(8Kの高精細CG技術によってデジタル化した人骨たち)
古代DNA展
日本列島に暮らした古代人のルーツや文化を解き明かす展覧会「古代DNA展 日本人がきた道」(国立科学博物館)へ行きました。
同じ会場で、ミイラは見たことがあるが会場のあちこちに人骨(本物)があって、こんなに多くの人骨を見たのは初めなので驚きました。
大英博物館の【ミイラ】と対面。古代エジプトのミイラに思うこと
が、旧石器神代人、縄文人や弥生人の生活が分かり特に生前の姿を復元した複顔像や復顔CG映像と並べられると個々の人格も見えてくるようで、特に4号人骨さん、青谷男性頭骨 青谷上寺朗さん、船泊23号(北海道の縄文人)さんなんかどこかで見たことのある顔だなあと親しみを覚えました。
(ただ、最新ゲノム解析でかなり個人情報に迫るものあり、人骨に人権はないのだろうかとも思わないではないが)
近年、古人骨にも僅かにDNAが残っていていることが明らかになり、人骨とそこから得られたゲノムデータで、古代の人々の人骨から今では現代人と同じレベルでの解析が可能になっています。
この人骨から髪や目、肌の色、どんな病気にかかりやすかったかなど人物の遺伝的な特徴もまで分かり、DNA解析からは、文字や史料、書籍がなかった時代の人々の生活や実態が明らかになりました。
古代人はどんな人達でどんな生活をしていた?
旧石器時代、縄文時代、弥生時代、古墳時代の段階的に進化する日本列島の人々の姿を考古資料や人骨模型、DNA分析で紹介しています。
旧石器時代

4号人骨 白保竿根田原洞穴遺跡
上の写真の人骨は、白保竿根田原洞穴遺跡から発掘されたと全身骨格の揃った2万7000年前の「4号人骨」で、国内から発見された最も古い人骨の一つで、生前の姿がこれ

4号人骨 復顔像 白保竿根田原洞穴遺跡
この白保人は、鼻の付け根が低く目や口などのパーツが顔の中心部に集まっている感じ
精悍で、狙った獲物を確実に獲ってくるような頼もしさがありますね。
旧石器時代の人は、顔を見ても分かるように現代日本人とは直接の遺伝的つながりは薄いですが、東南アジア〜東アジア古代人との共通の祖先を有し現代人の遺伝的基盤をつくった人類グループの一員とされています。
縄文時代
縄文時代のコーナーでは、旧石器人の系統の一部を受け継いだ縄文人の複顔した「船泊23号」を展示
(縄文人は、旧石器時代に日本列島に到達した人類集団の一部を含む複数の祖先から成る独自の人々)

船泊23号(北海道の縄文人)の復顔と頭蓋骨(右)
縄文人は、眉が太く二重、鼻が高く彫の深い、いわゆる顔の濃いソース顔
彼のDNAは、現代日本人に10%~20%ほど残っていると推測されて、古代から日本列島に根付いた縄文人の遺伝子は、現代の日本人のルーツを知る上で重要な手掛かりとなっています。
(縄文顔の人は、縄文人のDNAが多いのかな?)
(虫歯や歯周病で頭蓋骨の歯はボロボロで、生活のQOLは低かったような)

海岸部の縄文人と海の生活用具
縄文時代の山地部や海岸部の遺跡から出土した人骨の分析結果と出土した道具類を展示していて、海岸に住む縄文人は、魚や貝類食べ海産物を採るためにヤリやモリなどの道具を発達させ、山の人は獣を食べて、土器の表面のから雑穀など食べていたものも分かります。
縄文人は、山間部や海岸部、平野など周辺の環境に合わせて多様な生活をしていたようですが、縄文時代に生きていくのはかなり大変だったのだろうと思います。
(私のやわな身体と精神では、この時代を生き抜ける気がしないです)

だからか縄文人は、狩りの成功や大地の豊穣を祈るなど生きるために日常の中でこんな小型の土製品を作っていたのでしょう
このイモガイ、アワビやイカ、シャチ、くるみなどの土製品が、シンプルだけど可愛いです。
(アワビなどちょと焦げたマドレーヌみたいで美味しそう)

縄文時代の土器
真ん中は、土器棺から発見された新生児の骨で、右は、出産文土器で、土器の口の部分がお母さん、胴部が赤ちゃんの顔の文様が施され、出産シーンを表しています。
弥生時代
水田稲作が始まった弥生時代には、縄文人とは見た目やDNAや考え方が異なる人々が登場します。

つるんとした弥生時代の土器
縄文人と弥生人が混血した結果、現代の日本人が形成されたと考えられますが、弥生時代には列島に元々住んでいた縄文人と後から大陸から渡来した弥生人がいて、彼らは棲み分けていて、遺伝子や土器を見ても分かるように見た目も考え方も違っていました。
これが、徐々に後から来た人との融合が行われ、ハイブリットが進んでいったと思われます。
島根県の青谷上寺地遺跡から大量の弥生時代の人骨が発掘され、DNAを調べると色々なDNAを持った人がいて、これにより人々が頻繁に往来していたことが示唆されます。
その青谷上寺地遺跡から発掘された人骨から復顔されたのが↓

