麻痺が残る
88歳の母が、「脳梗塞」を発症し緊急入院しました。
病院に搬送されるとすぐに細い脳の血管詰まっているカテーテルを入れて血栓を取り除く手術を全身麻酔でしました。
私が病院に着いたときは、すでに救急処置室へ搬入されていて母に会うことが出来ず、私の手の届かない所に入ってしまったと感じました。
(母とは、1月以来半年以上会っていません。)
それからは、母は完全に病院へ命を預けた形になり私も弟、後から来た妹も何も出来ずにいました。
脳からの出血もなく手術は成功し、詰まった血栓を取り除くことが出来て血流が再開しました。
「太い血管は大丈夫。死んだ細胞なし」
ということでしたが、(右側の血管が詰まったので)結果、「左半身麻痺」、「意識障害」という重い後遺症が残ってしまいました。
しかし、数日後には脳梗塞が原因の肺に水が溜まる肺水腫が徐々によくなり、「人工呼吸器」も外れて命の危機からは脱出しました。
発症から発見まで時間が掛かった
母の場合、脳の細胞が壊死した部分はありませんでしたが、重い後遺症が残ってしまったのには発症から発見まで、時間が掛かったからなのかと思いました。
弟が、母の様子がおかしいことに気づいたのが朝、7時過ぎでした。
そのとき、母は、テレビや電気をつけたままぐったりとベットに横たわっていました。
母は、通常、テレビや電気を消して夜、8時には入浴をすませ着替えて布団に入るので、それらが点いたままというのは、夜の8時前には脳梗塞の症状が出ていた可能性が高いです。
この日たまたま弟は、早く帰宅しましたが、疲れていたので6時頃、食事を済ませ夜の7時には眠ってしまったそうです。
朝まで、トイレにも起きず寝ていたので、起きるまで母の様子に気がつきませんでした。
なので、発症から12時間近く経ってから発見されたと推測されます。
さらに、発症する数日前から「眠い眠い」と言っていたり、当日、「台所の換気扇に雷が、落ちた」とか言って明らかに母の言動に異常があり、そのときから脳梗塞の兆候かあり始まっていたのかもしれません。
何故、脳梗塞になったか
母が脳梗塞になった原因を考えてみました。
母には、「心房細動」と呼ばれる不整脈と高血圧の既往症がありました。
危ない不整脈【心房細動】による「脳梗塞」のリスクを減らすために行うこと。家族で、情報の共有も
このような「不整脈」があると血液の流れが悪くなり血栓が出来て、それが脳まで流れて血管をふさいでしまいます。
そのため母は、血栓が出来にくくする血液をサラサラにする薬を飲んでいましたが薬の服用だけでは、歯止めが効かなかったかもしれません。
ワクチン接種から数週間(1か月未満か)経ってからの発症なので、「コロナワクチン接種」による「副反応」かとも考えました。
コロナワクチンで、「血栓」が出来たとか「脳梗塞」を発症したという記事を見たことがあるので、コロナワクチンで、体に何らかの影響が出た可能性も否めません。
ただ、素人の私が思うだけで、因果関係がはっきりとしないためコロナワクチンの副反応かどうか実際のところは、分かりません。
現在の母の様子
入院から2か月近く経ってもコロナの影響で、相変わらず母に会えていません。
母の様子は、電話で病棟の看護師に聞くことでしか分かりません。
回復に内かっているのか、悪化しているのか医師の説明も無いので不安です。
ただ、何も話の無い事は小康状態を保っているのか、とにかく何も出来ないし何もしてやれないので、母自身の体力と回復力に期待するしかないです。
最近は、昼食のみゼリーの経口摂取にベット上のリハビリを始めたようです。
小さなカップのゼリーは食べるが、食べるときと食べないときのムラがあり、それでは栄養が足りないので「経鼻栄養」で摂っているということです。
数日前の電話では、左半身麻痺でほぼ、寝たきりですが(内臓的に)元気がある?ということで
昼、夜となくよく喋っているそうです。
ただ、自分の生年月日と名前は分かるが、どこにいるのか分からない。
「病院に入院している」と言うと何で、入院しているのか分からないとみたいで、脳血管性認知症になってしまっているのかもしれません。
脳梗塞で入院する数日前に母と電話で話をしたときは、普通に会話が出来たのでショックでした。
でも、弟が病院に来た話をすると「仕事があるので、無理して来なくてもいい。」という話をしていたので意識がしっかりとしているときもあるかとあるかと思います。
母は、人一番「母性」が強い人で、いつも自分のことより家族や子どもたちの心配ばかりしていました。
病院でも看護師さんに「大変でしょう!食べたいものはある?」と気を使い(歩けもしないのに)「うなぎでも買って来ましょうか」などと話していそうです。
離れて暮らしていたので、今でも母は、実家に居るような気がします。
実家に帰れば必ずいる母なので、母の居ない実家は、ドラえもんがいなくなった「のび家」みたいで寂しいです。
(いや、サザエさんがいなくなった「磯野家」か!?)
母は、家中(ときには外まで)に響くような大きな声で笑い、よく喋り「太陽」なような人だったから…。
そんな存在感のある母だったので、近所の人達も母のことを心配してくれています。