「LOUVRE ルーヴル美術館展 愛を描く」(国立新美術館)へ行きました。
愛LOVE
「LOUVRE」
美術館に行くとの文字が入ってすぐ目に入り、「LOUVRE(ルーヴル)」の中に「LOVE」があったのかと感心しました。
ルーヴル美術館の中から「愛」をテーマにした絵画作品だけを73点を厳選して展示したのが今展覧会です。
普遍的である「愛」を時代や背景の違いでどのように先人達は表現してきたかが見どころです。
愛は、男女の恋愛感情、家族をいつくしむ気持ち、他人や生き物を思いやる気持ち、自己愛と様々です。
本展では、ギリシア・ローマ神話を題材とする神々の愛、キリスト教の愛、恋人達の愛、家族の愛、官能の愛、悲劇の愛…
16世紀から19世紀半ばまでのヨーロッパの名画による多様な愛の表現を時代ごとに「愛」そのものが変わっていく様が分かるよう作品が展示されています。
神話の中の愛
ギリシャローマ神話の愛を題材としたのが、「アモルとプシュケ」です。
これが一番目を惹いたのは、幼さが残る二人の顔立ちや滑らかな身体、陶磁器のような肌がでとっても美しいからです。
プシュケの薄い衣の質感もナポレオンに気に入られたジェラールの繊細な画才によります。
美少女は、王女のプシュケ、美少年は、キューピッド・アモルです。
キューピッドは、ローマ神話に登場する恋の神で、背中には翼が生え、手には弓矢を持った少年の姿をしています。
キューピッドは、彼が放った矢に当たると、恋に落ちるという愛の神様で3等身の小さな子どもとして描かれることもあれば、このようにプシュケの恋の相手として青年として描かれることもあります。
展覧会で沢山の可愛らしいアモル達が登場していました。
(「アモルの標的」のキューピッドの的をよく見ると外れた矢の穴がいくつのあって、キューピッドの矢も1発で命中しないこともあるのがご愛敬です。)
ところで、「キューピッド」と「エンゼェル」は何が違うのかといえば、、キューピッドは、矢を持っていますが、エンゼェルにはなく、逆に天使の輪っかもエンゼェルにはありますがキューピッドにはありません。
天使は色々な宗教で登場する神様の使いなので、キューピッドとは役割が違います。
「アモルとプシュケ」の物語では、愛を司る女神ヴィーナスが、美しいプシュケに嫉妬して息子のアモルにに命じて、彼女をこの世で一番醜い生き物と結婚させるよう策略します。
(ヴィーナスは、不倫もしてたりして神様の世界も相当ドロドロ)
でも、それが裏目に出てしまい、最初に見たものに恋をしてしまう呪いの矢を誤って自分に刺してしまったアモルは、プシュケに恋をします。
プシュケが、こっそり眠っているアモルを愛おしそうに見つめる「眠るアモルを見つめるプシュケ」(ルイ=ジャン=フランソワ・ラグルネ(兄))と違い、この絵のプシュケの目が「心ここにあらず」なのは、まだ、恋に落ちる寸前でアモルを意識していないのか、アモルの姿が見えていないのかというところでしょうか。
そんな二人は、紆余曲折ありながら最後は、結ばれ結婚をします。
このようなハッピーエンドの物語は、神話では珍しくそんな予感も秘めた絵は蝶も舞い幸せのオーラが漂います。
ちなみに「プシュケ」はギリシャ語で「魂」という意味で、愛の神アモルの「愛」と「魂」の結びつく様は、素敵ですね。
キリスト教の愛
画家が貴族から宗教画を依頼される事が多いので西洋は、宗教画が多く古代神話の愛とは対照的なのが「キリスト教の愛」です。
キリスト教における愛の表現は、正しい家族のあり方、献身、無償の愛、キリストの犠牲や殉教をモラルとして信者達に示しています。
神が人間に注ぐ愛、人間が神に寄せる愛というのもあり古代神話における神々の奪い取るような愛とは一転しています。
この絵は、幼子イエスを抱く聖母マリアの我が子を愛おしむ姿を表現しています。
でも、深掘りすると今こうしてすやすやと安心して眠る未来のイエスが、民衆の犠牲になり十字架に架けられるその後の運命を見据え慈愛の念を抱ているようにも見えます。
同時に十字架から降ろされたイエスの亡骸を腕に抱くマリア(「ピエタ」)も思い出します。
