フェルメール
私が、「フェルメール」の絵に出合ったのが30代のときニューヨークに行ったときです。
絵画が好きでしたが、それまでフェルメールという画家は知りませんでした。
ニューヨークの「メトロポリタン美術館」(通称「The MET」)へ行ったときのガイドさんが大のフェルメール好きで、そのガイドさんがあまたある展示の中でもフェルメールばかり案内し、時間を掛けて解説してくれたのでおのずと興味を持つようになりました。
(ガイドさん、METにフェルメールの作品が5点あり、それでMETのガイドをしていたということでした。)
実は、METに行く前に『フリック・コレクション』で、フェルメールを3点見ていましたが、そのときは、フェルメールを知らないばかりかそれが、どんな絵だったか全く覚えていませんでした。
(先にMETに行って、ガイドさんに案内されれば興味深く見たはず。今、考えるともったいないです。)
日本に帰ってから『フェルメールの眼』(赤瀬川源平)というフェルメール作品36点を解説した本を購入して読んでからフェルメールの絵が、さらに気になるようになりました。
フェルメール来日
ヨハネス・フェルメール(1632-1675年)は、7世紀オランダ絵画黄金期を代表する画家です。
フェルメール作と認められた作品は、37作品と少ない上、盗難に遭い未だに戻っていない絵も1点あります。
(真偽係争中2点あり、35作品という見解もあります。)
実は、日本にもフェルメール作品があります。
国立西洋美術館に常設展示されている「聖プラクセディス」です。
フェルメール作品かどうか、これも真偽が分かれていていますが、この作品オークションで日本人が約11億円で落札して、西洋美術館に寄託しています。
そんなフェルメールの絵が2点、時期を同じくして来日しています。
東京都美術館開催の『ドレスデン国立古典絵画館所蔵 フェルメールと17世紀オランダ絵画展』の「窓辺で手紙を読む女」と新国立美術館で開催の『メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年』の「信仰の寓意」の2作品です。
この二つの絵を見に来ました。
窓辺で手紙を読む女
東京都美術館開催の「窓辺で手紙を読む女」です。
「窓辺で手紙を読む女」は、大規模な修復によって壁に描かれたキューピッドが現れ、フェルメールが描いた当初の姿となって所蔵のオランダのドレスデン国立古典絵画館以外の世界初のお披露目となりました。
自国以外で、日本が初の公開の場になったのは、修復にあたり日本の企業が資金提供しているからという情報があり、納得がいきました。
絵の修復の過程や経緯を動画やパネルで紹介、修復前の絵のレプリカや修復後の絵の展示、「窓辺で手紙を読む女」に関するものをひつのセクションにまとめていました。
過去の科学調査によって、塗り潰された画中画の存在は明らかになっていましたが、フェルメール自身が上塗りしたものだとそのままでした。
しかし、後の調査で画中画の表面に数十年の時間が経過しないと生じない汚れやヒビ割れが見つかり、フェルメール以外の人間が手を加えたことが分かりました。
それから4年の修復作業を経て、「キューピッド」が現れたのです。
誰がどんな理由で、画中画のキューピッドを隠したのかは謎ですが、フェルメールの絵は、当時、絶大な人気のあったレンブラントの絵に共通点があるも、レンブラントは、画中画を好まなかったので消してしまったのではないかという説があります。
(「レンブラント風」にしようとしたのか)
比べるとキューピッドがあるないで、全く別の絵になるくらい印象が変わると思いました。
壁の色も白く明るくなり、趣が違って見えます。
キューピッドは、「愛の神」なので読んでいる手紙は、恋人からのもので、「真実の愛」というのが意図になり、絵の解釈も変わってきます。
私は、案外、修復前の多くを語らずも何かを物語るようなシンプルな絵が好みでした。
余白があると落ち着くし、女性が手にしている手紙も「何の手紙」なのか「誰からの手紙」なのかと想像力を駆り立て、おのずと女性の手元にピントが合います。
