観泉寺・石仏群
観泉寺の門前にある立ち退きや道路拡張で周辺の街にあった石造物が集められた場所があります。
祀られ石仏群は、不詳のものも含めると20基以上になり、そのうち西荻北の地蔵堂(西荻北4-37)から移されたものはこちらから
その他に観泉寺門前の西側の敷地(今川2-6)にあるものを紹介します。
馬頭観世音と地蔵尊

観泉寺門前の西側の敷地(今川2-6)にある馬頭観音と地蔵尊です。

右は、「地蔵菩薩念仏」の銘文で享保十四年十一月建立の地蔵立像です。
「武刕多摩郡遅野井村」とあります。

真ん中の黒い帽子の地蔵の石柱に「日本回国供養塔」と銘文があり宝暦十二年(1762年)十月建立になります。
昭和の頃には、頭部がなく地蔵の蓮台が石柱に比べて新しいので後からお地蔵さんをつけたのだと思われます。

左の馬頭官能は、明治二十九年(1896年)八月二十二日建立で、「南無馬頭観世音」とあります。

近くにカシワバアジサイが咲いていました。
三谷子育地蔵尊

入口から入って正面右の「三谷子育地蔵尊」の堂宇にあるのが地蔵立像と石柱が祀られともに昭和56年(1981年)に杉並区桃井4-16から移されてきたものです。

右の舟型の地蔵立像が「念佛供養」の銘文ので、元文二十年(1741年)十一月の建立です。
台石には「願主 本田与七郎 二十八人」とあり、村中地蔵であろう。

千羽鶴が供えられています。

風化して顔が窪んでいて元の顔は分かりません。
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左の笠付の石塔には「南無阿弥陀仏」と書かれて、側面には「しゃくじい村の道標」とあります。
「しゃくじい村」とは、石神井村のことだろう
また、「講中二十五人」とあり地蔵講によるもで年銘はないが、江戸時代のもだと思われます。
その他

三谷子育地蔵堂の左側にはいくつかの新しい小さな石仏が並んでいます。



その並びにある舟形の板石が、「子育地蔵尊供養」と書かれたもので昭和50年(1975年)建立になります。

「功徳主 羽生たき」と書かれ「大正15年より助産婦業に従事し、当地に於いて五十有余年出産を取り上げ数一万三千有余大過なく今日に至り、感謝の意を表現して之の碑を奉納す」と裏面にあります。
50年で13,000人余りの新生児を取り上げた助産師さんがいたようです。


こちらは、猫の供養塔で合羽を着ています。

猫といえば、境内に猫がいました。