トキワ壮
実家の隣町にあった伝説のアパート「トキワ荘」
実家に住んでいる頃は、近くにありながらどこにあるのか、実際にあるのかなど分からず、そのうち行って見ようと思って数十年経過。
トキワ荘が、「トキワ荘マンガミュージアム」になり昨年、亡くなった藤子不二雄Ⓐの企画展をやっているということで見に行きました。
豊島区立トキワ荘マンガミュージアムは、2020年に開館しました。
手塚治虫、藤子不二雄、石ノ森章太郎、赤塚不二夫、昭和の漫画界の巨匠たちが青春時代を過ごした伝説のアパート「トキワ荘」を再現したミュージアムです。
本来のトキワ壮は、豊島区椎名町(現・南長崎)にあり老朽化により1982年に解体されています。
トキワ荘マンガミュージアム
ミュージアムは、写真や文献などにより外観、内装等を忠実に再現しています。

この建物は古いの?
当時「マンガ荘」と呼ばれていたトキワ荘、汚れ、サビ、経年劣化具合を再現したエイジング加工しているので最初は、本物のアパートかと思いました。

入館時に貰った缶バッチ
資料性の高い展示があるエリアは撮影不可ですが、ほとんどの部屋は撮影可能でした。
当時を再現したミシミシと音を立てて昇る階段の2Fは、共同炊事場、トイレ、手塚治虫、寺田ヒロオ、藤子・F・不二雄、赤塚不二夫、山内ジョージ、水野英子、石ノ森章太郎の部屋があります。

山内ジョージの部屋
この狭い4畳半から数々の名作が生まれたのですね。
紅一点の水野英子女史、男性住人ばかりで困ったことはなかったのな。

炊事場の奥の流し台は、石森章太郎と赤塚不二夫が近くに「鶴の湯」という銭湯もありながら流しで水浴びで体を洗っていた流し台です。
当時の生活を再現したラウンジのジオラマでもお二人が、炊事場の流しで体を洗っていました。
食べかけの「松葉」のラーメンの丼やカビがはえたパンがあり、ハエやゴキブリが出そうな当時を忠実に再現していますが、やはり全体的に整備が行き届いているため小綺麗な印象が拭えません。
でも、昭和30年代(後半だけど)を知っている私は、間取りや家具、日用品など昭和の生活ってこうだったと感心しました。

石ノ森章太郎の部屋の押入れに劇場用映写機があったので、ディズニー映画などの35mmフィルムを集めアシスタントの部屋に置いていました。
そういえば、パネル展示で、豊島区の当時平均的なの家庭の支出と漫画家達の支出を比べ、彼らが本や映画に多くお金を掛けていたかが分かり納得しました。
住人達

兼ねてからトキワ荘は、よくもまあこれだけ日本を代表する漫画家達が集まったものだと感心していましたが、これは偶然ではなかったということを今回、知りました。
初期の入居者だった手塚治虫と寺田ヒロオを中心として、意図的に将来性のある漫画家をトキワ荘に集めたというのが実際だったそうです。
学童社という出版社が雑誌「漫画少年」に連載を抱える漫画家に入居を斡旋したことがそもそもの経緯で、入居希望する漫画家は面接による審査があったので自ずと有能な漫画家集まったのです。
確か、藤子不二雄Ⓐも確か雑誌の出版社の紹介で、富山から上京して住み始めたのだと思いました。
トキワ壮で漫画家達のコミュニティを作ることで、一人作業の孤独に陥らないようにすることや仲間と同時にライバル同士切磋琢磨していく意図もあったようです。
出版社としては、漫画家達から原稿回収や打ち合わせを一度に済ませられ、ときにはアシスタント業務をお互いお願いすることも出来たので共同生活は何かと便利だったようです。
そして、家賃が払えないと快くお金を貸してくれるテラさんこと寺田ヒロオという面倒見の良い兄貴的存在がいて、赤塚不二夫もテラさんがお金を貸してくれなければ漫画家を辞めていたと言っていたそうです。
藤子不二雄Ⓐは、「トキワ荘に入っていなかったら、藤子不二雄は存在しなかったかもしれない。」と語っていてトキワ荘がなかったら日本のマンガの歴史はきっと違っていたでしょう。
あれだけの漫画家達が一つ屋根の下で若き日を過ごしたのは偶然ではなかったもののやはり、奇跡には違いありません。
藤子不二雄Ⓐ

