「藤田嗣治 ―7つの情熱」(SOMPO美術館)は、以前見た大回顧展とは違った展覧会でした。
藤田嗣治展
比較的空いていて、SOMPO美術館という箱の雰囲気や個人蔵や小さな作品が多く個人的に招かれたサロンのような空間が心地よかったです。
以前行った大回顧展は、少し重い戦争画も描くような人間藤田嗣治を深掘りした展覧会だったけど、今回は、そんなこと微塵も感じさせない気軽に楽しめる展覧会でした。
『没後50年 藤田嗣治展』史上最大規模の回顧展で、藤田嗣治の足跡と人生に触れる
「7つの情熱」という観点から展開されテーマ別に展示されています。

「前衛への情熱」の章では
藤田が最初にフランスに赴いた頃は、パリでは前衛芸術が全盛期を迎え藤田はピカソの「キュビスム」に衝撃を受けを「アトリエの中のキュビスムによる静物」(1914年)に取り入れました。
この時期にキュビスムを取り入れた画家が多く、いかにキュビスムの影響力は大きかったんだと改めて認識しました。
ただ、藤田はここで終わらず面相筆を使った猫の毛並みのような繊細な線描の描写や乳白色の裸婦の透明感のある特異な白で女性の肌質を表現したり、油彩なのに日本画の技法を取り入れて独自の世界を作り上げていき後に名を残すようになります。

「風景への情熱」
「東方と西方への情熱」
「女性への情熱」
「子どもへの情熱」
「天国と天使への情熱」
今回、藤田と関係する日本人作家の展示もありその一人川島理一郎の日記には「藤田は女をとっかえひっかえ」のような記述があるように生涯に5人の妻を持ったあるように中でも「女性への情熱」がずば抜けてあるように思えました。
興味深いのは、藤田が作風やモティーフが変化するのは、妻交代のタイミングと重なっていることで、妻をモデルに描いたり彼女達のそれぞれの個性が藤田の芸術活動に影響を与えたことが分かります。
やはり藤田の代名詞ともいえる「乳白色の裸婦」のように陶器のように透き通るような肌に細い流麗な曲線、強さも兼ね備えた女性は女性の私でも見惚れてしまいます。
油彩だけど日本画で使う面相筆を使ったり、後年明らかにされた独特の乳白色を出すためにパウダーの「シッカロール」を混ぜて描いたりする工夫で、白と黒のモノクロームと面相筆で輪郭を描く日本画的な要素は「THE西洋画」とは違う微妙な風合いを醸し出し唯一無二の表現になっています。
まあ、裸婦を描いたのは、女性が単に好きだっただけではなく特異な「乳白色」を表現するためだったのかもしれません。
「乳白色の裸婦」は、この時期の妻お雪(ユキ)ことリュシー・バドゥーをモデルにして、この後結婚したマドレーヌ・ルクーとは金髪で流麗な曲線を持つ裸婦像の着想源となるなど藤田にとって女性は、画業に貢献し彼女達の存在なくては名を残すことはなかったでしょう。
女性の次は、自己表現に精を出したことでしょうか

「自己表現への情熱」の章のマッシュルームカットと丸眼鏡や口髭や洒脱ないで立ちの自画像は、日本に理解されずフランスで活躍したが祖国を持たないデラシネのように自分のアイデンティティーを自画像に求めたからなのか
自己をアイコン化してアピールしたのは、ライバルの多いエコール・ド・パリで目立つためでもあったのかもしれません。
「子どもへの情熱」では、晩年のデコッパチのような広い額、つむった口、大人びた眼差しの独特の容貌を持つ子ども達の絵は、奈良智美の子どもに似ていると同時にこの少女達が「天国と天使への情熱」で描く聖母や聖女にも似ていて、何か訳のありそうだった少女が成長して聖母や聖女になったのかもしれないと思いました。
しぼリ菜ズ(まとめ)

「藤田嗣治 ―7つの情熱」(SOMPO美術館)へ行きました。
初期の頃にキュビズに感化された時期があったが、藤田はここで終わらず面相筆を使った猫の毛並みのような繊細な線描の描写や乳白色の裸婦の透明感のある特異な白で女性の肌質を表現したり、油彩なのに日本画の技法を取り入れて独自の世界を作り上げていきます。
7つの情熱の中でも「女性への情熱」がずば抜けてあるように思え、藤田が作風やモティーフが変化するのは、妻交代のタイミングと重なり、妻をモデルに描いたり彼女達のそれぞれの個性が藤田の芸術活動に影響を与えたことが分かります。
「自己表現への情熱」の章のマッシュルームカットと丸眼鏡や口髭や洒脱ないで立ちの自画像は、日本に理解されずフランスで活躍したが祖国を持たないデラシネのように自分のアイデンティティーを自画像に求めたからなのか
自己をアイコン化してアピールしたのは、ライバルの多いエコール・ド・パリで目立つためでもあったのかもしれません。
■「藤田嗣治 ―7つの情熱」
- 場所:SOMPO美術館
- 会期:2025年4月12日(土)~6月22日(日)