「坂本龍一|音を視る 時を聴く」(東京都現代美術館)に行きました。
「坂本龍一|音を視る 時を聴く」

YMOや映画音楽に馴染んだ私達くらいの年齢層が多いのかと思いきや平日なのに会場は、若い人が多くビックリしました。
坂本龍一自体は誰もが知っていると思うが、20代くらいの人は坂本龍一の何に惹かれて訪れたのか聞いてみたいです。
私は、最初は坂本龍一の展覧会やっているなくらいで傍観していたが、坂本美雨が出ていたNHKの『日曜美術館』を見て、単に偉業を紹介するだけのものではない「音楽を見る」「体験する」ようなインスタレーションが面白そうだなと思い興味半分で足を運びました。
『日曜美術館』のように人がいない空間で見れたらよかったけど、入場するのに並び、最初の作品「TIME TIME」(坂本龍一+高谷史郎 2024)は、いきなり真っ暗な空間に飛び込んだ感じで、その部屋で映像が流れていたが人が多くて人の頭越しや人と人の隙間からしばらく見ていたが結局、断片しか見えず、終わるまで待って前の方で最初から見ようと思ったが、いつ終わるのか分からず目はだいぶ慣れてきたが真っ暗なブースで人の後ろ姿しか見えない中で待っているのも気が滅入りそうだったので、次の展示会場へ移動しました。
暗がりで足元も見えにくくちょっと怖いので、これは年齢層の高い人は難しいかと思いました。
会場は、全体的に暗い空間が多いです。

「async–immersion tokyo」(2024)坂本龍一+高谷史郎
結局、映像展示を全部見るには2時間以上の時間が必要で、「TIME TIME」の他にも全部見れない映像があり消化不良な感じでした。

「async–immersion tokyo」(2024)坂本龍一+高谷史郎
もう一度余裕を持って見に行きたいけど、3月終了なのでまだまだ(もっと)混みそうで躊躇します。
日時指定で人数をぐっと絞って入場させるか、会期を長くして人を分散させればと思うが難しいのであろう
(混雑緩和で日時指定と夜間開館を新たに行っているが)
『日曜美術館』のように人のいない(少ない)空間で見れば、もっと充実して印象は違ったと思います。
坂本龍一といえば、YMO、シンセサイザー、映画音楽、中でも「戦場のメリークリスマス」の印象が強く音楽だけでも世界的に有名だが(今回、外国人も多かった)近年では、社会活動家として一面を見せてどういう方向にいくのかと思っていました。
生前に現代美術館で展覧会をやろうと構想していたということで、こういう音で体験したり面を映像で表現するような「サウンドインスタレーション」という芸術的な分野でも活躍してたことはこの展覧会を知るまで知りませんでした。
まあ、常に最先端、いつも先を見ていた人であったと生前から思っていたので現代美術の分野を手掛けていても違和感がないです。
映像など見逃したものもあったけど、印象に残ったものもあります。
1つは、度々話題に上る宮城県農業高等学校の「被災ピアノ」です。
2011年の東日本大震災の津波で被災したピアノを単に被災したピアノで、ただ遺産として残すのではなくそれを「IS YOUR TIME」という作品に昇華させたことです。
(実際には、泥で汚れ修理不可能で廃棄される運命だったそうです)
「被災したピアノを「自然によって調律されたピアノ」と捉え、大自然の営みによってひとつのものに還ったピアノが地震データをプログラミングした装置と同期させ、不規則な音を奏でる」
という主旨のものだが、人間によって調律された人工的な存在であるピアノが、震災で大自然に還元
「自然の一部のモノとして新たに生を受け、自然の営みとしての音を奏でる姿」なのかと解釈するとピアノの上の3.11の日のような雪が降り落ちる映像は、このピアノに妙にマッチしているように思えました。
東北で同じ震災で被災したピアノを調律して復活させた話をほかにも聞いたことがあり、震災の記憶をを伝承する復興のシンボルとして後世まで語られるが、坂本のように違うアプローチで作品化するもの心に刺さります。
もう一つは

「Music Plays Im坂本龍一×岩井俊雄ages X Images Play Music」(1996–97/2024)
ホログラムで愛用のピアノで演奏する坂本龍一本人の映像を使用した岩井俊雄氏の作品です。
1996~97年のパフォーマンスを再現したしもので、時空を超えてその場でライブを見ているような感覚に陥り、弾く度に音が光となり昇っていく様は彼が天国から降臨して私達に音をプレゼントしてくれるように思えました。
演奏したデーターが、瞬時に映像に変換されスクリーンに光線として伸びてゆき降り注いで来る感覚
これが、展覧会のテーマである「音」を視るという体験なのかと思いました。
「肉体は、いつか滅びるが音楽やアートは残り続ける ずっとここにいたかった」
「人生は短し芸術は長し」
と彼が言っていたようにがんを患い闘病生活をしていたので、そんな思いが強まったのだと思います。
私もがんを経験しているので、よく分かります。
まあ、私は残せるものは何もないので芸術的な才能がある人が羨ましい限り
音楽にしてもアートにしても生み出した作品は、後人が残そうとすれば半永久的に残るのだから。
アーカイブなど
写真を撮れる展示があったので、撮ったものを紹介します。

