国宝展
「国宝」とは、ざっくり言うと国の宝。
特に、国が指定して特別に保護・管理する建築物や美術品や文書などです。
そんな国宝を日本全体の国宝の1割を有する国立東京博物館(以下「東博」)が、創立150年を記念し89点全て公開する『国宝 東京国立博物館のすべて』を開催したのでわくわくしながら見に行きました。
これだけ多くの国宝を見る機会は、滅多にないため平日にも関わらず混んでいました。
見所が多過ぎるのとスター級国宝の前は人だかりで、初っ端から気合を入れて見始めましたが第2会場辺りでは疲れてしまいじっくり鑑賞出来ませんでした。
会期中は、展示の入れ替えが4回もあり、見たいものの会期が違っているのもあり1か月経て再び見に行きました。
(本当は、4会期すべて行きたかった。)
スター国宝
松林図屛風
教科書でもお馴染みのスター国宝が沢山ありますがまずは
国宝界のスーパースター(「キムタク」か?)長谷川等伯「松林図屛風」(安土桃山時代・16世紀)がお出迎え
薄い墨の濃淡だけで表現し余地も多くぱっと見て随分地味なキムタクだなあなんて思って近くで見ると結構、筆致が激しい。
霧が立ち込めたのように見える余白も全体的に見ると空気感を醸し出すのに有効的て、これほど「空気」を感じることが出来る絵ってないような気がします。
中国から来た墨絵だけど、しっぽりした空気感や松林など「日本らしい」ものにしたのが等伯なのかな。
一般的な展示会ならば、1点でも国宝があれば成立しますが、ここはどこを見渡しても国宝、コクホーの贅沢な空間で、国宝酔いしてしまいそうです。
舟橋蒔絵硯箱
刷毛でお醤油をたっぷりと塗ってぷっくら艶々と黄金色に焼きあがったお餅に海苔を巻いて食べる。
そんな美味しそうな「磯部餅」のように見えるのが、私が楽しみにしていた本阿弥光悦(ほんあみ こうえつ)の「舟橋蒔絵硯箱」 (江戸時代・17世紀)です。
磯部餅をよく見ると黒い海苔の部分は、橋を表現していてその橋の下には数隻の小舟が連なり、『後撰和歌集』の和歌「東路の佐野の(舟橋)かけてのみ 思ひ渡るを知る人ぞなき」の文字を散らした凝った作りになっています。
硯箱は、2回目に見に行ったときには、光悦蒔絵の様式を継ぎながら独自の作風を確立した尾形光琳の「八橋蒔絵螺鈿硯箱」に入れ替わっていました。
こちらは、光琳らしい大胆な構図で『伊勢物語』第9段の「八橋」の場面を表現しています。
太刀 銘 三条・童子切安綱
今回の目玉のひとつでもある「刀剣」、暗闇の中に浮かび上がるよう名刀を一番美しく見えるように展示していました。
刀剣は、あまり興味がなかったのですがどうしても見たかったのがニックネームが「三日月宗近」の「太刀 銘 三条」(平安時代・10~12世紀)です。
徳川将軍家に伝来する日本刀の中で特に名刀といわれる5振(「天下五剣」)の1振に数えられる名刀で、名の由来にもなった刃の縁に沿って浮かび上がるいくつもの「三日月形」の刃文に特徴があります。
で、目を凝らして「三日月」を見ましたが光の具合でよく見えませんでした。
人気の刀剣なので、すぐに人垣が出来るためいつもでも最前列を陣取る訳にいかず一度離れて、他の展示を見てから再び見に来ると下の方の真ん中辺りにありました「三日月」の文様。
名刀中の名刀を見て研ぎ澄まされた美しさみたいなものは感じるけど、勉強不足でこんな三日月を見て喜んでいる私です。
きっと目が肥えると見えてくることが沢山あるのだと思います。
酒呑童子を切ったといも言われる「天下五剣」の1振「童子切安綱」(平安時代・10~12世紀)も秀吉、家康も愛した名刀だと知れば自ずと目の色が変わります。
(やはり、ビックネームに弱いのね。)
名刀の造形美やクオリティもさることながら刀剣もまつわるエピソードも面白く、知れば知るほどその先には深い「沼」が待っているのだと思われます。
国宝にまつわるエピソード
動画やテレビ番組、ネットで予習してうんちくを仕込んで行ったら面白かったものです。
孔雀明王像
「孔雀明王像」(平安時代・12世紀)
様々な災いを除く力があるとされる明王は、怒ることで魔除けとされますが孔雀を神格化した孔雀明王は、菩薩のように貴族好みの穏やかな表情です。
この仏画の特徴は、平安貴族がお金を掛けて描かせただけあって、多彩で華やか。
絹に色をつけて描いていて、装身具や衣装、孔雀の羽根や蓮台など金色の装飾が施されています。
これは、髪の毛くらいの細い金箔を使い描いたのではなく貼っているのだとテレビ番組で紹介していて吹けば飛びそうな芸の細やかさに驚きました。
このように「孔雀明王像」は、装飾的に凝ったものですが、決してギラギラせず心が落ち着くような画です。
そんな素晴らしい「孔雀明王像」ですが、明治政府の廃仏毀釈によって、「孔雀明王像」もほかの仏教美術と同様に壊滅の危機に瀕し、難を逃れるために今から考えると破格の値段で売りに出されました。
その価格は「一万円」(当時の1千万円くらい)ですが、一万円も出す人は誰もいないとされていたところ、三渓園で有名な実業家の原三溪が迷わず購入したそうです。
ここで、原三溪が購入していなければ海外に流出してしまった「平治物語絵巻」や「吉備大臣入唐絵巻」のような運命を辿り今回お目に掛れなかったかもしれません。
国宝に選ばれる文化財は、美術品として優れているだけでなくこんな特異なエピソードを持ち合わせているのですね。
奈賢愚経残巻(大聖武)と元永本 古今和歌集
古来、最も整った「楷書」のお手本である「奈賢愚経残巻(大聖武)」(奈良時代・8世紀)は、聖武天皇の直筆と伝えられる経典です。
普段、私達が親しんでいる楷書体なのと普通は1行に17文字を収めるところ12字前後を並べているので、大きくで見やすいです。
堂々として思いや願いが一文字一文字にこもっている書ですが、ひとつ細工が施してありました。
それは、テレビの映像で見たもので、墨の濃淡が分かるカメラの画像を拡大してみると「闍」という字が2度書きされていたのです。
(もちろん、会場では気が付きませんでした。)
一文字一文字が手を抜いていない完璧なものなのだけにびっくりしましたが、書道では2度筆を重ねることは禁じ手で、それを敢えて行ったのは、「作法」より力強い筆の動きを表現したかったのだと思いそれが文字から伝わってきました。
「大聖武」とは逆に崩して流れるような平仮名の「元永本 古今和歌集」(平安時代・12世紀)で平安時代に書写されたものの中で全て揃った現存最古のものです。
繊細な和歌を語るに「漢字」では硬いので、崩して崩して柔らかくし、この頃定着した「平仮名」を多用し漢字がごく僅かです。
これは、柔らかい書体を好む貴族がより流麗で美しい文字が追求したもので、銀を散らしたり、雲母刷りで柄を付けた紙の装飾に凝ったのも貴族ならではといえます。
「国宝」酔いしそうな贅沢な空間。東博150年の『国宝展』その2へ