SOMPO美術館の「モーリス・ユトリロ展」へ行きました。
ユトリロ展
モーリス・ユトリロ(1883~1955年)の絵は見たことがあるが、ユトリロ単独の展覧会へ行ったのは初めてです。
私が子どもの頃は、名前はときどき聞いていたので今よりユトリロの人気があったような気がします。
ユトリロの描く異国情緒ある20世紀初頭のパリの街並みが、まだ海外旅行が一般に普及していな時代で、憧れの世界だったからかもしれません。

今回、展覧会で初めて知ったことは、ユトリロが複雑な家族関係や幼少期からのアルコール依存症だったことがユトリロの絵画に影響を及ぼしていたことです。

「パリのサン・セヴラン教会」1912年
奔走でネグレスト気味な母シュザンヌのかわり祖母に育てられ10代でアルコール依存症を発症したユトリロは、幼少期から孤独感を抱え母親の愛情を強く求めていたとされます。
そんな寂しい幼少時代を過ごしたからか彼の絵には人物はほとんど登場しないしどこか、ありふれたパリの街角でもどこかに影が落ちていてるように感じられます。

「サン=ドニ運河」 1906~08年
ユトリロは、アルコール依存症の治療の一環として、医師から勧められ絵を描き始め画家としての道を切り開きました。

「モンマニーの屋根」1906~07年頃
治療の一環として絵筆をとった「モンマニー時代」が彼の絵の始まりとなります。
「サン=ドニ運河」「モンマニーの屋根」は、や黄土色、緑色、黄色、青色などの明るい色彩を細かい筆触で積み重ねる厚塗りの作品で、軽やかな筆触や明るい色調なのだけどユトリロが描くと単に明るい絵にならないのです。

「可愛い聖体拝受者、トルシー=アン=ヴァロワの教会」1912年頃
ユトリロにとって、言葉にできない感情や心理状態を絵を通して自己表現して治療に役立てる「アートセラピー」のようなもので、絵を描くことはアルコール依存症からの解放や精神の安定のために「救い」となっていった面があります。
ユトリロの代表的な「白の時代」は、家族との複雑な関係やアルコール依存症という背景によって生まれたもので白の持つ清潔、純粋、始まりといったポジティブなイメージとは逆の孤独、空虚のネガティブなイメージが反映された独自の世界観を築き上げています。
でも、この時代の多様な色調や質感で白壁を表現した絵は、暗い気持ちにさせることはなく、むしろ静かな美しさや安らぎを感じることが出来るから不思議

「ベルト王妃のらせん階段の館、シャルトル(ユール=エ=ロワール県)」1909年頃
ユトリロの「白の時代」と呼ばれるのは、絵の中に白い建物が数多く描かれているからです。
ユトリロは白を強調するために、パリの街中に落ちている建物の漆喰や場合によっては鳥のフン、砂が加えらを絵具に混ぜていたと言われています。
ユトリロとともにエコール・ド・パリの代表的な画家・藤田嗣治もベビーパウダーを使った「乳白色」もそうだけど独自の表現を作り上げるために試行錯誤しているのは同じだなあと思いそこに至るまで、様々なものを混ぜたりして試したのかもしれないと思いました。
『没後50年 藤田嗣治展』史上最大規模の回顧展で、藤田嗣治の足跡と人生に触れる

壁といえば、ユトリロの描く壁の質感は、ひび割れや汚れ、風化の痕跡が丁寧に描き込まれ味があり単なる風景以上の存在感があります。
どの絵も建物の外壁は、それぞれ表情がありそれらを見ているだけでも楽しいです。
人がいない絵

「マルカデ通り」1909年
「マルカデ通り」には、奥の方に人がいるが、街の風景にはほとんど人がいないのである。
この頃の絵に人はいても、この絵のように奥に押しやったり町の風景を活性化させる二次的なものであったりします。

上の絵ハガキを元にして描かれたと思われるのが

「廃墟の修道院」1912年
「廃墟の修道院」で、絵ハガキに人が写っているがユトリロの絵には描かれていない。
(ユトリロは、現地へは行かず絵ハガキや自らの記憶を頼りにパリの風景を描き量産していたとされています)
人がいない絵は、静寂に満ちた画面になるが、ユトリロ自身の内面の孤独や感情が表現されているようにも見えます。
この絵で面白いのが絵ハガキより建物が白く描かれていて、それが廃墟に刻まれた時間の流れ、風雨に晒されながらもなおそこに存在し続ける建物の凛とした佇まいをより印象づけています。
そして、「白の時代」から「色彩の時代」へと移行しそれに合わせて人物も登場するようになります。

