東京六本木で開催されているジョン・レノンとオノ・ヨーコの愛の軌跡を語る品々を展示する『ダブル・ファンタジー展』に行きたかったのですがコロナで諦めていたところ12月24日のクリスマスイブに放送された『“イマジン” は生きている ジョンとヨーコからのメッセージ』(NHK)を見ることが出来たので、その感想を書きました。
まずは、ジョン・レノン生誕80年、没後40年という記念の年である今年、二人が残したメッセージに耳を傾けることの出来たクリスマスを過ごせたことに感謝です。
そして、私自身、数あるクリスマスソングの中でも彼の『Happy Xmas (War Is Over)』が、今の心境に一番しっくりきたような感じがしました。
ジョン&ヨーコ
中学の頃は、ビートルズが大好きで、中でもクリスマスのプレゼントにもらったお金で、生まれて初めて買ったLPレコード(アルバム)がポールマッカートニーの『バンド・オン・ザ・ラン』というくらい彼のファンでした。
でも、ジョン・レノンがオノ・ヨーコと結婚してから二人でメディアに頻繁に露出するようになってからはジョンが気になる存在になりました。
というか日本人のオノ・ヨーコと結婚したこともあって親しみを感じ、生前、ジョン一家が頻繁に軽井沢の別荘にバカンスで訪れ、どこかのお店のトイレの扉を開けたらジョン・レノンが「最中」だったなんていう都市伝説ような話もあって(ファンの妄想?)勝手に親近感を覚えたのでした。
ただ、日本でのヨーコは、「ビートルズを解散に追いやった女」というスタンスで、ジョンをヨーコの言いなりの男に変えてしまったというどちらかというといいイメージがなかった記憶があります。
ジョンは、「ジョン&ヨーコ」のイメージが強く刺激的な露出の仕方が、子どもだった私にまだ理解が出来ず風変わりな夫婦だなあと思っていました。
でも、奇抜なパフォーマンスとは裏腹にこの頃からソロとなった時代のジョンの歌は好きで、ポールマッカートニーよりよく聴くようになっていました。
ジョンが、ヨーコに惹かれたのが『天井の絵』という前衛芸術家である彼女の作品で、その作品は、部屋の中央に白い脚立が置かれており、観客はそれを昇り天井からぶら下がった虫眼鏡を使って、天井に貼られたキャンバスの小さな文字を見るというものでした。
キャンパスにあったのが「YES」小さな文字で、ジョンのスターゆえの孤独、ヨーコの前衛芸術が理解されないという孤独を抱えた二人が「YES」という文字を介して結ばれるという二人にとって運命的な作品だったのです。
(これが、「YES」でなく「NO」だったら二人は結ばれていなかったのかな)
この作品のヨーコの自由な表現が、後のジョンに影響を与えるきっかけともなったもので、いかにも二人らしい出会いのツールだったと思います。
ベット・イン
ベトナム戦争の最中、ジョンとヨーコが平和を訴える「戦争するより愛し合おう」とアピールした「愛と平和(Love&Peace)」を掲げて、言葉だけでなく行動に移したのが『ベット・イン』という有名なパフォーマンスです。
番組で、知名度を生かして「平和」という言葉が1つでも多く取りあげられるようにという狙いがあり、このときにベットの上で生まれた曲が「平和を我等に」という意味の『Give Peace a Chance』で、この歌が30万人規模のベトナム反戦運動の集会で歌われジョンの狙いは的中します。
曲はいいけど、やっていることがあまりにも過激で子どもの私には、気恥ずかしくて直視出来ない雰囲気でしたが、誹謗中傷やバッシングの映像が残っているように世間でもそういう評価だったと思います。
でも、ポリシーを貫いた二人の言動が時代に追いついき、今になってやっと評価されるようになりました。
平和活動もパフォーマンスにすることで、政治に興味のない世界中の人々の関心を集めたという意味でも二人の功績は大きかったと思います。
今、改めて見る二人は、こんなに絵になるカップルっているかなというくらい突き抜けた二人です。
当時の映像を見ても彼らの言動は、芸術作品のひとつとしての演出、自己プロデュースがあるから魅せられ、ビュジュアル的にも自分達の見せ方がうまく、そこは、計算していたのかと思いました。
