東福寺
「東福寺展」(東京国立博物館)に行きました。
京都五山の一つで国内最大の禅寺「東福寺」(京都市東山区)は、京都のお寺の中でも大好きなお寺で過去に何度も訪れています。
京都市内にありながら境内の一部に木々深い谷があり、大陸的な存在感を放つ山門や伽藍の前に立つだけでそのスケールに圧倒されます。
拝観時間を過ぎた夕方の時間帯の人のいない境内は、まるで時代をタイムスリップしたような静かな空間で、40年過ぎた今でも忘れられません。
東福寺は、私の好きな枯山水の方丈庭園があり、塔頭も25か寺と多く、 数多くの国宝や重要文化財を有して何度、足を運んでも飽きないお寺です。
会場に境内を流れる渓谷に掛かる「通天橋」を再現した空間があり、橋を渡るような感覚で、紅葉の風景を楽しむことが出来ます。
東福寺は、九条道家が創建した寺院で、奈良の「東大寺」や「興福寺」に劣らない寺院にしたいとそれぞれから1文字取って「東福寺」と名付けられました。
鎌倉時代に始まる東福寺は、九条道家が19年の歳月を費やして造り、中国で禅を学んだ円爾(えんに)を開僧に迎えて建立しました。
円爾は、禅宗界のレジェンドですが、うどんやそば、饅頭の製法を中国から日本に持ち帰って伝えたことや博多祇園山笠の生みの親として「聖一国師(しょういちこくし)」の名でも親しまれています。
東福寺は、建造物や彫刻、絵画、書跡など禅宗に関する寺宝が多く伝わり、国指定を受けている文化財は、本山東福寺、塔頭合わせて国宝7つ、重要文化財は98件もあるお寺です。
この東福寺の寺宝をまとめて展示したのが今回の「東福寺展」
東福寺へ行ったときも見ることが出来なかったものばかりで楽しみにしていました。
五百羅漢図
まず、見どころの一つは、絵仏師・吉山明兆(みんちょう 1352~1431年)の14年間に掛けた修復を経た「五百羅漢図」です。
五百羅漢は、お釈迦様の500人の弟子をモデルとしたもので、1幅に10人の羅漢を表わし50幅本として描かれ、50幅中、東福寺で保有する45幅、根津美術館の2幅、補復元模写されたもの2幅を展示しています。
(3期入れ替え展示のため、1度に全てを見ることが出来ません。)
50幅中、今まで行方不明だった残り1幅が、ロシアのエミルタージュ美術館にあることがオープン直前に分かり美術館から写真を撮って送ってもらいパネルで展示(「幻の50号」)しています。
(明兆の残した下絵を参考に2018年に復元模造したものもあります。)
エミルタージュ美術館の実物は、現時点では、ロシアとの関係を考えるとお目に掛ることは叶わぬ夢かと思います。
でも、政治的な思惑とは別に文化的な外交だけは途切れないでいつか日本に来日して欲しいです。
修復によって700年前の色彩が蘇った絵の背景の水墨と極彩色の調和が美しく、特に羅漢の極彩色の衣は簡素な禅寺では目立っていたでしょうか。
羅漢図の横にセリフの入った吹き出しとコマ漫画のパネルがあり、それを読みながら見ると絵の解説にもなって分かりやすく羅漢達のユーモラスな表情とともに親しみが持てます。
禅寺というお堅い寺院のイメージをいい意味で壊してくれる演出です。
室町時代に活躍し江戸時代までは雪舟と並び称された明兆。
今では、雪舟の陰に隠れ知名度は今一つなので、このように明兆の作品を公開する機会がもっとあれば再評価されるのかもしれません。
圧倒的スケール、すべてが規格外
「圧倒的スケール、すべてが規格外」
という展覧会のキャッチコピーのような展示コーナーがありました。
それは、東福寺の巨大伽藍に合わせて造られた仏像や仏教彫刻です。
これは、明治時代に消失した本尊の焼け残りの「仏手」(左手)です。
手の大きさだけでも2m以上あるので、仏像本体はどれほど大きかったか
調べると本尊は15mあり、奈良東大寺の大仏は、高さ約15m、顔の幅約3.2m、手の大きさ約2.5mなのでそれに匹敵し、東大寺や興福寺にも劣らない寺にしようとした当時の気概を感じさせます。
手だけでも優しさと包容力が感じられ、全体像はどんな御姿だったか想像力を掻き立てられます。
