(「Gravity and Grace」ドローイング 大巻伸嗣)
現代アートの展覧会に行きました。
「大巻伸嗣 Interface of Being 真空のゆらぎ」(新国立美術館)と「オラファー・エリアソン展」(麻布台ヒルズギャラリー)です。
大巻伸嗣 Interface of Being 真空のゆらぎ
新国立美術館の「大巻伸嗣 Interface of Being 真空のゆらぎ」は、入場料無料の展覧会なので、あまり期待せず行きました。
が、作品数は多くないものの結構、見応えがありました。
実は、大巻伸嗣(1971年~)を存じ上げず作品も今回、初め見ることになりました。
展示空間を非日常的な世界に生まれ変わらせ、「存在するとはいかなることか」という問いを掲げるダイナミックなインスタレーション作品やパブリックアートを発表してきたアーティストのようで今回も大規模なインスタレーションがありました。
天井高8m、2000㎡にも及ぶ柱の無い大きな展示会場に入るとすぐ目の前に白く光る巨大な花瓶があります。
壺の内部を上下回転しながら移動する光源が、透かし彫りの文様を壁や天井に陰影を映し出します。
見る角度によって様々に表情を変え、展示空間に多彩な表情を与える
床面目をこらすと各所に何か言葉が印字されているようでしたが、これは、詩人の関口涼子とのコラボレーションから生まれた詩だと後で分かりました。
本作を見ている自分の影も変化し続けるので、軽い立ち眩みを覚えながらも過行く時の流れに身を委ねている自身を体感しました。
印画紙のうえに直接ものを置いて焼きつける写真技法のフォトグラム作品も制作しています。
フォトグラムの光の当たった部分が黒く、モノが存在した部分は白く光と影が逆転した写真は、人の身体を介在させることで光と影の間に存在する人間が浮かび上がらせるというもの
大巻伸嗣の普遍のテーマである「存在するとはいかなることか」という問い掛けに思わず足が止まります。
「Liminal Air Time—Space 真空のゆらぎ」は、照明を落とした部屋に薄いポリエステルの一枚の布が、風にたなびき波のように寄せては返します。
風を受けて形を変え大きく翻る布は、霧や雲のようにも波のようにも見え想像力を掻き立てます。
薄布は、同じ動きをまったくしないので、まるで偶然が生む自然の産物のようです。
この空間に身を置くと一瞬、自分が何処にいるの分からなくなるような錯覚に陥り、我に返ると自分の立ち位置を確認しているという不思議な体験をしました。
この2つのインスタレーションの展示がメインだったけど会場で販売されている展覧会の図録も売り切れになっていて、入場無料の展覧会では「大巻伸嗣」というアーティストを効果的にPR出来たのだと思います。
近年、演劇の分野にも活躍の幅を広げているので、人気が出るのは時間の問題と思われます。
展覧会会期中には、会場内で作品に合わせたパフォーマンスも行われて、大巻作品は、こういったものと親和性がありさそうなので、イベントを見逃したのは痛かったです。
■大巻伸嗣 Interface of Being 真空のゆらぎ
- 会期:2023年11月1日(水)〜12月25日(月)
- 会場:国立新美術館 企画展示室2E
オラファー・エリアソン
11月に開業した麻布台ヒルズにある「麻布台ヒルズギャラリー」のオープニングを飾った「オラファー・エリアソン展:相互に繋がりあう瞬間が協和する周期」を見に行きました。
オラファー・エリアソン(1967年~)は、アイスランド系デンマーク人で、ジャンルを横断する多様な作品だけでなく、環境問題などの社会的課題への積極的な取り組みでも世界的に注目されているアーティストです。
オレンジ色の球体の中に、それぞれ異なる形のガラスの多面体が3つ収まり回転し中のライトが、複雑に屈折する光を作り出し見る角度によって色や光り方が変わります。
『テート美術館展 光— ターナー、印象派から現代へ』で見たエリアソンの「星くずの素粒子」に色を付けたような感じです。
球体は、少宇宙を内包した太陽にも見え、壁に投影された模様を含めると光る球体は、宇宙空間の中の一部のようにも見えます。
まあ、この球体、ビジュアル的にも美しく見ていて飽きないです。
「終わりなき研究」は、振り子の動力のみで稼働しドローイングを生成するマシン
振り子の先に取り付けられたペンが、振り子の振動によって紙の上を回るように動き、その軌跡が残された作品がに展示されています。
ドローイングマシンで作られた会場内の作品は、精緻に計算された幾何学模様のように見えますが、こんな単純な方法で作られていたのですね。
「ダブル・スパイラル」は、二本の螺旋の形のスチール製のステンレスが、天井から吊るされゆっくりと回転しています。
繋がっているのにそれぞれが、上下違う方に動いている?