青谷上寺地遺跡の青谷弥生人の復顔像と頭蓋骨
「青谷弥生人の復顔像」で、縄文人とは違う顔は、私達の周りにも普通にいそうな顔の作りです。
DNA分析では、縄文人とは遺伝的特徴は異なり現代日本人と遺伝的に近いことが明らかとなりました。
余談ですが、この人骨が出た遺跡のある鳥取市青谷町では、「(青谷弥生人に)最も似ている人を決めるコンテスト」のが開催され、ネットでグランプリに輝いた男性を見ると確かに似ていました。
古墳時代
古墳時代にヤマト政権が誕生してからも引き続き渡来人がやって来て、須恵器や鉄器生産、馬の飼育などの新たな技術を伝え国づくりを支えました。
弥生時代だけではなく、古墳時代の人のゲノムも現代日本人に近く、古墳時代は、縄文系のDNAを色濃く残す人々もいて渡来人と縄文人の混血も進み多様なDNAを持つ人々が集った社会だったようです。

茶山2号墳馬形埴輪 古墳中期
古墳時代の前方後円墳には馬の埴輪が多く見られ、馬は家畜であり戦いのためのもので、馬とともに馬具を作る技術を持つ人、飼育のためのインフラの整備をする人や飼育技術を伝える人も一緒に入って来ました。
アイヌと琉球
日本の中でも地域ごとに遺伝的な違いがあり、特アイヌと琉球の人々は、それぞれ異なる集団の形成史があります。
アイヌ民族は、集団が比較的孤立した形で保持されてきたので、現代本州の10~20%に対して縄文人由来のDNAが約70%を占めオホーツク文化人など北方との交流や渡来の痕跡も確認されています。

オットセイやクジラなどの海獣を獲るための出産シーンを抽象化した模様のついたモリ
↑稲作農耕をしない「続縄文文化」の出土品です。
この続縄文文化は、本州島以南とは異なる文化の変遷をたどり「アイヌ文化」に至ります。

クマの骨偶 8~9世紀 北海道トコロチャシ跡遺跡
沖縄は、渡来系農耕民や本土からの移動者の遺伝要素も混ざり合い地域独自の遺伝や文化構造が形成され、現代沖縄・奄美地域の人々はアイヌほどではないが、縄文人の遺伝を30%前後保持高い割合で残っていることが判明しました。

イモガイとゴボウラの腕輪
↑熱帯でしか採取されないイモガイやゴホウラの貝製品の九州での出土は、弥生時代に九州と沖縄(南西諸島)間で実際に交易・交流があったことを証明する考古資料で、物の移動だけではなく、文化、価値観、技術の共有があった可能性が高いです。
この頃には、日本列島と南島地域はつながっていたのですね
イヌやネ達
人間だけでなく古代人と共に暮らしていたイヌやネコにもスポットを当てています。

イヌの頭蓋骨(日本犬)
縄文時代犬、弥生時代に猫が入って来たようで縄文犬は、小型で鼻が長く、現在の柴犬のルーツとも言われ、以前、柴犬を飼っていたが、だから古風?な性格だったのかと思ってしまいました。
弥生時代以降は、大陸から新たな犬種が渡来し、縄文犬と混血して現在の様々な日本犬となっていきます。

ネコのミイラ
(このネコのミイラは、「ミイラ展」にもあった!)
ネコは、倉庫のネズミ除けの目的で導入された可能性が高いが、奈良時代にはネコが貴族階級の「愛玩動物」として記録されており、実用から愛玩へ変化しています。
(大河ドラマで、源倫子が可愛い子猫を飼っていて、実際にこの頃にペットとして飼われていたのですね)

ニホンオオカミ 剥製
イヌ繋がりで「ニホンオオカミ」の剥製があり、これまでヤマイヌの一種として科博の収蔵庫に保管されていたが見学に来た小学生の小森さんが外見の特徴がニホンオオカミに似ていることに気付き調査した結果世界に6体しかない希少なニホンオオカミであることが分かったものです。
昨年このニュースを新聞で読んだときは、専門家でも気が付かなかったニホンオオカミの特徴を図鑑などで事細かに諳(そら)んじていた小学生の小森さんの好奇心も素晴らしいが、大人が見逃していることを純粋な子どもの目はしっかりとキャッチしているのだと思いました。
この展覧会に行ってから新聞などでも関連する記事が目に付くようになり、朝日新聞の「弥生初期には、既に縄文人と渡来人が混血していた」とか近年の発掘調査で「(沖縄・先島諸島、奄美群島の)グスク時代の人骨に本土からの影響を示す」という記事の内容が面白かったです。
このように私達に貴重な情報をもたらし日本人の「DNA」を理解することは、日本の歴史や文化を深く知る鍵となのですね
しぼリズム菜リズム(まとめ)

(↑縄文時代、弥生時代、古墳時代、鎌倉時代、江戸時代の平均身長の男女の等身大のパネルで、150㎝の私は、女性と同じくらいの身長でした)
日本列島に暮らした古代人のルーツや文化を解き明かす展覧会「古代DNA展 日本人がきた道」(国立科学博物館)へ行きました。
ごく僅かなDNAから日本人のルーツは縄文人だけでなく、多くは弥生人など外来の集団の影響が強いという未来の私達に貴重な情報をもたらしてくれました。
旧石器時代、縄文時代、弥生時代、古墳時代の古代DNA解析は、古代の人達はどんな人達で、どんな生活をしていたかなど私達に貴重な情報をもたらし日本人の「DNA」を理解することは、日本の歴史や文化を深く知る鍵となります。
■特別展「古代DNA―日本人のきた道―」
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- 会場:国立科学博物館(東京都台東区上野公園7-20)
- 会期:2025年3月15日(土)~6月15日(日)