「あれ、どこを切ったのか?」
怖いから、歩く歩く
膀胱がんの手術をして
「あれ、どこを切ったのか?」
というくらい術後傷口の痛みがなく翌日、歩いて病室の外のトイレまで行くことが出来ました。
手術の翌々日には、朝と午後2回、病棟を1周していたので離床は早かったです。
入院中は、とにかく歩くことに積極的で歩く距離を日に日に伸ばしていき、病棟だけでは物足りず院内の園庭を歩くようになりました。
園庭を午前と午後2回、1周ずつ歩き始め2周、3周と毎日、歩く距離を伸ばしていき
退院する頃は、午前と午後5周づつ1日10周歩いて歩く速度も上がって来ました。
入院中は、歩くほかベットの脇で立ったままパソコンを見たり、足踏みしたり、体操したり、椅子に座ったりしてなるべく横にならないようにしていました。
入院中は、「筋力」が衰えるのでリハビリも兼ねていますが、私が術後これだけ身体を動かしていたは、「腸閉塞」という恐怖があったからです。
私が怖がる腸閉塞とは
腹部の手術後に起きる腸の癒着がもとで、腸が曲がったり塞がったりして、食事の内容物が流れなくなり詰まってしまう病気です。
腸閉塞になると辛いのが、水分も一切摂れない「絶飲食」になり、ブログの体験談を読むと鼻から腸までイレウス管という管を挿入して詰まったものを吸い出す治療が相当辛いようです。
長い管を入れる処置が、「生き地獄」とか「拷問」だとか書いてあり絶対、経験したくないと思いました。
重症の場合は、手術になることもあるので腸の癒着を防ぐために一生懸命動いたり歩いたりしました。
管が1本ずつ抜かれるごとに身軽に
食事も術後2日目から既に5分粥を主食とした食事が出て、4割くらい食べました。
しばらくお粥が主食でしたが、毎食だと飽きてしまい吐き気もあり食べられなかったので看護師さんと相談して、普通のご飯に変えてもらいました。
お粥からご飯になり、麺やパンのメニューが選べる通常食になるとほぼ完食出来るようになりました。
「お通じ」のコントロールは、毎食後の酸化マグネシウム、大建中湯追、整腸剤で上手くいき「便秘」で苦しむことがほとんどありませんでした。
ただ、10代のときの「盲腸」の手術で腸の「癒着」がありそれを剥がす手術を一緒にやったせいか(腸への影響が出て)腸にガスや食べたものが通るときお腹が痛く(蠕動痛)夜中、眠れない日が続きました。
背中の硬膜外麻酔の針と管が抜かれ、左脇腹の腹水を出す管、腎臓からストマに出ているステント2本が1本ずつ抜かれるごとに身軽になり気持ちも明るくなってきました。
特に左腕の「点滴」の管と針が抜かれ点滴の管を気にせず腕を動かせるようになると寝返りも打ちやすくなり、移動の度にガラガラと点滴スタンドを押して歩くこともなくなって一気に生活の質が上がりました。
最後にストーマから出ていたステントが2本抜けると体にあった全ての管がなくなりました。
ステントを抜くとストーマのパウチの交換作業を自分で出来るように練習しなくてはなりません。
右脇腹からでろーんと飛び出た術後間もないのストーマは、まだ浮腫んでいて(色は、違いますが)「つぶ貝」の内臓のようにグロテスクです。
まだ慣れない異物のストーマに落ち込むも、新しい身体に生まれ変わった「証」として生きていくために受け入れなくてはならないと思いました。
ストーマの管理を自分で出来るようなれば退院することが出来ると聞いて、生まれたての赤ちゃんストーマ相手に看護師さんに見てもらいながらパウチの交換を1日置きにシャワールームでが頑張ってやりました。
個室から4人部屋に移ってから、同室の同じがん患者同士で話する機会が増えました。
入院生活が長くなると病院が、自分の家のような感覚になり朝起きると病室のカーテンを開けっ放しにして皆で、おしゃべりをしたりして過ごすようになりました。
コロナで家族との面会もままならない日々でしたが、おしゃべりをすることで気が紛れ、元気になるにつれ退屈で長く感じるようになってきた入院生活の時間が早く過ぎるようになりました。
中でも術式は違うも数年前にストーマの手術した先輩同病者の方の貴重な体験談やアドバイスは役に立ちストーマに対する不安が和らぎました。
退院
血液検査で大きな異常がなく、ストーマのパウチ交換作業もOKが出て入院から26日で退院しました。
入院中は、上げ膳据え膳で看護師さん達にもこんなことしてららってもいいのかというくらいときには「姫」のように扱ってもらいましたが、退院後は何もかも、自分でやらなくてはりません。
それでも、退院は嬉しいものです。
同室の皆さんに送り出してもらい居心地のよかった病院に名残を惜しみつつ、もうこの病院には入院しないぞと心に誓いました。
入院のときに着てきた長袖のブラウスで病院を出ると夏の日差しが強烈で、少し歩くだけで汗が出てきます。
外を歩いている人は、皆半袖で入院している間に季節が1つ進んでいたのでした。