アーテイゾン美術館で「接吻」を見て興味を持ったブランクーシの展覧会『ブランクーシ 本質を象(かたど)る』(アーテイゾン美術館)に行きました。
平日の午後に行ったので比較的空いていて、じっくりと作品を見ることが出来、大規模展より作品数は少ないがこのような中小規模の展覧会の方が充実した時間を過ごせるような気がします。
ブランクーシ
コンスタンティン・ブランクーシ(1876~1957年)は、ルーマニア出身の彫刻家です。
ロダン以後の彫刻の分野を切り拓き、20世紀彫刻の先駆者といわれたブランクーシの名前を最近まで知りませんでした。
それは、ブランクーシの作品を一堂に集めた今回のような展覧会が、今まで日本で開催されず大々的に紹介されることがなかったからかもしれません。
ブランクーシの作品は、全世界に散らばり、作品も繊細な木や石膏が使われたり、ブロンズもケアが必要な鏡面仕上げだったりと輸送や取り扱いにセンシティブになるようなものなので創作活動の全貌を紹介するような回顧展は、日本の美術館では開催されることがなく今回が初めてになります。
本展は、彫刻作品を中心に絵画作品やドローイング、写真作品約90点で構成されます。
会場内は、アブランクーシのアトリエをイメージして壁、彫刻の台座、写真の額縁など全体的に白で統一されています。
このように室内が白をベースにしているのと作品ごとの説明書きがないので、会場は、作品に集中出来るシンプルな空間になっています。
(作品のタイトルや詳しい説明は、QR コードを使用してサイトにクセスして見るか、紙のパンフレットで見るようになっています)
ブランクーシの彫刻
ブランクーシの彫刻は、ミロのビーナスやロダンの考える人のように一目見て何か分かるようなリアルなものというより、対象となるものの要素を究極までそぎ落としその本質のみを拾い上げて表現していて、一見何だか分からないようなシンプルな作品が多いです。
ただ、「プライド」や少年が苦悶によって首を捻っている「苦しみ」のように初期の頃は、具象的なものを作っています。
この「苦しみ」が巨匠ロダンに評価され一時期、ロダンの工房で働いていましたが、すぐにロダンの元を去り独自の道を歩み始めるようになり作ったのが「接吻」です。
「接吻」は、ひとつの石膏の塊に直接彫り込まれた2人の人物を表現していますが、これは、粘土や石膏を使って模型から彫刻を作る従来の方ではないもので、「苦しみ」のような写実的なものから抜け出した転機となる作品となります。
熱い抱擁を交わす二人は、夫婦なのか恋人か?
(男女なのか、そうではないのか)
そんなことはどうでもいいと思わせるこの作品は、今見ても、古びない時代を超えた普遍性があります。
素朴な石膏の温かみや互いの肩に回した腕の柔軟さに心地さを感じさせながら、二人の一体感は、細部を省略して愛情や親密感といった本質のみ抽出しています。
さらに形態の単純化、完璧なフォルムの追求を進めたのが、「眠る幼児」(1907年)で、首や胴体がなく頭だけのモチーフにする変化を見せています。
「接吻」もそうだが、彫刻の伝統的な台座がなくて、「眠れるミューズ」のように頭部がごろんと横たわり右頬を平らにして寝かせて展示する方法は、「彫像は垂直に」という当時の通念に反した革新的なものでした。
「眠れるミューズ」からブランクーシは、これ以上何も取り除くことが出来ないというくらいシンプルな「卵形」などのフォルムに向かいます。
ブロンズを磨き込んだメタリックな表面は、例えば「ポガニー嬢Ⅱ」は、肩などがどんどん省かれ、瞼が協調されて行き着いたかたちだけど女性特有の艶やかさやしなやかさがダイレクトに伝わり、ミニマムだけど本質は、外していないです。
ブランクーシは、鶏を題材にしたものを多く作品にして鶏やペンギン、伝説や神話の鳥をタイトルにしたものがありました。
「雄鶏」は、一見、何だか分からない抽象化したかたちだけどギザギザの三角型フォルムに太い脚が付いたものなど確かに「鶏」だと説得力があるのは、鳥の形態を模写するのではなく鳥に共通する特性を捉えてエッセンスに還元しているからでしょう
遠くから見るとインク瓶に刺した羽ペンに見える「空間の鳥」は、鳥が地面から飛び立つその「動き」自体を表現していて、鳥の特性である「飛ぶ」ことを強調し突き詰めるとこのような円弧を描くフォルムへと導かれていくのです。
鳥のエピソードで面白かったのが、羽ペンみたいな「空間の鳥」をアメリカに輸出した際、あまりにも単純化された作品のため税関で「美術品」とみなされずに工業製品とみなされてしまい高い関税を課せられて裁判にまで発展したことです。
当時としては、ここまで抽象化した彫刻作品というの見たこともなかっただろうに裁判で敗訴した税関にも同情してしまいます。
ブランクーシのそれだけ本質に迫ったミニマムな表現方法は、当時としては革新的で、20世紀の彫刻に先鞭をつけ美術界に大きな影響を与えています。
絵画や写真
彫刻以外にも絵画や写真などで独自の感性を磨いていたブランクーシ
除去された左腕が残る絵画「スタンディング・ボーイ」は、彫刻作品「最初の一歩」の準備段階で製作された絵だと考えられます。
ブランクーシが撮影した53点の写真作品も展示していて、自身の作品を写真に撮ることで彫刻作品を相対化していたと思われ、絵画や写真が創作の両輪のようになっていたのかもしれません。
写真と実物の彫刻と合わせて見ると面白いです。
しぼり菜リズム(まとめ)
ブランクーシの展覧会『ブランクーシ 本質を象(かたど)る』(アーテイゾン美術館)に行きました。
コンスタンティン・ブランクーシ(1876~1957年)は、ルーマニア出身のロダン以後の20世紀彫刻の領野を切り拓いた彫刻家です。
ブランクーシの彫刻は、ミロのビーナスやロダンの考える人のように一目見て何か分かるようなリアルなものというようり対象となるものの要素を究極までそぎ落としその本質のみを拾い上げて表現していて、一見何だか分からないようなシンプルな作品が多いです。
「接吻」は、ひとつの石膏の塊に直接彫り込まれた2人の人物を表現していますが、これは、粘土や石膏を使って模型から彫刻を作る従来の方ではないもので、「苦しみ」のような写実的なものから抜け出し転機となるような作品です。
さらに形態の単純化、完璧なフォルムの追求を進めたのが、「眠る幼児」では、頭だけのモチーフにする変化を見せこれ以上何も取り除くことが出来ないというくらいシンプルでな「卵形」などのフォルムに向かいます。
「雄鶏」は、一見、何だか分からない抽象化したかたちだけどギザギザの三角型フォルムに太い脚が付いたもので、鳥の形態を模写するのではなく鳥に共通する特性を捉えてエッセンスに還元しているいます。
「空間の鳥」は、鳥が地面から飛び立つその「動き」自体を表現していて、鳥の特性である「飛ぶ」ことを強調し突き詰めるとこのような細長い円弧を描くフォルムになるのだと思いました。
■ブランクーシ 本質を象る
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- 会場 アーテイゾン美術館
- 会期 2024年3月30日(土)~7月7日(日)