「挂甲の武人 国宝指定50周年記念 特別展「はにわ」」(東京国立博物館)へ行きました。
今回の展覧会は、「 挂甲の武人」が国宝に指定されてから50周年を迎えることを記念したもので、全国各地から約120件が集結します。
埴輪
埴輪は、死者の魂を守ったり鎮めたりするために作られた土で出来た焼き物素焼き土器で、王(その土地の権力者)の墓の古墳の上や周囲に並べて置かれ日本各地の古墳に分布しています。
埴輪は、素朴で小学生が作ったような精巧ではないものが多いけど逆にそれが親しみを覚えます。
まずは、フレンドリーな埴輪「埴輪 踊る人々」(東京国立博物館所蔵)が最初にお出向かいしてくれます。
(ちなみに「 踊る人々」は、東京国立博物館のマスコットキャラ「トーハクくん」のモデルにもなっています)
「埴輪 踊る人々」は、子どもの工作みたいな単純な造形で、修復後初のお披露目になります。
ところがタイトルに「踊る」とありますが、昨今では「馬を曳く姿」という説が有力だそうです。
(踊っている方が楽しそうだけど)
埴輪と副葬品
今回は、埴輪だけではなく古墳に眠る王の持ち物である「副葬品」も展示していて、埴輪と古墳とのつながりも紹介しています。
(なんと、展示の13の副葬品の全て国宝でした)
古墳に埋葬された副葬品は、王の役割の変化とともに変わっていく様子が分かります。
古墳時代前期(3~4世紀)の王は司祭者的な役割であったので、宝器を所有
写真は、石製の腕輪の宝器で、中央は、貝の形をしています。
中期(5世紀)の王は武人的な役割のため、副葬品も武器や武具が多くなり、これは、王が身に着けた冑(かぶと)や頸甲(あかべよろい)、短甲(たんこう)です。
サイズも大きく固くて歩きにくそうな靴を誰かが履いていたのかと思ったから、亡くなった人に履かせる靴でした。
横たえた人に上からかぶせるように履かせるめに大きく作られて靴底まできめ細やかなデザインになっているそうです。
後期(6世紀)の王は、官僚的な役割を持ち金色に輝く馬具や装飾付大刀が大王から配布されました。
このように各年代の副葬品を見ると王の役割が変化していったことが分かります。
大王の埴輪
奈良盆地や大阪平野、淀川水系に築かれた「ヤマト王権」の古墳と埴輪からは大王の権力の大きさが分かります。
この土管のようなもの
スタンダードな「円筒埴輪」ですが
こちらは、会場の中でもひと際大きい2m42㎝の日本最大の円筒埴輪
この巨大埴輪に比例した大和に君臨したヤマト王権の力の大きさが分かります。
メスリ山古墳自体も墳丘長224mの巨大な前方後円墳なので大王クラスの大きな権力の持ち主の墓と推測されます。
大きいけど厚さが2㎝弱と薄いことから高い技術によって制作され、埴輪作りに熟練した工人が大和の地にいたことになります。
このような大きな権力があったということは
それに付随するや社会構造も垣間見え、埴輪の微笑ましいようなゆるい雰囲気から一転してシビアな現実があったと想像され少し複雑な気持ちになります。
円筒埴輪は、古墳を囲むように設置され、外敵から聖域を守るバリケードの役割を担ったと考えられます。
(メスリ山古墳の埴輪が設置されている様子はがこちらから見れます)
子どもの頃近くの遺跡で土器を掘り出した経験があり、割れた欠片の一部が見つかるので埴輪も割れた状態で発掘され、そのパーツを組み立てていきますが巨大円筒埴輪もよく見るとつなぎ合わせた部分やパーツのない部分を補っているのが分かります。
この「家形埴輪」も1m71㎝の大きさの日本最大の家形埴輪です。
大き過ぎて窯に入らないので上屋根、下屋根、高床の3つを別々に焼き組立てているそうです。
高床式建物で、大きな千木(ちぎ)、棟持ち柱がまるで後の神社のようで大王の祭殿に相応しいです。
左の完全武装した武人は、今まさに刀を抜こうとしていて、隣の「埴輪 捧げ物をする女子」は、何かを盛った器を捧げています。
このような手がある埴輪輪は片手を上げていたり、両手を合わせたり、乳飲み子を片手で抱いているものもあり手の所作がバラエティーに富んいます。
(手足のある埴輪は、身分が高いそうです)
それにしても武人さんの嬉しそうな顔、ファッショナブルな女子が隣にいるから?