これは、蓮の花の「花弁」
仏像の台座の蓮の花びらの1枚も高さ1mとビックサイズです。
仏像も蓮台も全て木製(寄木造)で金箔が施されて、東福寺の実力が垣間見えます。
そして、東福寺のスケールの大きさを物語るのがこれ
独立した1体の本尊のように見える「釈迦如来像」だけど実は、これ、旧本尊である大仏のパーツの1つである光背(こうはい)なのです。
光背は、仏が苦しんでいる人を救うために別の姿で現れる分身で、よく仏像や菩薩像の頭の上や後光に配置されている仏様です。
確かに横から見ると体の厚みが少し薄いのが唯一、光背らしいです。
また、高さ3mを超える2体の二天王立像、巨大な本尊脇侍像のほか明兆が描いた高さ3mの観音様(「白衣観音図」)、禅宗の開祖達磨さんの大きな画(「達磨だるま・蝦蟇鉄拐図」)や肖像画の中で一番大きいとされる円爾の肖像画も、寺院同様スケールが大きいです。
ちなみに身長3m二天王立像を運ぶのに梱包だけで7日を要したとビデオの解説にあり、裏方の方々の苦労も偲ばれます。
こんな仏像達を解説付きの空調の効いた快適な観覧会場で見ていると「仏像は、お寺で見るもので美術館で見るものではない」(『大和古寺風物誌』)などと亀井勝一郎先生に叱られそうです。
「仏像は、美術か信仰か」って考えると
本来、祈りを捧げる信仰対象として見るものだけど、お顔や手、身衣などやはり美術品として美しいから信仰を支えてきたのだと「鑑賞」の対象として見るのもありだと思いました。
でも、「強面さん達の中に(目が)切れ長美男の阿難さんがいる」とか、「短い首、厚い胸板、筋肉質のボディ、お腹の出具合で金剛力士様は、骨格診断的に「ストレート」の体形」だとか…
実際、私は、こんな不謹慎な目で見ていて、これでは、聖なる仏様に対して失礼ですね。
禅宗美術の宝庫である東福寺のお宝が結集した展覧会でありますが、東京に全部持って来てしまった東福寺は、空っぽになってしまっているのではと心配になります。
でも、心配は無用、さすがにご本尊の釈迦如来様は本堂でお留守番、参拝者をきちんとお迎えしているそうです。
東福寺展では、美術的に価値のある寺宝のほかに円爾が大陸からもたらしたとされる百科事典(皇帝の命で編纂された「太平御覧」(国宝))などの歴史的文献としても貴重なものもありました。
禅寺は、寺宝の一般公開はあまりやらない印象があり、今回、何気に国宝もありこんなに沢山のお宝を惜しみなく出品してくれた東福寺の器の大きさも規格外だと東福寺がさらに好きになりました。
しぼり菜リズム(まとめ)
京都の東福寺は、鎌倉時代に九条道家が創建した寺院で、開祖は、中国から帰国した円爾、奈良の「東大寺」や「興福寺」に劣らない寺院にしたいとそれぞれから1文字取って「東福寺」と名付けられました。
東福寺は、建造物や彫刻、絵画、書跡など禅宗に関する寺宝が多く伝わり、国指定を受けている文化財は、本山東福寺、塔頭合わせて国宝7つ、重要文化財は98件もあるお寺でこの東福寺の寺宝をまとめて展示したのが今回の「東福寺展」です。
見どころの一つは、明兆のお釈迦様の500人の弟子をモデルとした「五百羅漢図」
修復によって700年前の色彩が蘇った絵の背景の水墨と極彩色の調和が美しく、特に羅漢の極彩色の衣は簡素な禅寺では目立っていたでしょうか。
東福寺の巨大伽藍に合わせて造られた仏像や仏教彫刻は、スケールが大きく規格外です。
特に旧本尊の大仏の手や蓮台の蓮の花びら、光背の釈迦如来像は消失前の大仏の大きさを感じさせます。
東福寺展では、美術的に価値のある寺宝のほかに円爾が大陸からもたらしたとされる百科事典などの歴史的文献としても貴重なものもありました。
禅寺は、寺宝の一般公開はあまりやらない印象があり、今回、何気に国宝もありこんなに沢山のお宝を惜しみなく出品してくれた東福寺の器の大きさもビックだと東福寺がさらに好きになりました。
■東福寺展
- 場所:東京国立博物館 平成館
- 会期:2023年3月7日(火)~5月7日(日)