「窓辺で手紙を読む女」は、気品が漂いながらしっとりとした憂いを含んでいます。
女性の表情も硬く窓ガラスに映り込む表情は、何故か沈んで寂しげに見えるけどキューピッドの出現によって少し空気感が変わったような気がしました。
窓に映る女性の顔ですが、絵をよく見ると窓ガラスの顔と女性の顔と角度が異なるように見えます。
改めて、家に帰って本で確認すると女性の立っている位置からでは、窓に女性の顔は映らないのでは疑問に思いました。
何か、意図があるのでしょうか。
信仰の寓意
「窓辺で手紙を読む女」のようにフェルメールの絵は、凛とした中に静謐さがあります。
それは、フェルメールの絵の特徴である「写真的」な描き方をしているということです。
光と影、ピントの合わせ方が写真のようで、光学的で写実的です。
カメラのレンズを通したような見え方で描き、その瞬間を凝縮した切り取り方をした絵も多いです。
でも、新国立美術館『メトロポリタン美術館展』 西洋絵画の500年』)の「信仰の寓意」は、そんなフェルメールらしさがない絵です。
スカートのひだの皺や布の質感もおざなりで、白い色を印象的に描くフェルメールにしては、生地の「白」が立ち上げっていません。
目の前の「窓辺で手紙を読む女」は、右3分の1を占める緑の間仕切りカーテンの布の質感が圧倒的で、「他の誰かが、覗い見ている」「絵を見ている私の存在」とかカーテンの存在で、何か意味を持ったものに競り上がります。
比べて、「信仰の寓意」の左手前のカーテンは、重厚感がなく安物に見えるので凡庸な絵になっています。
逆に同展覧会のフランソワ・ブーシェ「ヴィーナスの化粧」の布地の質感の豪華さが際立って印象的でした。
蛇が血を吐いていたり、地球儀を股に掛けた足とへんてこな絵柄もあり、フェルメールでもこんな絵を描いたのだと思いました。
(これは、「寓意画」なので、宗教的な意味を持たせているのでこういう絵になっているようですが。)
まあ、未熟者の私が実に上から目線で語っていますが、やはり実物のフェルメールに会えたのは感動的なことです。
この作品は、過去にMETで見ているので、再会になります。
でも、印象に残っていなくて、初めて見たように感じました。
だから、最初の印象は、フェルメール作品にしては、「大きい」、こんな大きいなものがあったのかというものです。
計8点のフェルメールの絵を見ていますが、フェルメールの絵は、意外と小さいものが多く、実際、この作品は、縦96.5cm×横115.7cmとフェルメール作品の中で大きい方です。
まあ、過去の印象など当てにならず、改めてフェルメール作品を見たことで、正しく記憶が上書きされたのでよかったと思いました。
しぼり菜リズム(まとめ)
7世紀オランダの寡作の画家フェルメール
「窓辺で手紙を読む女」(『ドレスデン国立古典絵画館所蔵 フェルメールと17世紀オランダ絵画展』)「信仰の寓意」(『メトロポリタン美術館展』 西洋絵画の500年』)2作品を見ました。
「窓辺で手紙を読む女」は、科学調査により壁に「キューピッド」が描かれていることが分かり修復作業を行いました。
キューピッドがあるないで、全く別の絵になるくらい見た目の印象が変わります。
キューピッドは、「愛の神」で手紙は、恋人からのもので、「真実の愛」というのが意図になり、絵の解釈も変わってきます。
ちなみに私は、修復前の多くを語らずも何かを物語るようなシンプルな絵が好みです。
「信仰の寓意」は、宗教的な意味を含んだ「寓意画」なので、フェルメールにしては絵柄がへんてこです。
女性のスカートのひだの皺や布の質感もおざなりです。
「窓辺で手紙を読む女」のカーテンのような質感や存在感もなく、カーテンの布地もチープな印象です。
「窓辺で手紙を読む女」の写真的な描き方や凛とした中の静謐さも感じられず、フェルメールらしさがありません。
■『ドレスデン国立古典絵画館所蔵 フェルメールと17世紀オランダ絵画展』
- 東京都美術館
- 会期2022年2月10日~4月3日
■『メトロポリタン美術館展』 西洋絵画の500年』
- 新国立美術館
- 会期2022年2月9日~5月30日