(「ピアノの前の前の若いヴァイオリン」1924~26年)
マティス展
『マティス展』(東京都美術館)に行きました。
30代のとき西洋美術館の「バーンズコレクション展」でアンリ・マティス(1869~1954年)を見て以来、マティスのファンになりました。
そのとき以来のマティスのイメージは、これ
今までのマティスのモチーフが全部対になっていて、晩年のマティスの集大成ともいえる絵で、これぞマティスというものです。
赤い色ってこんに奇麗だったのかとほれぼれし、色のバランスのセンスのよさはさすが「色彩の魔術師」と呼ばれたマティスです。
この絵のように単純化された描写と鮮やかな色使いがマティスの持ち味で、そんなマティスしか知りませんでした。
でも、これはマティスの一部で今展覧会で、初期から晩年までの画業の軌跡をたどることで試行錯誤しながら私の知っているマティスになったということが分かりました。
マティスの変遷
世界最大規模のマティスコレクションを誇るパリの文化施設「ポンピドゥー・センター」から、絵画に加えて、彫刻、ドローイング、版画、切り紙絵など約150点が来日するというマティスファンにとって贅沢な展覧会です。
マティスの画業の変遷が分かるように年代順に展示しています。
85歳まで生きた長い人生で、画風が頻繁に変わり初期の作品から晩年の作品まで見るとこれ、同じ人が描いたのかと思うくらいです。
マティスは、若い頃の絵を見ると実は、絵が上手い(?)んです。
晩年の単純化され写実性がなくて遠近法もない子どもが描いたようなマティスの絵とは違い、マティスらしさはないけどコロー風の「読書する女性」(1895年)のようにちゃんと描いています。
ピカソやルオーも最初は、写実的なまともな絵を描いていて、ゴッホもそうです。
でも、上手いだけならルネッサンスの三大巨匠とかいくらでもいる
ここからどうして、独自の世界を切り開いて皆が知るマティスになったかが展覧会の見所なのです。
写実的なものからセザンヌ、ゴッホ 、ゴーギャンら後期印象派の影響を受け、自由な色彩による絵画表現を追究するようになりマティスの迷走期が始まります。
大胆な色彩を特徴とする作風の「フォーヴィスム」(原色を主体とする激しい色彩と大胆の筆遣い)をやってみたりポール・シニャックのような点描画「豪奢、静寂、逸楽」(1904年)を描いてみたり色々と方向性を模索
(それにしても、マティスがテンテンテンの「点描画」を描いていたなんで意外でした。)
20代から40歳くらいまでどんどんと描く絵が、変わってゆく様は見ていて面白いです。
40代後半は、窓がモティーフのものをよく描いていますが、部屋の窓から臨む景色を描いた「コリウールのフランス窓」(1914年)のように窓から見えるはずの景色を黒で潰してしまい画風も抽象的で別人が描いたようです。
50代は、ニースに引っ越してからのマティスは肖像画や室内画、風景画をよく描きます。
マティスは「窓」をモチーフにした絵で、アトリエと窓、内と外を融合させながらひとつの空間にさせようと試みています。
センスのいい青
やっぱり、マティスは「色の人」です。
60代に描いた絵は
写実的なものを心の中を表すのに単純化して形を変えたこの絵などはマティスらしさが出ています。
(どこか1909年の「ダンス」に通じるものがありますね)
モデルは、死までアシスタントからモデルとしてマティスの傍にいたリディア・デレクトルスカヤです。
描きかけのような絵は、ここに至るまで心の動きが重要で完成だけが重要ではない
何が描いてあるということよりも、画面全体の構図や色のバランスがよくて見てて心地よいです。
こんな絵を見るとあえて形を崩し、心に残るものをデフォルメして描き…独自の世界を切り開いていったのだと思いました。
70代になっても感性は、衰えていません。
真っ青、真っ赤などマティスカラーで部屋全体が華やか。
絵画のために色を用いるというのではなく、色彩のために絵を描いているのかと思わせます。
この辺りはもう「色彩の魔術師」で色と色との関係、バランス量、配置が素晴らしいです。
遠近法使ってないのに平板になってないも凡人ではありません。
マティスと病気
裕福な家庭に生まれ、法律家として弁護士事務所に就職していたのですが、盲腸で療養中に母親に絵をすすめられて画家に転向しました。
それから、美術学校に行ってと画家としては遅いスタートでした。
マティスは、盲腸をきっかけに画家になったようですが、病気になってなくてもマティスの魂が導きいつか画家になっていたと思います。
晩年、小腸がんを患い人工肛門になりストーマでの生活をしていたそうです。
この時代でもストーマがあったなんて知りませんでしたが、私もストーマなのでシンパシーを感じます。
大病で体力が失われたことで、思うような創作活動が出来なくなりそこで、「切って、貼る」というベットの中でも出来るシンプルな作業の「切り紙絵」にシフトし更なる芸術を追求していきます。
その制約された創作活動で「ジャズ」シリーズを完成させ転んでもただでは起きません。
病気を機に始めた切り絵は、マティスが目指していた抽象化や色彩の純化、そして内面的な世界の表現に適していて、切り紙絵を通じて、芸術的な成果を上げることが出来たのです。
切り絵や最晩年にトータルコーディネートしたヴァンスロザリオ礼拝堂の作品は、ポップアート的で今見ても斬新でカッコイイです。
しぼり菜リズム(まとめ)
『マティス展』(東京都美術館)に行きました。
今回は、彼の初期から晩年までのマティスの画業の変遷をたどることができます。
マティスは色彩の魔術師として知られており、この作品でも鮮やかな色使いが特徴で単純化された描写と色彩のバランスのセンスは、マティスの作品の持ち味と言えます。
しかし、この作品はマティスの全体像を知るための一部に過ぎず、彼の作風の変遷を見ることでより深く理解することが出来ます。
若い頃の作品からは実力の高さがうかがえますが、彼が独自の世界を切り開いていく過程が見て取れます。
マティスは後期印象派の影響を受けつつも、自由な色彩による絵画表現を追求しフォーヴィスムと呼ばれる大胆な色彩を特徴とする作風を試みたり、点描画を描いたりと方向性を模索していました。
彼の作品は年代が進むにつれて変化し、晩年には写実性がなくなり、独自のスタイルを確立していきます。
病弱の身で到達した切り絵は、マティスが目指していた抽象化や色彩の純化、そして内面的な世界の表現に適していて、切り絵を通じて、芸術的な成果を上げることが出来ました。
彼は切り紙絵や教会アートなど、限られた環境で新たな芸術形式に挑戦し晩年でもマティスのエネルギーは衰えることはありませんでした。