「挂甲の武人 国宝指定50周年記念 特別展「はにわ」」(東京国立博物館)へ行きました。
の続きです。
今回の埴輪展で、以前見た同博物館の『国宝 東京国立博物館のすべて』で3年に渡る修復後、初公開された「埴輪 挂甲(けいこう)の武人」(国宝)の再会が楽しみでした。
しかも埴輪界のスーパースターである「挂甲の武人」のかねてから似ていると噂の生き別れた4兄弟まで各地から集合しているので楽しみは、倍増します。
黒を基調とした特別感のある空間に国宝「埴輪 挂甲の武人」を中心に弧を描くように並んだ5兄弟をそれぞれ紹介したいと思います。
桂甲の武人
挂甲の武人その1
初めて国宝になった人物埴輪「埴輪 挂甲の武人」は、以前「国宝展」で見たり教科書や200円切手で馴染みがあるので
心の中で「また、お会いしましたね!」とお声掛け
「挂甲(けいこう)」は、鉄板を何枚もつなげた身体を防御する甲(よろい)のことで、これを身に着けた武人が「挂甲の武人」で、かなり身分が高い人です。
東京国立博物館(トーハク)蔵の5兄弟のリーダー格である長男「埴輪 挂甲の武人」は、この挂甲を身に着け、左手に弓、右手に大刀を持ち頭から足の先まで防具で固めて足先まで鎧を着込んでいる「完全武装」の非常に珍しい埴輪です。
身に着けているのは、今では見ることのない古代の武具だが当時は、最先端の戦闘スタイルなのです。
よく見ると上半身の甲の小札の表現が細かいです。
頭には衝角付冑(しょうかくつきかぶと)、頬には頬当、顎には錣(しころ)、肩には肩甲(けんこう)、腕には籠手(こて)
左手に弓、右手に刀を携えています。
背負っている靫(ゆぎ)には、矢を入れています。
発掘された当時はバラバラの状態で出土したが、その後、現在のような形に復元が行われました。
さすが、埴輪の最高傑作だけあってこれまで見てきた埴輪の中でも精密で写実的な作りをして、均整が取れて美しいです。
解体修理の際に行われた調査で、「挂甲の武人」は当初、白(白土)、赤(ベンガラ)、灰(白土+マンガン)の3種類の顔料で塗り分けられていたことが分かり、当初の姿を再現した実物大のレプリカで展示していました。
(素焼きの武人とは全く別人で、印象が変わりますね)
これは、大陸や朝鮮半島に由来する最新型の甲を着ていることを白と灰色を塗って分かりやすく誇示する目的もあったのではないかと推測されるそうです。
X線検査では、右足の内部の接合部分に第二次大戦中に発行されたはがきの断片が挟まっているのが見つかり、はがきは以前の修理の際に石膏の裏打ちとして使用されたものでまさに歴史の物語を纏った武人さんなのです。
挂甲の武人その2
群馬・相川考古館蔵の武人は、上半身は武装して下半身は袴でその袴の三角の幾何学模様(鋸歯文)に赤白灰で色分けされていたそうです。
挂甲の武人その3
奈良・天理大学附属天理参考館蔵の武人は、5兄弟の「末っ子」です。
最後に誕生したから末っ子?
どれも6世紀のもとしか分からないのでどうなのかな
挂甲の武人その4
国立歴史民俗博物館蔵の武人は、目が冑の庇に隠れて見えずうつむき加減なシャイなお方のようですね。
腕が硬直したように下がり右手の指がピンと伸び緊張しているように見えますが…
挂甲の武人その5
アメリカシアトル美術館蔵の武人は、シアトルから60年ぶりに里帰り中です。
60年ぶりだから日本語忘れてないかな。
ほかの4兄弟との会話は、日本語かしら?
1つ前の国立歴史民俗博物館蔵のシャイな武人さんと非常に似ており、1体分の破片から2体を復元したのではという研究者もいるほどです。
5兄弟は、生みの親は同じかどうか分からないけど、同じ工房で生まれ同じ型で作られたといわれているので身長や体格もだいたい同じで、細かい違いはあれど身なりも似ているけどトーハクの武人だけが完全武装で「いざ出陣」モードでさすが責任感の強い長男といった感じです。
展覧会場は、ほとんどの展示物が写真撮影が可能ですが、特にこの5兄弟のまわりではアイドル写真撮影会並みに多くの人が写真を撮っていました。
桂甲の武人のお仲間
「埴輪 桂甲の武人」ブラザーズを見終わってからこのお方が登場…
あなた様は?
「埴輪 桂甲の武人」とあるけど兄弟達の親戚なの?
しかも「国宝」!
実は、この方も「挂甲の武人」で、綿貫観音山古墳出土品としてまとめて国宝になった武人でした。
この「埴輪 挂甲の武人」は、2020年に国宝になったばかりの新参者でして、トーハクの「挂甲の武人」やその兄弟達とは違い頭にパイナップルのような突起のある筒形飾りをつけた冑を被っています。
この冑は、朝鮮半島で似たようなものが確認されていて、武人は、亡くなった王(被葬者)を表しているのではないかとのことです。
武人に関連して壺と鏡の展示もあり、これは、トーハクの「埴輪 桂甲の武人」が出土した飯塚古墳群中の一古墳から出土したもので、「埴輪 桂甲の武人」と時期を同じくし同一の古墳である可能性があるものでした。
そいうえば「埴輪 挂甲の武人」にしても武人の埴輪は、群馬県産のものが多いと思っていたら
古墳時代の群馬は、農耕と馬の飼育で栄え軍事用の馬や兵士を各地に供給し、東国のハブとして各地を結び権力者が競うように大きな古墳が造られたので技術を持った埴輪工人が活躍したのではないかとのことです。
しぼり菜リズム(まとめ)
「挂甲の武人 国宝指定50周年記念 特別展「はにわ」」(東京国立博物館)へ行きました。
埴輪は、素焼き土器で作られた古墳の上や周囲に並べて置かれたもので円筒形から人物、動物、船、家などと実在した様々なものを表現しています。
埴輪ともに副葬品も展示し、権力者の役割の変化や時代背景が探れます。
国立博物館の「埴輪 挂甲の武人」によく似た各地に散らばった4兄弟も集結し一堂に会します。
同じ工房で生まれ同じ型で作られたといわれているので身長や体格もだいたい同じで、細かい違いはあれど身なりも似ています。
古墳時代に実在したものや見たものを形にしているのでこの時代にあったものや職業、生活の様子、表情からいにしえの人々の精神的なものや美意識までが分かる埴輪は、単なるミニチュアの造形物ではない文字の代わりになるような歴史資料としても貴重なものだと思いました。
■挂甲の武人 国宝指定50周年記念 特別展『はにわ』
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- 会場:東京国立博物館
- 会期:2024年10月16日(水)~12月8日(日)