今川氏の菩提寺である杉並区今川のお寺宝珠山「観泉寺」には、今川氏累代のお墓があります。
今川氏累代の墓
今川義元から3代目となる今川直房は、観泉寺を今川家の菩提寺とし今川氏の始祖今川国氏や義元など今川一族の供養を行うようになりました。

墓碑が残るのは、義元公の子今川氏真公以降の当主や一族出身の女性や子どもなど多岐にわたっています。

今川一族のお墓と供養塔
境内にある「今川氏累代の墓」は、東京都の旧跡に指定されています。
今川家墓地には、宝筐印塔(ほうきょういんとう)5基、板碑型墓石2基、卵型の無縫塔12基が並んでいます。

大きな宝篋印塔右がが今川氏真の墓で、左が正妻の早川殿(北条氏康の娘)のお墓で、範英の二人の子どもと孫、範英の両親、13代範英から23代範叙までの代々の当主、観泉寺建立に尽力した範英の姉のお墓があります。
敷地内に設置された案内板には、誰がどのお墓か書いてあります。

卵型の無縫塔は、元々は僧侶の墓でしたが、後に身分の高い人に没後入道の位を授けて無縫塔を建てるようになり、観泉寺では歴代当主に没後入道の位を授け遺品を納めた墓を作り無縫塔を建て供養したと思われます。

明治5年(1872年)に23代範叙が亡くなり今川家は絶え観泉寺の氏真以来の累代の墓は、無縁仏となり現在は、都が管理しています。
今川氏の墓のほかに墓所には、日本画家 筆谷等観の墓や檀家のお墓があります。

墓地入口の右手の石檀に七観音、六地蔵の舟型石仏13基並んでいます。元禄六年(1693年)二月十八日に上井草村の七観音7名、六地蔵12名が奉建したものです。
六地蔵は、杉並区で一番古く、七観音は区内唯一のもの
向かって左側6体がお地蔵さん、右側7体が観音様です。
六地蔵とは、六道において衆生の苦しみを救うという六種の地蔵菩薩様
七観音とは、衆生を救済するために、姿を七種に変える観音様です。

今川氏累代墓の隣には、無縁仏の供養塔があります。

無縁仏の石像は、美術的にも凝ったものです。


敷地内の墓地に地域に貢献した井荻村長であった内田秀五郎の墓がありました。
(100歳まで生きたのですね)

孟宗竹も手入れされています。
境内を歩いていると京都のお寺に来たような気分になります。
しぼり菜リズム(まとめ)
今川家の菩提寺観泉寺境内にある「今川氏累代の墓」は、東京都の旧跡に指定されています。
今川氏真の墓と正妻の早川殿(北条氏康の娘)のお墓が並び、範英の二人の子どもと孫、範英の両親、13代範英から23代範叙までの代々の当主、観泉寺建立に尽力した範英の姉のお墓があります。
明治5年(1872年)に23代範叙が亡くなり今川家は絶え観泉寺の氏真以来の累代の墓は、無縁仏となり現在は、都が管理しています。
墓地内には、七観音、六地蔵、造詣の凝った無縁仏の石像があり合わせて見ることが出来ます。
<参考文献>
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- 杉並区HP
- 観泉寺HP
- 『杉並区史探訪』森泰樹著 杉並郷土史会
- 『杉並歴史探訪』森泰樹著