テルマエ
日本人と古代ローマ人の共通点って知っていますか?
それは、「風呂好き」です。
私は、映画『テルマエ・ロマエ』(ヤマザキマリ原作)で、テルマエという言葉とともに古代ローマ人が私達日本人のように時空を超えた共通の老若男女「風呂好き」というのを初めて知りました。
(風呂好き民族は、日本人以外にはいないと思っていたので、2千年前の古代ローマ人に急に親しみを覚えました。)
そんな古代ローマの公共浴場「テルマエ」に焦点を当て、日本の入浴文化も紹介する展覧会「テルマエ展 お風呂でつながる古代ローマと日本」(パナソニック汐留美術館)へ行きました。
古代ローマに関する展覧会は、行く機会がありましたが、「テルマエ」に焦点を当てた展覧会は、初めてです。
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テルマエとは「熱い」という意味のギリシャ語「テルモス」に由来し、皇帝らによって建設された大規模公共浴場をを指します。
本展では、『テルマエ・ロマエ』の主人公・ルシウスのナビゲートで、テルマエと日本の2つの入浴文化をたどっていきます。
テルマエは、テーマパーク?
無類のお風呂好きだったと言われる古代ローマの人々は、どうしてそんなに風呂好きだったのか
地中海に勢力を拡大して莫大な富を手に入れた古代ローマでは、一部の特権階級と一般市民の格差が広がり、庶民の不満解消のための施策として食糧や娯楽を提供し、娯楽の一環として入浴施設のテルマエを作りました。
このような「パンと見世物」のように皇帝は、市民の支持を集めるために惜しみない富をテルマエに注ぎローマ市内には大規模なテルマエがいくつも建設されます。
テルマエでは皆が裸であるため身分差を感じさせず、人々は仕事の後にテルマエに通って癒しのひとときを過ごすことは、最大の娯楽でありローマ人がテルマエによって風呂好きになったというのがこの展覧会でよく分かります。
ローマ市の最初のテルマエは、紀元前25年に建設された「アグリッパ公共浴場」で、最大級のものとして有名なのが「カラカラ帝の大浴場」
カラカラ帝の大浴場は、現在もローマに遺跡として残っていて建物だけで幅220メートル、奥行き114メートルの巨大な施設で、1度に1,600人もの入浴客が利用出来たそうで、まるで、プールのような公衆浴場です。
また、テルマエは、単に清潔を維持するという公衆衛生だけが目的ではなく、現代のテーマパークのようななワクワクするような場所だったのです。
大規模なテルマエには大理石彫刻が数多く飾られ、皇帝や神々の像、古代ギリシャの有名作品のコピーが並び、床や壁や天井といった建物自体にも壮麗な装飾が施されて庶民にとって普段目にすることがない一流の美術品が楽しめました。
例えば、浴場に好んで飾れたヘラクレスのトルソは、運動施設の守護神であるヘラクレスをモデルにしたもので、テルマエには運動場を備えた施設も多く、ヘラクレスのような筋骨隆々の肉体美は、アスリートの羨望の的だったのでしょう
また、図書館や庭園、発汗室やサウナ風呂、日光浴を楽しむ部屋がありマッサージを受けたり、香油や軟膏などのトリートメントで仕上げをしたりと今でいうスーパー銭湯かスパリゾートのようです。
(テーマパークかも…)
日本のスパリゾートは、日々通うには高いけどテルマエは、国から補助だ出たのかな?入浴料は安く幅広い身分の人達も利用したといいます。
着替えを済ませたら浴場内や付近の居酒屋で軽食をとって帰宅の途に着く人もいて私が、ローマの庶民だったら、ローマでは、女性もテルマエに通うことが出来たのでテルマエを生きがいに毎日、生活してかもしれません。
このようにローマ人にとってテルマエは単に体を洗う場所だけではなく、身体を動かして汗を流し、社交の場でありリラックスして癒される、心身の健康を保ちととのえるためのものだったのです。
高度な技術と平和
映画では、主人公ルシウスは浴場技師だったけど水や湯をふんだんに使う巨大なテルマエは、上下水道水道のインフラ設備や建物の建設などかなり高度な技術がないと作ることは出来なかったと思われす。
しかもサウナのような設備や冷水プールなど日本の健康ランドのような施設によってはジムのようなものが併設されていたことが考古学の発掘などから分かっていて、日本には、インフラという概念さえなかった2千年前のローマ帝国がいかに進んだ考えや技術を持っていたかが分かります。
