観泉寺の門前にある立ち退きや道路拡張で周辺の街にあった石造物が集められた場所があります。
祀られ石仏群は、不詳のものも含めると20基以上になります。
石仏

そのうちの門前東側の一角にある石仏群です。

地蔵菩薩と弥勒菩薩などが6基あります。
石に何か書かれているが、判明出来ず年代やどういったものなのかこれらの情報がなく、詳しいことは分かりませんでした。

地蔵菩薩、まだ新しそうで奇麗なお顔です。
次は、境内の外側、お寺を廻り込んだ東側道路を渡ったところの一角にあるのが石仏と小社です。

入って正面に6体の地蔵尊、如意輪観音があります。



年代など詳しいことは分かりませんが、判読出来るものに
「宗春禅定尼」「光月知門禅定門 享保七年八月」「◎岩貞樹禅僧二尼」とあります。
曹洞宗の戒名男性は「禅定門」女性は「禅定尼」なので、観泉寺は曹洞宗なので信者が建立したものなのか?
入って左側には小社があります。


祭神や社号が見つからないので詳しいことは分かりません。


さらに観泉寺の境内の外、南側の道路を挟んだ場所にも小社と地蔵菩薩があります。

正面は、小社

入って左側には、隅丸方型の地蔵菩薩があります。

「右長命寺 向ぞうしがや 左ほりの内」とあり
(長命寺(練馬区高野台)、堀之内(杉並区)、雑司ヶ谷(豊島区))道標でしょう

「明和六年?(1769年)旧井草村三丁目八成橋迎より移転」とあります。
八成(はちなり)は、旧下井草村の現在の西武新宿線下井草駅の北側一帯にあった地名で、八成橋は環八通りと旧早稲田通りが交わるあたりにあるバス停(杉並区井草3-31)の名になっています。
八成橋は、千川上水(現在は暗渠になっています)に架っていたいた橋です。

道路沿いに続くクリーム色の築地塀

このような場所に立つと京都のお寺に来ているような気になります。

観泉寺のすぐ隣の立派な石のある立派な門のお家は、井荻村の特産品沢庵で財を成した清水儀次家
あだ名が「たくわん屋」と呼ばれ明治末期から沢庵の生産を始め、大正時代に各農家から沢庵を買い集め出荷する産地問屋になり非常に繁盛しました。
そういえば、このあたりは練馬大根の産地でしたね
しぼり菜リズム(まとめ)

(観泉寺からの帰り道にあった卵焼き屋さん)
観泉寺の門前にある立ち退きや道路拡張で周辺の街にあった石造物が集められた場所があり、祀られ石仏群は、不詳のものも含めると20基以上になります。
観泉寺門前の西側の敷地には、西荻北の地蔵堂の堂宇から移転したもののほかに馬頭観世音と地蔵尊、「三谷子育地蔵尊」の堂宇(地蔵立像、石柱)、石仏、「子育地蔵尊供養」、猫の供養塔があります。
門前東側の一角に地蔵菩薩と菩薩が6基あります。
境内の外側、お寺を廻り込んだ東側道路を渡ったところの一角にあるのが6体の地蔵尊、如意輪観音?6基と小社です。
観泉寺の境内の外、南側の道路を挟んだ場所にも小社と地蔵菩薩(道標)があります。
<参考資料>
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- 「杉並区」HP
- 「練馬区}HP
- 「杉並区史探訪」森泰樹著 杉並郷土史会
- 第14回荻窪地域史講座「八丁:かつての荻窪をめぐるまち歩き」(すぎなみ文化協会)