善福寺川を遡上して善福寺川の源流のある善福寺公園に来ました。
善福寺川の源泉
このブログの「善福寺川の水源を訪ねる旅」は、1度に行った訳ではなく3回に分けて行っていて、善福寺川の源流だと思っていた「遲野井の滝」に写真を撮りに行ってから滝のところに源泉があるのではなく、地下水をポンプで汲み上げているとという旨を書いた案内板を見て、その辺りはどうなのか公園のサービスセンターに行き、善福寺川の源泉について聞きました。
公園を管理する職員の話では、かつてあった湧水は、枯渇して現在は、上の池の内田秀五郎の像の辺りと下の池のゲートボール場付近に地下水を汲み上げるポンプ小屋があるとのことで、そこからの水を池に流したり、遲野井の滝として使い今の姿を保っているそうです。
武蔵野の扇状地地形末端に位置する善福寺池の湧水量は豊富だったが高度成長期の地下水の汲み上げや住宅化と都市化、道路の完全舗装、湧水の下水道への流入に農地、林地が減少し雨水が地下に浸透する余地の激減で、現在では水量がかなり減少していています。
このため、近年は都の「清流復活事業」により、多摩川上流水再生センターの高度処理水を、玉川上水から千川上水を通じて善福寺川に導水しています。
千川上水からの導水は、0.1 m3/s(1時間に100ℓ)で、善福寺池の揚水量0.018 m3/sより多く平常時では、下水処理水の占める割合が多い状況となっています。
(東京都建設局のサイトの「河川事業」を参考にしました)
もう一つの水源は、善福寺公園内で、下の池地区と上の池地区に深井戸を造成して地下水をポンプで汲み上げた水でこれにより池は満たされているのです。
この2か所の汲み上げ場所をサービスセンターで聞き見に行きました。
しかし下の池地区は、分からなかったが上の池地区には
それらしきもの↑があったが、これが井戸の汲み上げ場かどうかは分かりません。
以上のことから現在の善福寺川の源流は、主に千川上水の水ということになります。
善福寺公園 遅野井の滝
杉並区が川に沿って設置してい源流から距離を示した表示板は「遅野井の滝」からのものなので、てっきり「遅野井(おそのい)の滝」が源流で、そこから湧き水が出ているかと思っていましたが、現在は、千川上水からの水と園内の汲み上げ水によるものだと分かり期待を裏切られました。
実際の遅野井の滝は、人工的に復元した滝で、揚水を引いて流しているようでした。
(ちなみに昭和32年に池の水が枯渇したときは、遲野井の滝に千川上水からの引水して流していましたが、その後園内に地下水脈があることが分かり井戸を掘りポンプで水を汲み上げて流していていて、それから千川上水の水は、池を通さず善福寺川に流しています)
人工の滝とはいえ、1mにも満たない滝ながら苔むした岩間から落ちる様は、自然の滝そのものです。
この遅野井の滝起源は、言い伝えによると約800年前源頼朝が奥州征伐に向かう途中、この地で飲料水を求め地面を掘ったが干ばつでなかなか水が出ず自らの弓で掘ること7度目にしてようやく水が湧き出て、湧水は「今や遅し」と待ったところから「遅野井(おそのい)」と命名されたといいます。
「遅野井の滝から〇km地点」という表示板が遅野井の滝を基準としているのは、元々、この辺りの湧水が集まって池を成しそこから流れ出た川が善福寺川であることからだろうか
遅野井の滝近くにあった鳥居
これは、善福寺弁財天を祀る市杵島神社の鳥居で、上の池に木の生い茂った小さな中島に市杵嶋神社(祭神は市杵嶋姫命・水の神様)の黒い祠が祀ってあります。
祠まで、橋がないので近づくことが出来ません。
昔は、石橋が架けられていたがホームレスが住み着いたため外してしまい(井荻八幡宮に保管)、4月8日の例大祭のときだけ簡易橋が架けられて渡れるようです。
園内は、アジサイが見頃になっていました。
〈主な参考文献等〉
「石神井・善福寺公園」佐藤保雄著 郷学舎
「善福寺公園樹木マップ」NPO法人「善福寺水と緑の会」作成
「フィ―ルドミュージアムガイド 善福寺公園」公益財団法人東京都公園協会/善福寺公園サービスセンターほか
HP「東京都建設局・河川の事業」
善福寺公園サービスセンター、杉並区都市整備部、東京都建設局にお話をお聞きしました。