テーマパークのような旨いエサを与えれば、市民の支持率はうなぎ登りという図式をもとに皇帝達は、技術を駆使し豪華な浴場を作ることで高度な技術を磨いていったのかもしれません。
展覧会では、帝国の技術力の結晶ともいえるテルマエを通して豊かな都市文化が発展した古代ローマ全体の姿を垣間見ることが出来ました。
しかし、古代ローマの豊かさの象徴だったテルマエは、平和で長期に安定した時代を維持していたから続いていたのであって、戦争などで社会インフラを維持出来なくなるとテルマエは廃れていきます。
大規模なテルマエの運営には、水道の管理・維持に加え、大量の燃料と奴隷を必要としたため古代ローマの風呂文化は、中世には消え去ってしまいました。
美術鑑賞を通じて、ここ数年古代ローマに触れる機会があったが高校社会では世界史を選択していないので古代ローマに関しては、今回も含めて知らないことばかり
このような展覧会で少し触れ調べたただけでも興味深いので、塩野七生あたりのローマに関する本でも読めば展覧会ももっと充実したものになるでのしょう。
日本の入浴文化
『テルマエ・ロマエ』の主人公ルシウスは、日本とローマをタイムスリップで往復してそれぞれの入浴文化を体感して、テルマエと日本の風呂は、ただ身体を洗うのでなく精神のリカバーを目的にしたところが時代も文化もまるで異なるふたつの国に共通するものでした。
本展では、テルマエだけではなく日本の入浴文化も紹介しています。
日本の入浴習慣が定着したのが江戸時代ということで、入浴風景を描いた浮世絵を展示
「時世粧年中行事之内 競細腰雪柳風呂」落合芳幾(1831~1867年)では、男性入浴客が女性の中に混じり、江戸時代は、混浴の施設も多くほかの浮世絵でもときどき見ることがあります。
(「時世粧年中行事之内 競細腰雪柳風呂」は、風呂場で女性同士が派手な喧嘩をしているのだけど、大事な部分は上手く隠しているのが面白いです)
式亭三馬「浮世風呂」を見ると江戸の銭湯が上下の別なく「裸の付き合い」が出来る庶民の憩いの場所であったというのが分かりテルマエと共通点を見ることが出来ます。
テルマエは廃れたけれど最近、注目のサウナなど日本の入浴文化が今も盛んなのは、裸が恥ずかしい、人に見せるものではないというキリスト教の文化や価値観が根付いてないのと水が豊富で各地に温泉がある、身近なところに銭湯があったという風土や歴史があるからだと思います。
また、暑さ寒さや湿気の気候、リラックス効果を求めて湯船に浸かるという独自の習慣があるからです。
西欧人は、体臭が強く体を清潔にするのが目的でシャワー浴びますが、私達にとって風呂は、リラックスや癒しを求める側面もあり、リラクゼーションの場であり気軽に安価にその効果を得られる場所なので、日本の「入浴」という文化は、古代ローマのようになくなることはなくこれからも続いていくものだと思われます。
しぼり菜リズム(まとめ)
「テルマエ展 お風呂でつながる古代ローマと日本」(パナソニック汐留美術館)へ行きました。
古代ローマでは、特権階級と一般市民の格差の不満解消のために歴代のローマ皇帝の施策として娯楽の一環として入浴施設のテルマエを作りました。
カラカラ帝の大浴場や大規模なテルマエには美術館のように大理石彫刻が数多く飾られ一流の美術品が楽しめたり、運動場を備えた施設も多く図書館や庭園、サウナ風呂があり単に清潔を維持するという公衆衛生だけが目的ではいテーマパークのような場所でした。
巨大なテルマエを作るのには、水や湯をふんだんに使い水道などのインフラや建物の建設など高度な技術が必要で、市民が喜ぶような娯楽施設を作れば支持率は向上したので、豪華な浴場を作りこのような帝国の技術力の結晶ともいえるものでテルマエを通して豊かな都市文化が発展した古代ローマ全体の姿が見えてきます。
テルマエと日本の風呂は、ただ身体を洗うのでなく精神のリカバーを目的にしたところが時代も文化もまるで異なるふたつの国に共通する入浴文化だけど日本が、今もって入浴文化が続いているのは、身近に気軽に入浴出来る場所があり、入浴に癒しやリラック効果があるからです。
■テルマエ展 お風呂でつながる古代ローマと日本
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- 会期:2024年4月6日(土)~6月9日(日)
- 会場:パナソニック汐留美術館