『ゴッホ展─響きあう魂 へレーネとフィンセント』・「ゴッホ」が画家だったのは、たった10年

ゴッホ展

上野の森の銀杏が色づく季節、東京都美術館で『ゴッホ展─響きあう魂 へレーネとフィンセント』に行きました。

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平日だけど、日本人に人気があるのねゴッホさん、結構、混んでいました。

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ミュラーコレクション

上野の森

今回は、ゴッホの世界最大の個人収集家のヘレーネ・クレラー゠ミュラーのコレクションを中心にした展示です。

ミュラーさん、自身ががんになったことがきっかけに、自分だけの愛玩品にせず蒐集した絵画を皆に見てもらい後世に伝えようと美術館を作りました。

無名の頃からゴッホの芸術に魅了され、1908年から20年間で200点を超える作品を収集していて、彼女のこれだけの作品を集める財力に感心しますが、無名のゴッホの魅力に気づくという審美眼も素晴らしいです。

ゴッホ自身も約130年後にゴッホの憧れだった日本の地で、自分の作品がこれだけ多くの人に見られているなんて思いもよらなかったでしょう。

死後、ゴッホの評価が高まったのも今日、日本で、これだけゴッホの作品を見ることが出来るのはやはり、ミュラーの功績があったからです。

ゴッホの画業

「黄色い家(通り)」

「黄色い家(通り)」

ゴッホが画家として活躍したのが、27歳から亡くなる37歳までの10年間です。

展覧会は、ゴッホがいかにして「ゴッホ独自のスタイル」を確立していったかが分かるように10年の軌跡を時系列の展示をしていました。

ゴッホは、この10年間にデッサンを含めて、2000点以上の作品を描きました。

20代は、素描ばかり描いていましたが、30代でどんどんと進化し大輪の花を開かせます。

ゴッホは、学校で絵の勉強をした訳ではなく「独学」で絵を学びました。

だから、「黄色い家(通り)」のように絵によってはデッサンの狂っているものもありますが、そんな技術的なものをものともしないのがゴッホの作品の持つ力です。

最初の3年間はひたすらデッサンや模写を繰り返して、これは、修行も含めて日々、研鑽を積んでいたいてゴッホは、単に天才だっただけではなく努力家でもあったことが分かります。

初期の頃は、「写実的」な絵を描いて意外と絵が上手だったのかと感心しましたが、逆に個性を感じられず惹きつけるものもありません。

上手い絵と人を魅了する絵は、決して同じとは限らないと妙に納得しました。

でも、初期の絵を見るにつれて晩年は、基本を押さえ絵を極めた上でのゴッホ独自の絵になったのだと実感しました。

田園風景や農民たちをモチーフにして暗い色彩で描いていたオランダ時代からパリに出て、印象派の画家達や日本の浮世絵と出会い色彩が豊かになり、その頃から筆触(タッチ)も点や点に近い短く描く「点描」という技法を取り入れ、絵具を多用した厚塗りになり私達の知る「ゴッホらしい絵」になっていく過程が見れます。

開放的な南仏に移ってからは、「ひまわり」や「黄色い家」に見るように色彩の魔術師さながら「黄色」を中心に一段と鮮やかな色を駆使して独自な世界を築きます。

精神を病んだ最晩年は、施設に入りながらも体調が安定している時に絵を描き続け、晩年の2年半は、「黄色い家(通り)」「夜のプロヴァンスの田舎道」など一層の円熟味を増して唯一無二となるゴッホの傑作をいくつも生みますが、37歳で自ら命を絶ってしまいます。

糸杉

夜のプロヴァンスの田舎道

亡くなる前に好んで描いたのが「糸杉」です。

この糸杉の花言葉が、「死・哀悼・絶望死」とそれとは対極的な「不死・再生」で、ゴッホは糸杉を「生と死の架け橋」として表現しています。

死の2か月前に描かれたのが糸杉のある絵「夜のプロヴァンスの田舎道」で、ゴッホがその後亡くなった情報を知れば、中央を分割するように描かれた糸杉は「死」を意味してように見えます。

シンボルとなるものを真ん中に配置しているのはどうしてか、上も切れているし渦巻きや激しい筆使いが当時のゴッホの不安定な精神状態を表しているのかもしれない

そう考えれば、この絵から「ゴッホの死」を予期します。

半面、宵の明星や人の営み、高く濃い緑色のそびえる糸杉に生命の豊穣を感じることが出来、見方によって感じ方が違ってくるのもこの絵の魅力です。

駆け抜けた画家時代

精力的に描き、飛躍的に進化してゴッホの特徴的なスタイルに達するまでの10年を疾風のように駆け抜けたゴッホ

まるで自分の死期を悟っているようなこの短い画業生活は、人生100年分くらいの凝縮した期間だったのでしょう。

ゴッホが、もっと長く生きていたらどんな絵を描いていたのだろうか?

死の直前が頂点だったのか、ピカソやマティスのようにさらに新たな表現をしていく道中だったのか

ただ、もう少し生き長らえたなら、作品を発表する場を持て多くの人の目に触れ、自分の作品が評価されたことを知り得たでしょう。

(所説ありますが、生前にゴッホの絵は、1枚しか売れなかったので)

そんな意味で、彼の人生は、道半ばだったと思いまいます。

逆に、10年という短い期間でレガシーとして人々に愛され続ける絵を多く残せたことは、奇跡であり、救いでもあったと思います。

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しぼり菜リズム(まとめ)

『ゴッホ展─響きあう魂 へレーネとフィンセント』

無名の頃からゴッホの芸術に魅了され、200点を超える作品を収集したへレーネのコレクションを中心にゴッホが画家として歩んだ10年の画業を紹介した展覧会です。

20代は、デッサンや模写を繰り返し、オランダ時代は、田園風景や農民たちをモチーフにして暗い色彩で描きました。

パリに出て、印象派の画家達や日本の浮世絵と出会いにより色彩が豊かになり、「点描」という技法や絵具を多用した厚塗りのゴッホ独特の画風を生み出します。

開放的な南仏に移ってからは、「ひまわり」や「黄色い家」に見るように「黄色」を中心に一段と鮮やかな色を駆使します。

精神を病んだ最晩年は、施設に入りながら絵を描き続け、唯一無二のゴッホの傑作を生みます。

死の2か月前に描かれたのがゴッホが好んで描いた糸杉のある絵「夜のプロヴァンスの田舎道」は、糸杉の花言葉から「ゴッホの死」を予期する半面、高く濃い緑色のそびえる糸杉に生命の豊穣を感じることが出来ます。

絵を始めてからゴッホの特徴的なスタイルに達するまでの10年は、飛躍的に進化した凝縮した画業人生でした。

まるで、自分の死期を悟っていたかのように。

■『ゴッホ展─響きあう魂 へレーネとフィンセント』

  • 東京都美術館
  • 2021年9月18日(土)~12月12日(日)
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ABOUTこの記事をかいた人

2017年現在57才 50代になって体に色々な変化が起きました。 アレルギー、腰痛、変形性膝関節症、脂漏性皮膚炎、手湿疹、眼精疲労、胃腸の不快感、開帳足等々一気に吹き出しました。 このほかに病気以前、未病のものもあるので 自分の体を見つめ直した生活を考えています。 健康、医療、病気、楽しいことも含めた日常生活を綴っていきたいと思います。 認定医療コーディネーター、ホームヘルパー びわの葉療法インストラクターの資格保有