ベイ・シティ・ローラーズ
この間、新聞で「ベイ・シティ・ローラーズ」(以下、BCR)のリード・ヴォーカリストだったレスリー・マッコーエンが亡くなったことを知りました。
享年65歳ということで、まだ若かったのと昔、BCRのファンだったのでびっくりしました。
BCRは、1970年代後半の日本でも凄い人気で、来日の様子やコンサート会場の熱狂ぶりをニュースでも取り上げられらて社会現象になっていました。
BCRは、ビートルズの再来といわれコンサート会場で、失神者続出する事態が起きるほど。
スコットランド出身ということで衣装の一部にタータンチェックをあしらっていたためタータンチェックがトレードマークで、「タータン・ハリケーン」なんていう言葉も生まれたくらいです。
(そういえば、タータンチェックのマフラーなどが、流行っていたなあ。)
洋楽では、クイーンやキッスも人気がありましたが、BCRが若い女性の間では、群を抜いていたかな。
とにかく彼らの人気はもの凄くて洋楽雑誌の巻頭ページは、どれもBCR一色で特集もたくさん組まれていました。
BCRは、イギリスのロックバンドですが、特に日本で人気があったせいか、とても日本贔屓のバンドでした。
単にリップサービスではないと思ったのが、亡くなったレスリーが日本人の女性と結婚したことです。
数年前に知ったのですが、レスリーは最近まで日本とイギリスを行き来していて日本でもコンサートをコンスタントに行っていたみたいでこのバンドは、日本とは縁が深かったのかと思いました。
当時の日本は、洋楽のポップス、ロックが今より聞かれていて、クィーンを始めイギリスのロックやポップスのグループやシンガーは、「親日家」が多かったように思います。
日本人のファンも、イギリスのロックやポップスが好きで、その相乗効果で、ミュージシャンとファンとの関係がとてもよかった時代だったような印象があります。
ベイ・シティ・ローラーズファン
日本の若い女性に人気のあったBCRですが、もれなく私も大ファンで全盛期のLPは、ほとんど買いました。
BCRのレコードは、実家に今でも残っているはずです。
特にパット・マッグリンが可愛くて大好き(はにかんだ様な笑顔が可愛いくて、私にとって、永遠の天使!)で、英語でファンアンレターまで出したくらいです。
(今、思うとエアメールで出した記憶はあるが、果たして本人の手元に届いたのだろうか?)
ネットがない時代で、和英辞書か何かを駆使して書いたと思うけど、私の英語能力ではきっと拙い文章で、もっと真面目に英語の勉強をしておけばよかったとそのとき後悔していと思います。
他のメンバーも地方出身の素朴な雰囲気を残していて、ちょっと垢抜けないところがまたよかったです。
テレビ局の公開番組やコンサートも武道館に3回行った記憶があります。
(2回目は、イアン・ミッチェルのロゼッタストーン、3回目が、パット・マッグリンのスコッティーズですが)
人気絶頂の当時は、武道館の二階席からオペラグラス使わなきゃ顔も見えないほど遠い存在でしたが、彼らと同じ空気を吸っているだけでも幸せでした。
高校の同級生とテレビ局の出待ちなど追っかけ的なこともして、後にも先にもこんなにも熱狂的に誰かのファンになったことはないくらいでした。
(出待ちしている間もファンの子たちと「We want Rollers!」ってシュプレヒコールで盛り上がっていて、それはそれで楽しかった!)
彼らの故郷のエディンバラにいつも思いを馳せて、スコットランドやエディンバラがどんなところでどんな歴史があるのか本屋さんでガイドブックを(高校生で、お金がないので)読みあさり調べたりしていました。
高校生でなかったらイギリスまで、行っていたかもしれませんね。
このようにスマホやネットがなかった時代、少ない情報源で「夢」を膨らませていたのでした。
『ROCK SHOW』『ミュージックライフ』など彼らの記事がありあそうな音楽雑誌は必ずチエックして、『輝け!ベイ・シティ・ローラーズ』だった?や八木誠さん(八木ちゃんも亡くなっていて、ショック!)がDJの洋楽の番組や短波の周波数を必死に合わせてラジオにかじりついて情報をゲットしていたなあと懐かしく思い出します。
とにかく、BCRは、青春の大切な思い出なのです。
エバーグリーンの魅力
短い間でしたが、私は、BCRのレコードを熱心に聴く毎日を一時期、過ごしていました。
BCRの曲は、「Theポップス」とう感じで、ポップで明るい曲調が多いです。
「ローラーズ」と一聴してすぐ分かるくらい、親しみやすく誰でも口ずさめてノリがいいです。
私は、「It’s a game」「バイ・バイ・ベイビー 」「二人だけのデート」「 Don’t Worry Baby」なんかが好きですね。
そういえば、全米ビルボードNO1になった「S・A・T・U・R・D・A・Y night!」の出だし「Saturday」のスペルは、これでばっちり覚えたしそんな学生が多かったと思います。
今、彼らの曲を聞くと「カバー曲」も多くスローバラードで、のんびりしたした感じの曲が多いですが、この年代の楽曲は、シンプルで、覚えやすくて耳残りがよくて逆に新鮮です。
カバー曲も、どの曲も秀逸でオリジナリティもあり音楽性も高かったのだなあと思いました。
40年以上前の曲でも決して色褪せていなくて、BCRは当時、ルックス重視で、アイドル扱いされて音楽ではあまり評価が高くありませんでしたが、決してそなんなことはなかったのだのだと思いました。
レスリーのボーカル
エバーグリーンの魅力満載のBCRですが、特に1973年~1978年までリード・ボーカルを務めたレスリーの甘くハスキーな声は、心地よく、レスリーの声と歌唱こそがBCRの魅力で、黄金時代は彼の存在なしに成し得なかったと思いました。
レスリーは、素肌にジャケット、引き締まったヒップがセクシーで、甘いマスクなのにひょうきんでグループ一のムードメーカーでした。
しかしこの頃、メンバーと確執があった記事もありそのときのトラウマを引きづっていたみたいで、なんだか気になりました。
改めてレスリーのボーカル力は評価に値し、もう彼の歌声は聞けなのかと思うと本当に残念でなりません。