キリスト教の親子愛を描いた「放蕩息子の帰宅」(リオネッロ・スパーダ)は、現代でもありそうな光景ですが、老親が娘の母乳を吸う「ローマの慈愛」または「キモンとペロ」(シャルル・メラン)は、ストーリーを知らないで見ると理解に苦しみます。
一方的な愛
王女を力ずくで連れ去る「オレイテュイアを略奪するボレアス」(ピーテル・パウル・ルーベンス、ケンタウロス)、人妻を略奪するシーンを描いた「ニンフとサテュロス」(アントワーヌ・ヴァトー)
ギリシア、ローマ神話の愛は、「相手のすべてを自分のものにしたい」という強烈な欲望と一体になった一方的な愛も多いです。
神や人間が愛する者の無防備な寝姿を一方的に眺める場面や気に入った子を永遠に眠らせたり、暴力や魔力で愛しい人を強引に手に入れるような愛もルネサンスから19世紀に至るまでよく描かれました。
(神様のDVなんてあるのですね。)
愛は、人や物を大切にする心のことで、 好きな人や物のために何でも与えたいと思うものです。
このように人を思う愛おしさはあっても、自分の気持ちを満足させようと相手の大切なものを奪ってしまうのは「愛」というより(一方的な)「恋」なのではと思います。
様々な愛
他にも様々な愛の表現がありました。
妻と義弟の愛に嫉妬した夫に殺された二人が、亡霊になっても堅く抱き合う「ダンテとウェルギリウスの前に現れたフランチェスカ・ダ・リミニとパオロ・マラテスタの亡霊」
「ロミオとジュリエット」(テオドール・シャセリオ―)のようにピュアで情熱的な死に至る愛、シェイクスピアやダンテの文学をテーマにした壊滅的な愛
「アポロンとキュパリッソス」(クロード=マリー・デュビュッフ)で描かれている男性同士の性別にとらわれない愛もあります。
現代的で分かりやすかったのが、直接的には描かない匂わせるような愛や人間ぽい駆け引き満載の取り持ち女、禁断の愛、召し使いに色目を使う主人など俗物的な愛でしょうか。
隠喩が散りばめられ男女の愛の解釈がいくつもある「かんぬき」(ジャン=オノレ・フラゴナール)も愛の表現として魅了します。
このような絵が描かれたのは17世紀頃からで、当時のヨーロッパでは、東アジアとの交易で中産階級が勢力を増して中産階級からの注文が多くなり、神話よりも日常生活の中の愛が好まれたからです。
古代神話では神であれ人間であれ、愛の感情はヴィーナスの息子である愛の神アモル(キューピッド)が放った矢で心臓を射抜かれたときに生まれるとされ「愛」がテーマの本展では、沢山のアモル達が描かれていました。
愛あれば、全ての愛を踏みにじる戦争など終わりになるかもしれない。
などと考えるとアモルの愛の弓矢でプーチン大統領の心臓を射抜いたら、戦争が終わりになるのではないか。
でも、最初に見た相手が恋のターゲットなので、相手は、誰なのか考えてしまいました。
ゼレンスキー大統領?それともウクライナの人達?それとも…
もっとアモル達に活躍して欲しい世の中になりましたね。
ルーヴル美術館に行かなくてもこれだけの名画が見れるので、人数制限をしているものの若い女性を中心に混んでいました。
しぼり菜リズム(まとめ)
ルーヴル美術館の中から「愛」をテーマにした絵画作品を集めた「LOUVRE ルーヴル美術館展 愛を描く」(国立新美術館)
ギリシア・ローマ神話を題材とする神々の愛、キリスト教の愛、恋人達の愛、家族の愛、男女の恋愛感情、官能の愛、悲劇の愛…16世紀から19世紀半ばまでのヨーロッパの名画による多様な愛の表現を時代ごと「愛」そのものも変わっていく様がわかるように作品が展示されています。
ギリシャローマ神話の愛をを題材としたのが、「アモルとプシュケ」、幼子イエスを抱く聖母マリアの我が子を愛おしむ姿を表現した「眠る幼子イエス」
王女を力ずくで連れ去る「オレイテュイアを略奪するボレアス」、人妻を略奪するシーンを描いた「ニンフとサテュロス」のようにギリシア、ローマ神話の愛は、「相手のすべてを自分のものにしたい」という強烈な欲望と一体になった一方的な愛も多いです。
その他、愛による嫉妬、死に至る愛、性別にとらわれないの愛を表現した絵がありました。
■LOUVRE ルーヴル美術館展 愛を描く
- 会期:2023年3月1日〜6月12日
- 会場:国立新美術館