。
弥勒如来坐像、無著菩薩立像、四天王像を見ると夏目漱石の『夢十夜』(「第六夜」)の夢物語の話に象徴されるように運慶は、単に現実を写し取るだけでなく素材の奥に潜む本質や精神を見抜きそれを引き出して仏像に命を与えているように思えてきます。
■特別展「運慶 祈りの空間ー興福寺北円堂」
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- 場所 東京国立博物館
- 日時 2025年9月9日(火)~2025年11月30日(日)