「モンマルトルのミミ=パンソンの家とサクレ=クール寺院、モン=スニ通り(モンマルトルのサクレ=クール寺院)」1925年

元絵には、人が描かれていないが「モンマルトルのミミ=パンソンの家とサクレ=クール寺院、モン=スニ通り(モンマルトルのサクレ=クール寺院)」には、人が描き加えられています。

「ボワシエール・エコールの教会と通り(イヴリヌ県)」1935年
のどかで、空も青く人もいるが、でも、どこかよそよそしい(?)
これもそうだけど人物は細部まで丁寧に描かれることは少なく、どちらかといえば粗雑に描かれ風景に溶け込んでいるというよりも不自然に配置されているように見えることがあります。

「ラパン・アジル、サン=ヴァンサン通り、モンマルトル」1927年
絵に頻繁に登場する女性は、帽子と長いスカートを身に着けた腰の張った女性として描かれることが多く女性に対する嫌悪感の表れという解釈もあります。

聖トマス教会、モンマニー(ヴァル=ドワーズ県)」1938~40年
特に初期の作品では人物はほとんど後姿ですが、1920年代以降は、正面を向いた人物も描かれますが、目鼻口は点で表されるなど描き方が粗雑に見えます。

「雪のヴェジネ、聖ポリーヌ教会」1938年
これも風景の添え物ののような人物描写で、彼の孤独な世界観を強調しています。
これらの人物描写は、ユトリロの人間に対する母親の愛に飢えた女性嫌悪の内面が表れているようですが、逆に哀愁を帯びた独特な表現として芸術的に昇華しているところは画家としての天賦の才か
人の表現だけでなく精神病院の入退院を繰り返し、母からは監禁される生活を送り友人のアメデオ・モディリアーニが亡くなった1920年頃の絵は、色彩は暗さが際立ち彼の精神状態の悪さが投影されているようです。
暗い絵ばかりでない
でも、陰鬱な絵ばかりではないです。

「シャラント県アングレム、サン=ピエール大聖堂」1935年
今までにない順光で青空に人も多くいる明るい絵が、「シャラント県アングレム、サン=ピエール大聖堂」
ユトリロは結婚し、妻とともに穏やかな生活を送り始めた頃に描いた絵で、心の安定が反映されています。
(ただ、絵が客観的に見えるのは現実の風景から距離を置いていて人物や空間が記号化されたような表現になっているからか)

「クリスマスの花」1941年
風景だけではなく花も描いていたのですね
花の絵を描くようになったのは、後に妻になるリュシー親しく交流するようになったからで、リュシーには花瓶に生けた花の絵を都度都度贈ったそうです。
このように暗い絵ばかり描いていた訳ではないが、ユトリロの絵画を見て共通しているのは、静寂、孤独、そして深い哀愁です。
これらの感情は、彼の生い立ちや複雑な家族関係、生涯に渡る精神的な問題と深く結びついて表面的な風景描写にとどまらず、彼の内なる叫びや魂の救済を求める姿を映し出しているようです。
今回、初めてユトリロの苦悩という背景を知った上で絵を鑑賞したが、決して明るいとはいえない絵でも不快な気持ちにならないのは、彼の生い立ちの物語性だけではなくそれぞれの作品に込められた制作のエネルギーが感じられるからだと見終わってから改めて思いました。
しぼり菜リズム(まとめ)
SOMPO美術館の「モーリス・ユトリロ展」へ行きました。
アルコール依存症の治療の一環として絵筆をとった「モンマニー時代」が絵は、軽やかな筆触や明るい色調なのだけどユトリロが描くと暗く、「白い時代」の絵も人物はほとんど登場しないしどこか、ありふれたパリの街角でもどこかに影が落ちていて哀愁が感じられます。
画風の変化に伴い、次第に人物を描き加えるようになりましたが、添え物ののような人物描写で彼の孤独な世界観を強調しています。
ユトリロの絵画を見て共通しているのは、静寂、孤独、そして深い哀愁です。
今回、初めてユトリロの苦悩という背景を知った上で絵を鑑賞したが、決して明るいとはいえない絵でも不快な気持ちにならないのは、彼の生い立ちの物語性だけではなくそれぞれの作品に込められた制作のエネルギーが感じられるからだと見終わってから改めて思いました。
■モーリス・ユトリロ展
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- 会場:SOMPO美術館
- 会期:2025年9月20日(土)〜12月14日(日)
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