どうなっているのでしょう
見ていると負のスパイラルに陥ります。
カタールの砂漠で太陽光とガラス玉で回転する紙を焼き付けた作品で、「焦げ」た跡が惑星の軌道のように見え、自分が今いる「地球」を強く意識します。
水彩画は、太古の氷河の氷の小片を置いて、徐々に溶けていく氷が顔料を滲ませていったものです。
「呼吸のための空気」 は、本展のために制作された新作で亜鉛廃棄物というリサイクル素材使用し、アートにサステナビリティへの取り組みを入れたものです。
エリアソンの作品は、スチールでもステンレスでもリサイクル素材でも美しく、そのセンスは、同じ北欧のジョージ・ジェンセンのジュエリーを思い起こします。
自然現象、幾何学、物理的な動きが導き出すパターンなど地球との関係性と密接なものが多く、再生可能エネルギー、気候変動などアートを介して持続可能な世界を提言しています。
展覧会の目玉であろう水を用いた大型インスタレーション「瞬間の家」を見ようとしたらトラブル発生
作品に不具合が出て、見れなかったのです。
いつ、復旧するのかも分からない中、「(次の)映像作品を先に見ていて下さい」とスタッフから説明、案内されましたが
入場時にその旨の説明も貼り紙もなし
映像を見ている間に復旧するか分からない
ということで、一緒に行った友人は、主催者に抗議しました。
チケットを買う前の告知を怠ったことや作品数も多くない展覧会のその半分くらいの割合を占めるであろうメインの作品がないのは、展覧会として成り立たないという私と同じ思いだったので、それを友人が代弁してくれてとても有難かったです。
(私ひとりだったら、言えたかどうか)
結局、私達のチケット代を払い戻ししてくれましたが、他の10人くらいの観客は、言われるままビデオを見ていて、何も言わなければそのままなのかと「言ったもん勝ち」という対処の仕方にいい気分はしませんでした。
開業間もないためのスタッフの不慣れな対応やトラブルはつきものだから仕方がないと思いつつ…サイトやチケットを買う前に告知だけはして欲しいものです。
それでも行きたいという人もいると思うので
■「オラファー・エリアソン展:相互に繋がりあう瞬間が協和する周期」
- 会期:2023年11月24日(金)~2024年3月31日(日)
- 会場:麻布台ヒルズギャラリー
しぼり菜リズム(まとめ)
「大巻伸嗣 Interface of Being 真空のゆらぎ」(新国立美術館)
大巻伸嗣(1971年~)は、展示空間を非日常的な世界に生まれ変わらせ、「存在するとはいかなることか」という問いを掲げるダイナミックなインスタレーション作品やパブリックアートを発表してきたアーティストです。
目の前に白く光る巨大な花瓶「Gravity and Grace」は、上下回転しながら移動する光源が透かし彫りの文様を壁や天井に陰影を映し見る角度によって様々に表情を変え展示空間に多彩な表情を与えます。
「Liminal Air Time—Space 真空のゆらぎ」は、照明を落とした部屋に薄いポリエステルの一枚の布が、風にたなびき波のように寄せては返し風を受けて形を変え大きく翻り霧や雲、波のようにも見え想像力を掻き立てます。
この2つのインスタレーションの展示がメインで、印画紙のうえに直接ものを置いて焼きつける写真の技法のフォトグラム作品もあり、作品数は多くなく入場料無料ながらが、なかなか見応えがありました。
「オラファー・エリアソン展」(麻布台ヒルズギャラリー)
「麻布台ヒルズギャラリー」のオープニングを飾った「オラファー・エリアソン展:相互に繋がりあう瞬間が協和する周期」
デンマーク人のオラファー・エリアソン(1967年~)は、ジャンルを横断する多様な作品だけでなく、環境問題などの社会的課題への積極的な取り組みでも世界的に注目されているアーティストです。
「蛍の生物圏(マグマの流星)」 は、オレンジ色の球体の中に、それぞれ異なる形のガラスの多面体が3つ収まり回転し中のライトが、複雑に屈折する光を作り出し見る角度によって色や光り方が変わりビジュアル的にも美しく見ていて飽きないです。
振り子の動力のみで稼働し、会場内でドローイングを生成する「終わりなき研究」、二本の螺旋の形のスチール製のステンレスが、天井から吊るされゆっくりと回る「ダブル・スパイラル」
砂漠で、太陽光とガラス玉で回転する紙を焼き付けた作品、太古の氷河の氷の小片を置いて、溶けていく氷が顔料を滲ませた水彩画、リサイクル素材使用した作品など
エリアソンの作品は、自然現象、幾何学、物理的な動きが導き出すパターンなど地球との関係性と密接なものが多く、再生可能エネルギー、気候変動などアートを介して持続可能な世界を提言しています。
展覧会の目玉であろう大型インスタレーション「瞬間の家」を見ようとしたらトラブル発生で、残念ながら見ることが出来ませんでした。