(人物埴輪は、武人のきりりと表情ばかりではなくこのように笑っていたり、驚いたような表情だったり以外に豊かな表情のものが多く親近感を覚えます)
今城塚古墳では、亡くなった大王を護るためにこのような多くの武人の埴輪が置かれ権力の大きさを物語ります。
この「ハーメルンの笛吹き男」みたいな男子は、在りし日の王の姿かもしれないといいます。
それは、下の写真の王が身に着ける「鈴付大帯(おおおび)」を腰にしめているからです。
(鈴がついているには、ほかに例はなくこの帯だけだそうで、これだけ鈴がついていたら動くたびにじゃらじゃらとうるさそう)
これにより、「人物埴輪が王を表す」とする説の根拠となっているとか
イヤリングやネックレスを身につけ髪型は、下げ美豆良(さげみずら)、鈴付きの帯を身に付けた王様は、とってもお洒落ですが、こんないで立ちからも当時の風俗や儀礼が分かるような考古学的価値が埴輪にはあるのですね
埴輪の造形
当初の円筒埴輪から家形埴輪や船形埴輪が作られるようになり、さらに犬、馬、鳥、そして人物と様々な形をした形象埴輪が作られるようになりました。
船の形の埴輪です。
当時の船の構造がよく分かりますが、外洋を航海するものなのか死出の旅路の乗り物なのか定かではないようです。
お洒落なとんがり帽子を被っている男子?
かと思ったら被っているのは、「天冠」というつばの先に鈴がついた烏帽子のようなもので盛装のいでたちだそうで、高貴のお方でした。
頬と目の周りにさしたピンクの頬紅がやっぱりお洒落です。
こちらは、「石人石馬」という石で出来た埴輪です。
埴輪の精巧な作りに比べれば彫刻技術は稚拙で無骨
でも、自然石の持つ野趣が重厚感を醸し出して北部九州に君臨した筑紫君一族の存在感を示しています。
(侵入者を通せんぼして守っているのかな)
これは、「埴輪 あぐらの男子」と対面して置かれていた「埴輪 正座の女子」です。
朝鮮半島から伝わった細い折り目の付いた最先端のファッションのスカートを履いている女子は珍しいそうで、高貴な女性の証だったとか
(王の前では、盛装でキメなくてはね)
埴輪を利用した棺もありました。
馬、牛、犬など生前の埋葬者の身近にいたであろう動物達の大行進が「ゆるかわ」で可愛らしいです。
埴輪作りには、熟練工だけではなく農耕に携わっていた人々も駆り出され、彼らが作った素朴で飾り気のない埴輪が「ゆるかわ」になったのかもしれません。
日本の動物埴輪や人物埴輪は、海外の考古遺物・例えば「古代メキシコ」のものなどと比べるとやっぱり可愛いいですね
盾を持った古墳のガードマン?「盾持人埴輪」
(手足がない埴輪は、身分が低いとされます)
「四股」を踏み出しそうな力士の埴輪や琴を弾いたり、満面の笑みで鍬を担いだり人物埴輪の動きの表現も見ものです。
(無表情の埴輪の中に笑う埴輪もあり、これは、古墳を護るための威嚇の意味があるとか)
猪の埴輪は、よく犬の埴輪とセットで古墳に置かれ、猟犬を使って獲物を追い込む狩猟の場面を表していて同じ古墳から犬の埴輪も見つかり、猟犬に吠えられる猪の顔は、緊迫しているようにも見えます。
(脚の蹄の形が、猪の形ととは違い馬の蹄と同じもので、脚も馬の脚に見えてしまうのはそうせい?間違えて馬の脚をつけたかのかな…でも、そんなゆるさが微笑ましい)
このようなものから、葬られた人の生前の営みを表しているようで興味深いです。
子どもが4羽乗せたカモがモデルのようですが、カモは子ガモを乗せる習性はないのでこの習性を持つカイツブリと混同したのかもしれません。
亡き首長の住居や倉庫など長の屋敷を表しています。
一般の人は、竪穴住居だったのでそれと比べると立派な建物です。
これは、明治天皇の御陵を護るために埴輪「御陵鎮護の神将」と同じ形で作られた埴輪の模型です。
色々な埴輪を見て、墓の中に入れる副葬品とは違い埴輪は、古墳の上に並べるので、展示された埴輪を見ながら(埴輪のあった古墳の写真のあるものもあり)それぞれの埴輪が古墳に並んだ光景を思い浮かべるのも楽しいです。
埴輪は、文字が普及していない時代に犬や鳥や猿、力士、武人…
古墳時代に実在したものや見たものを形にしているのでこの時代にあったものや職業、生活の様子、表情からいにしえの人々の精神的なものや美意識までが分かる
単なるミニチュアの造形物ではない文字の代わりになるような歴史資料としても貴重なものであるのです。