妙正寺
日蓮宗の寺院(山号は法光山)の妙正寺(みょうしょうじ)(杉並区清水3₋5₋10)は、JR中央線 「荻窪駅」より徒歩15分 、 西武新宿線 「井荻駅」より徒歩10分のところにあります。
(荻窪駅、井荻駅よりバスあり)
妙正寺は、文和元年(1352年)に下総国(現在の千葉県)の中山法華経寺第3世・日祐上人が妙正寺池のほとりに堂を建てたのが始まりです。
法華経守護者である天照大神、八幡大神、春日大社など三十番神を勧進したお堂が始まりで、寺院なのに神様を祀るの?と思うでしょうが、神仏習合していた時代なので仏教者が神様を祀るのは自然のことだったのです。
その後300年ほどたち、江戸時代の正保3年(1646年)に中興開山日明上人の尽力により社殿を再建しています。
正保3年(1646年)に社殿を再建し、慶安二年(1649年)には三代将軍徳川家光が鷹狩りの折、神前に武運長久を祈願し葵の紋幕と朱印地五石を寄進してから「御朱印寺」としても信仰を集めました。
周辺には妙正寺川の水源となる妙正寺池を中心とした妙正寺公園がありそこを水源とする妙正寺川は寺院が名の由来となっています。
正門は、宗祖大聖人の七百遠忌のみきりである昭和56年『1981年)に新築しています。
正門前のザクロの木に実が少し色づいてき始めました
本堂は天保元年(1830年)に焼失したがその後の天保3年(1832年)に再建し、昭和6年(1931年)に改築され現在に至っています。
本堂には十界諸尊を本尊とし、安産に霊験ある鬼子母神像(かつて江戸城大奥にあったもの)やかつて妙正寺池の弁天島(池に浮かぶ小島)にあった弁財天が祀られています。
(十界諸尊、鬼子母神、弁財天の他にも、大黒天、三十番神などの諸像が祀られています)
鎌倉期から室町期の板碑15基もあり、これらは妙正寺池周辺の古い村落のことが伺える貴重な文化財であります。
前鐘は戦時中に牛車に挽かれ供出され、現在の鐘桜堂は昭和38年に建替えられたものです。
水盤舎(神社や仏閣で、参詣者が手や顔を洗い口をすすぐための水盤を覆う建物)の手前の井戸
どう見てもシャクナゲの蕾ですが、時期は10月なので違うのでしょうか?
西門
寺院の門の扉に打ちつけてあるオッパイ!?
これは「乳金具」と言われる金具で、乳輪部分で壁を固定し乳首部分が釘になっている二重構造の釘だそうです。
シュウメイギクが咲いていました。
午後5時に閉門となるので、5時以降は敷地には入れません。
10月桜?
秋に正門前に桜が咲いていました。
何度か訪れていますが、ほとんど参拝客はおらずいつも静かな佇まいのお寺です。
無料で境内には入れますが、お堂の中には一般客は入れません。
大きくはないがお寺自体は、立派なお寺で四季折々の植物を楽しむことが出来、すぐ近くに妙正寺公園があるのでお寺とセットで訪れるといいでしょう。
しぼり菜リズム(まとめ)
日蓮宗の寺院(山号は法光山)の妙正寺に行きました。
妙正寺は、下総国(の中山法華経寺第3世・日祐上人が妙正寺池のほとりに堂を建てたのが始まりです。
法華経守護者である天照大神、八幡大神、春日大社など三十番神を勧進したお堂が始まりで、江戸時代に中興開山日明上人の尽力により社殿を再建しています。
1646年に社殿を再建し、1649年には三代将軍徳川家光が鷹狩りの折、神前に武運長久を祈願し葵の紋幕と朱印地五石を寄進してから「御朱印寺」としても信仰を集めました。
いつも、ほとんど参拝客はいないこじんまりとした静かな佇まいのお寺で四季折々の植物を楽しむことが出来ます。
<参考文献>
-
- 妙正寺HP
- 杉並区HP
- Wikipedia
- 「総集版 荻窪の記憶」荻窪地域区民センター協議会
- 「すぎなみある区マップ 西荻窪・上井草編」杉並区等