(浅間神社と富士塚)
井荻八幡宮へ行ったときに「富士塚」と「井荻町土地区画整理碑」も見て来ました。
井草八幡宮・富士塚
井草八幡宮の北側にある駐車場の奥に富士権現とも称される木花開耶姫命を祀る浅間信仰(富士信仰)の「浅間神社」と「富士塚」があります。
境内から外れた場所にあるなあと調べたら以前は、本殿の西南側にあったが、1975年 (昭和50年) に「浅間神社」より丁度富士山を仰 ぐことが出来る位置に移されたそうです。
富士塚(ふじづか)は、富士信仰に基づき、富士山に模した人工の山や塚です。
都内に約70ヶ所があり、杉並区内では唯一現存しているものです。
江戸時代、富士山の山頂には、浄土があり富士山に登ると健康長寿、一家繁栄などのご利益があるとされていたが富士山に登ることが出来たのは金銭的、体力に恵まれた一部の男性だけでお年寄りや子ども、女性は女人禁制で登ることが出来ませんでした。
このように富士山に登ることが出来ない人達のために登ったときと同じご利益を受けられるようにと各地に富士塚が造られたのです。
かつては、ほとんどの富士塚から富士山が見えたといいますが、井草八幡宮の境内はでは見えなかったかもしれないがこの辺りからは見えたのであろう。
富士山を信仰する人達が組織したのが「富士講」で、井草八幡宮を中心に近隣の方たちで組織されたのが「丸を講」で戦前まで続いていました。
この富士講は、村名の遅野井(をそのい)から、◯の中にひらがなの「を」入れた「丸を講」と呼ばれたそうです。
北参道と東参道の合流地点にあるこ冨士講灯篭2基(区指定文化財)は、文政元年(1818年)に「丸を講」の人達が井草八幡宮と浅間神社に奉納されたもので各町名や奉納された方の名前が記されています。
こちらは、上井草村の先達本橋勝三郎の富士登山の記念もともなった燈籠です。
富士塚が、現在の場所に移される前にあったところも見に行きました。
社務所で場所を聞いたら社務所のすぐ脇にありました。
土が盛られ、富士塚の五合目に置かれている富士塚の5合目に置かれる「小御岳大権現の石塔」や「庚申塔」が残されていてここが富士塚だった面影を見られました。
井荻町土地区画整理碑
井草八幡宮の東参道大鳥居のすぐ横の敷地の中に高さ6メートルの大きな石碑が建っています。
柵で囲まれ中には入れないのが、石碑は、1940年 (昭和15年) に区画整理事業の完成を記念して、井荻町土地区画整理組合によって建てられた「井荻町土地区画整理碑」です。
この大きな碑は、産地より特別仕立ての貨車で運ばれ荻窪駅からトラックで牽引されて来ました。
井荻村全域を対象にした土地区画整理事業は、井荻村土地区画整理組合により、10年を費やして1935年 (昭和10年) に完了して、碑の正面にはこの区画整理事業の経過を裏面には組合役員132人の名が刻まれているようですが、柵があり近くで確認することが出来ませんでした。
この事業によって東京近郊農村であった井荻地区が都内でも有数の郊外住宅地として発展することになり単一町村独自で行った事業としては全国屈指のものでした。
西荻の街が比較的碁盤の目のようになってごちゃごちゃしていないことや地形的に善福寺川が谷なのに周辺は比較的緩やかな坂が多いのはこのは区画整理事業によるものなのですね。
この区画整理事業は、井荻村の村長だった内田秀五郎の功績が大きいです。
彼は、善福寺公園に銅像があるのだけど善福寺公園の整備にかかわったり、杉並水道局の開設などの水道事業などのインフラの整備、金融機関の設立、JR荻窪駅や西武新宿線の上井草駅、井荻駅、下井草駅の誘致、中島飛行機株式会社東京工場の誘致など産業の振興に尽力し今の杉並区の礎を築いた人物で、先見の明といい「杉並の渋沢栄一」といっても過言ではないです。
今年から国の1万円札は、渋沢栄一が印刷されますがもし、この辺りで地域通貨が流通することがあるなら貨幣の顔は、内田秀五郎しかいないでしょう!
昔は、名水だった?湧水を汲み上げていた「杉並浄水場」と善福寺公園
昔は、名水だった?湧水を汲み上げていた「杉並浄水場」と善福寺公園2
この内田秀五郎には、機会があったら是非ともブログで取り上げたてみたい人物です。
しぼり菜リズム(まとめ)
井草八幡宮の敷地にある「富士塚」は、本殿の西南側にあったものを「浅間神社」より丁度富士山を仰 ぐことが出来る位置に移したものです。
富士塚は、富士登山に行けない人のために造られたもので、その富士山を信仰する人達が組織したのが「富士講」で、井草八幡宮を中心に近隣の方たちで組織されたのが「丸を講」です。
「丸を講」の人達が井草八幡宮と浅間神社に奉納された燈籠もあり各町名や奉納された方の名前が記されています。
東参道大鳥居のすぐ横の敷地の中に「井荻町土地区画整理碑」があります。
井荻村全域を対象にした土地区画整理事業により、東京近郊農村であった井荻地区が都内でも有数の郊外住宅地として発展することになり単一町村独自で行った区画整理事業としては全国屈指のものでした。
井草八幡宮 杉並区善福寺1-33-1
〈参考文献〉
-
- 「杉並区探訪」森泰樹著 杉並郷土史会
- 史料「史跡見学会 住宅地・杉並はここから 井荻を知る」 杉並郷土史会
- 「米寿 秀五郎翁」内田秀五郎翁米寿祝賀会
- 井荻八幡宮HP
- 杉並区HP
- Wikipedia「井荻八幡宮」ほか