この日は、藤子不二雄Ⓐの『まんが道特別展』をやっていて『まんが道』の直筆原稿などが展示されていました。
『まんが道』は、富山県で出会った親友と二人でプロの漫画家を目指し上京し、夢をかなえるまでの様子をフィクションを交え描いた藤子不二雄Ⓐの自伝的作品です。
私は、読んだこともなくこの作品自体を知りませんでしたが、ちらっと見ただけでもこれから上を目指していく住人達のエネルギーや漫画の黎明期とシンクロした高度成長期の世相が描かれて、これから明るい未来に向けて成長していくと誰もが思っていたあの頃が懐かしいです。

藤子不二雄A原作による少年コミック『わが名はXくん』
私が好きな藤子不二雄の作品は、『お化けのQ太郎』『忍者ハットリくん』『怪物くん』『笑うセールスマン』『パーマン』『ドラえもん』で、私の漫画の原風景です。
子どもの頃、どれもテレビで必ず見ていたので、登場人物(Qちゃんや怪物くんのように人でないものも)皆、いつも一緒にいるような身近な存在でした。

1Fは漫画家の年表や、当時の漫画雑誌が展示され、トキワ壮のほかに豊島区の歴史に関するものが展示された博物館が併設された施設になっています。
私も隣町に住んでいたので、知っている場所、見たことのある風景もあって周辺の昭和30年代の写真や資料は興味深ったです。
トキワ壮は、日本漫画の歴史を語る上では避けられない聖地です。
今回は、トキワ荘しか行きませんでしたが、周辺はトキワ荘関連の施設もあり豊島区が予算をつけて漫画で街全体で盛り上げようとしています。
観光マップも貰って来たので、温かくなったらゆっくり歩きたいです。
しぼり菜リズム(まとめ)

老朽化により解体されたトキワ荘が、「トキワ荘マンガミュージアム」になり藤子不二雄Ⓐの企画展にぶつけて見に行きました。
ミュージアムは、手塚治虫、藤子不二雄、石ノ森章太郎、赤塚不二夫昭和の漫画界の巨匠たちが青春時代を過ごしたアパート「トキワ荘」を写真や文献により外観、内装等を忠実に再現。
汚れ、サビ、経年劣化具合を再現したエイジング加工し炊事場の食べかけのラーメンの丼やカビがはえたパンやトイレ、漫画家達の各部屋も再現され、当時の生活を伺い知ることが出来ます。
トキワ荘は、よくもまあこれだけ日本を代表する漫画家達が集まったものだと感心していましたが、これは偶然ではなく手塚治虫と寺田ヒロオが、意図的に将来性のある漫画家をトキワ荘に集めたり、出版社で斡旋していたりしたそうです。
トキワ壮で漫画家達のコミュニティを作ることや仲間と同時にライバル同士切磋琢磨していく意図もあり、出版社としては、漫画家達から原稿回収や打ち合わせを一度に済ませられ、ときにはアシスタント業務をお互いお願いすることも出来たので共同生活は何かと便利だったようです。
面倒見の良い先輩が、お金を工面してくれ赤塚不二夫もそれがなければ漫画家を辞めていた、「トキワ荘に入っていなかったら、藤子不二雄は存在しなかったかもしれない。」と藤子不二雄Ⓐも語っていてトキワ荘がなかったら日本のマンガの歴史はきっと違っていたでしょう。
1Fは漫画家の年表や、当時の漫画雑誌が展示され、トキワ壮のほかに豊島区の歴史に関するものが展示された博物館が併設された施設になっていて、周辺もトキワ荘関連の施設もあり豊島区が予算をつけて漫画で街全体で盛り上げようとしています。
■トキワ荘マンガミュージアム
東京都豊島区南長崎3丁目9−22