影響を受けた愛読書や映画
人物像に迫る直筆のメモ、刊行物、未刊行物などアーカイブも興味深かったです。

年齢的に坂本龍一といえば、白髪に眼鏡よりこんな風にメイクした姿をすぐに思い浮かべるんです。

80年代の本人のメモ
それまでの既成概念を徹底的に破壊したジャン=リュック・ゴダールに影響を受けたようであるが…
「ポストモダニズム、漱石」なんていうキーワードもあり、も少し坂本龍一について知りたくなりました。
彼の音楽を聴き込み、背景の思想を知ればこの展覧会ももっと奥深かったであろう


「LIFE–fluid, invisible, inaudible…」(2007)坂本龍一+高谷史郎
天井に浮かぶ9つのアクリルボックスの中に水が張られてその水面からは霧のようなものが発生して、オペラ「LIFE」をベースとする電子音と相まって空間や床に映し出された水面も幻想的でした。
今回、20年以上ともに作品を作り続けた高谷史郎氏とのコラボ作品が多く(今回は、6点)高谷氏との作品には水や霧が重要な要素として登場するので、展覧会も水分多めの展示となります。

遠くで見れば何かの模様のようだが

近くで見るとこんな感じの相関図のテンプレートのように見えます。
坂本龍一に関わった人や作品が円の中に書いてありました。

「センシング・ストリームズ 2024–不可視、不可聴 (MOT version)」坂本龍一+真鍋大度(2024)
スピーカーの上のLDLデイスプレイに映像が流れていませんでした。
流れる時間帯があるのか?待っていようと思ったが「霧の彫刻」の始まる時間が近かったので写真だけ撮りました。

これも水(=aqua)を使っている演出です。

「(LIFE–WELL TOKYO)霧の彫刻」坂本龍一+中谷芙二子+高谷史郎
美術館の中庭で毎時00と20と40分の3回、霧が出るので、館内からも見えるが中庭まで行きました。
途中、迷ったりして行ったので最後の方しか体験出来ず、霧の中には入らず写真を撮っただけです。
「霧と庭と音楽が一体化」というのは体験出来なかったけどもくもくと霧が湧いている中は、周りが見えず時間感覚も方向感覚もなくなり五里霧中、自分が「無」なったような感覚になるのかもしれない、少し霧で濡れるので暑い夏は気持ちいいだろうと思いました。
今まで坂本龍一をミュージシャンとみていたので、今回、現代芸術家としての新たな一面が見られ、今でこそ当たり前になったインスタレーションを随分前からいろいろな人達とコラボして作っていたのは、彼が世の中を一歩も二歩も前に進んでいたのだと改めて思いました。
館内の展示はほとんどが動画作品なので、全てを見ると2時間くらい掛かります。
滞在時間は、映像をじっくり見たり「霧の彫刻」のように霧の出る時間が決まっているものもあるので、待っている時間を含め余裕を持って3時間くらい取れれば理想的です。
私達が行った午前の時間帯は、20分くらいの待ち時間でしたが、帰りお昼近くになると40分待ちになっていたので、半日潰す覚悟で出掛けるといいです。
12作品のうちインスタレーションが10作品で、近年多い没入体験型の展覧会なので、なるべく軽装で出掛けることをお勧めします。
(ロッカーもあるが、埋まってしまう可能性あり)
しぼり菜リズム(まとめ)

「坂本龍一|音を視る 時を聴く」(東京都現代美術館)に行きました。
YMOや映画音楽世代が多いかと思いきや、若い層が目立ち音楽を「視る」体験するインスタレーションが中心の没入型の展覧会です。
坂本龍一をミュージシャンとしてだけでなく現代芸術家としての新たな一面が見られ、今でこそ当たり前になったインスタレーションを随分前からいろいろな人達とコラボして作っていたのは、彼が世の中を一歩も二歩も前に進んでいたのだと改めて思いました。
混雑が激しく所要時間は全てをじっくり観るには2〜3時間が理想です。
■坂本龍一 音を視る 時を聴く
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- 場所:東京都現代美術館
- 日時:2024年12月21日(土)~2025年3月30日(日)