『モネ 睡蓮のとき』(国立西洋美術館)へ行きました。
クロード・モネ(1840~1926年)の人気は相変わらずで西洋美術館の前を通るといつも行列が出来ていて…
でも、平日の午前中の早い時間に行ったらほぼ並ばず入館出来ました。
(午後の方が混んでいるようです。グッツ売り場は、入場制限していて並んでいました)
今回のモネ展は、世界最大級のモネ・コレクションを誇るパリのマルモッタン・モネ美術館から50点が来日するという大変贅沢なものでそれだけでも価値があります。
加えて、国立西洋美術館の松方コレクションや日本各地に所蔵されるモネの作品も展示されこれだけのモネの作品をまとめて見る機会もなかなかありません。
テーマは、晩年の睡蓮の大装飾画に至るまでのモネの睡蓮を中心に表現の変化を追ったものだったので、各時代のモネの「睡蓮」についてと展覧会で感じたモネと切っても切り離せない「水」の表現について書いてみました。
モネの睡蓮
まず展覧会は、「睡蓮」をモチーフにした作品が主で、いったい「モネの睡蓮の絵」は、どのくらいあるのだろうかという素朴な疑問
調べたら世界中に250枚あるとされ日本国内だけでも10枚あるので、やはり目にする機会が多いです。
今回展示の睡蓮は、24作品で、世界中の約1割の「睡蓮」が集まってきたことになるのでこれだけの睡蓮を見るのは初めてです。
(内国立西洋美術館所蔵は、2作品)
モネの睡蓮の絵は単独で見ることが多ので、最初期の「睡蓮」の作品とその後の表現の違いを見比べ画風の変化を直接目にすることはなかったので、睡蓮ずくしの展覧会だけど決して飽きることはありません。
1900年までの睡蓮は、池や周りの風景を描き睡蓮は、その一部として描いていました。
その後、全体から風景を大きく切り取った睡蓮の池だけを描き、さらに画角が狭くなり睡蓮のみを望遠レンズで撮ったようなクローズアップしたものになっていきます。
それ以降は、水面に浮かぶ睡蓮や空や雲が映った水面のみ(主役が水面)を描くようになります。
(睡蓮の花自体もぼんやりと描いているように感じました)
これにより池に架る太鼓橋や池の周りの植物に当たる光と影で時間の経過を表現していたものが、水面の空や雲を描くことで時間の流れをダイレクトに感じることが出来るようになりました。
天気は、晴れなのか曇りなのか、季節はいつなのか
太陽がどの高さにあり、朝なのか昼なのか夕方なのかが推測されます。
モネは、「光の画家」と言われるだけあって光(と時間)の表現に切磋琢磨した様子が伺え、光を意識しながら写真を撮る私としては参考になる部分が多いです。
その後は、白内障を患った影響(絵具の色が識別出来ないときもあり)もありゴッホの画風を連想させるような抽象的な作品が続いたり私生活の悩みから暗い画風になり、今まで見たことがないようなモネの作品も展示されました。
最晩年は、一つの部屋を「睡蓮」の巨大なキャンバスで埋めつくす「大装飾画」の構想を持ち、今までより画面が大型なものに取り組み最終的にオランジュリー美術館の壁画として収蔵されます。
オランジュリー美術館の壁画は、今回はないのでオランジュリー美術館の楕円形の部屋を西洋美術館の地下に再現↓
そこに「大装飾画」睡蓮に関する絵を9点展示していました。
(この部屋のみ撮影可能で、楕円形の部屋というのが分かるように部屋全体を写したかったが人が多過ぎて断念しました)
その中にあったこの絵↓
以前、見たときは随分、抽象的な睡蓮だと思っていました。
モネ、ルノワール、ゴッホ。「実業家」の気骨があったから、今、【西洋美術】を堪能出来る
が、これは大装飾画関連の松方コレクション・「睡蓮、柳の反映」で、再発見された上部の大半が欠損しているから何を描いたのか分からないような絵に見えるのです。
でも、残った下の部分から池の水面に睡蓮のピンクの花や柳や水面が描かれているのが分かります。
松方幸次郎が、直接モネから購入したもので、大装飾画の中でモネが唯一生前に売却を認めた作品です。
ほかの装飾画の大きな絵は、近くで見ると迫力があり展覧会では、このような大作が多いので見応えがあります。
大きなキャンパスで見るモネの絵は、近くで見ると異なる色同士を隣り合わせに置いているのだけど(あら、不思議)離れて見るとそれが混じり合ってひとつの色に見えるのがより分かります。
モネの睡蓮の絵は、見ていると穏やかな気持ちになることが多いが、最初の頃の穏やかで柔らかいタッチの睡蓮が、後半、激しく奔放な筆致になっていて少し心がざわつくことも
でも、そんな睡蓮もモネそのもで、晩年になっても観察眼の鋭さは変わらずモネの芸術的な模索は終わらない印象でした。
水を描いたモネ
モネの一連の絵を見ていてモネと「水」は切っても切り離せない関係にあると思いました。
ノルマンディーの海辺やセーヌ河、ロンドンのテムズ河の風景に雪や氷や霧の描写といった画面の中の水分の比率が多く水の表現に強い興味を持っていたことが分かります。
セーヌ河の水面に映る水鏡にフォーカスした作品をたびたび描いたものなどは、後の「睡蓮」を予見させ、光や影の表現にもトライし続けて光を追求していった結果が、後の睡蓮の創作に繋がったのだと思いました。
(セーヌ河をモチーフにした20点ほどの連作を制作したとき、モネは、毎朝3時半に起床し14点ものカンヴァスを並行にして光と大気のうつろいを描き止めていたという)
アイリスや藤など植物や人物を主題にしている作品の中にも背景が池だったり画面に水辺らしきものがあり、主役が水でなくてもどこか「水」を感じられる作品が多く、改めて見ると「水」の描かれ方は実にバラエティに富んでいます。
中でもモネにとって「水面」は、光の効果を描くには格好のモチーフだったのと
水面に映る木々や雲という虚像の部分と枝垂れ柳の実像と水に反映する柳の虚像、睡蓮の実像
というように「虚」と「実」が入り混じった空間が水面で、二つの側面を表現した二重露出のような効果が水面では可能で、モネにとって水面の表現は魅力のあるなものだったのかと思いました。
しぼり菜リズム(まとめ)
『モネ 睡蓮のとき』(国立西洋美術館)へ行きました。
睡蓮は、池や周りの風景を描き睡蓮は、その一部として描きその後、全体から風景を大きく切り取った睡蓮の池だけを描き、さらに睡蓮のみをクローズアップしたものになっていきます。
それ以降は、水面に浮かぶ睡蓮や空や雲が映った水面のみを描き時間の流れをダイレクトに感じることが出来るようになりました。
最初の頃の穏やかで柔らかいタッチの睡蓮が、後半、激しく奔放な筆致になりますが、晩年になっても観察眼の鋭さは変わらずモネの芸術的な模索は終わらない印象でした。
モネの一連の絵を見ているとモネと「水」は切っても切り離せない関係にあり、モネにとって水面の表現は大変魅力的なものだったのかと思いました。
■モネ 睡蓮のとき
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- 会場:国立西洋美術館
- 会期:2024年10月5日~2025年2月11日