男性達を魅了したエキゾチックな雰囲気のヨーコは、凛とした中に自然な美しさや個性があり波乱万丈な生き方をした人だけど、きっと賢い人なのだと思いました。
そうして見るとストレートに自分を出すやんちゃ坊主のジョンを変えたのは、やっぱりヨーコだったのかとも思いました。
今こそ聞きたいイマジン
ジョンの曲で一番好きなのが不朽の名曲『イマジン』で、今でも色褪せない輝きを放っています。
この『イマジン』に関する秘話が、番組で紹介されていて興味を引きました。
今こそ聞きたい
この曲は、どうして心に響くのか、今でも歌い継がれるのかという問いに、『イマジン』は、宗教も国も政治対立もない世界を歌っている「政治的」な歌だけど「子ども向けの歌のように書いた」「子どもに話掛けるような気持で甘い砂糖で包んである」とジョン自身も語っているように政治的なメッセージをどう多くの人に届けられるか周到に計算していたというものだったからです。
『イマジン』は、「誰もが口ずさむことが出来るシンプルな歌」で「みんなの歌」だからどんな立場の人にも受け入れられたのです。
英語の歌だけど曲を聴いていると「国も宗教も争いもない世界を思い描き、そうすればみんなが一つになれる」という意味がなんとなく分かります。
世界平和を想像する大切さをどこの国の人にも分かるように作った曲だから世界中のアーティスト達が歌い継ぎ、世界中で親しまれているのだと思います。
同時多発テロ等、『イマジン』は、争いが起こり悲しみに包まれたときに繰り返し歌われてきました。
ジョン・レノンが亡くなってから40年経っても『イマジン』の曲に乗って彼の「魂」は生き続けて、何百万もの人達が、脈々と彼の音楽聴き続けているというのは、ジョンの思惑通りだったのだと思います。
大きな力に流されないメッセージ性の強いこの曲は、人種差別や分断化、排斥主義、格差、大国の対立、各地の紛争が止まらない「想像力が欠如」した現実の今こそ、聞きたい曲だと思います。
未だに『イマジン』の世界が現実化されないのは、二人が愛を通して訴えた想いに、まだ時代がついてきていないからなのでしょう。
イマジンを作るためにヨーコと出会った
『イマジン』の歌詞は、実は、ヨーコの『グレープフルーツ』という詩集の影響を受けています。
「想像してごらん、雲がしたたり落ちてくるのを」
「庭に穴を掘ってその雲をしまってごらん」 |
「想像しなさい。千の太陽がいっぺんに空にあるところを」と『グレープフルーツ』には、「想像してごらん」と呼びかける言葉が繰り返し出てきます。
ヨーコは戦時中、弟と食べものを想像をしながら空腹を紛らわせたり、「想像すること」で、苦しい生活に彩りを与えてこれが人生の支えになったようなのです。
『イマジン』の歌詞も「想像してごらん」と何度も繰り返されているのは、この詩集からインスピレーションを得たものでしたが、『イマジン』には、ヨーコの名を共作者としてクレジットされていませんでした。
でも、ジョンの死後、発表から46年後2017年、ヨーコの名前もジョンとともに正式に「クレジット」されて、このときのインタビューで「ジョンと私(ヨーコ)の出会いは、イマジンを作るためにあった」とヨーコが語っていたのがとても印象的でした。
ジョンの死
番組で、ジョンが凶弾に倒れたの日の様子をやっていました。
ジョンが亡くなったという一報は、ダイアナ妃が亡くなったときと同じくらい亡くなり方を含めて衝撃的でした。
このニュースを聞いて真っ先に思ったのが、この頃ちらほらと噂のあったビートルズ「再結成」は、永遠にないのだというのとヨーコはどうしているかということです。
「ジョンの葬儀は行われません。ジョンは人類を愛し、人類のために祈りました。彼のために同じことをしてください。愛をこめてヨーコ、ショーン」と翌日、ヨーコは声明を発表しましたが、このときはジョンの死を冷静に受け止めてなんて気丈な人(「 It’s cool 」)なのかと思った記憶があります。
反政府的な言動でFBIや政府要人に疎まれていたジョンなので、ファンであった犯人をアメリカ政府が洗脳して殺害したなんていうまことしやかな憶測もありましたが、40年経った今でも殺害の動機がよく分からないのが残念です。
ただ、12月8日のジョンの命日には未だに住まいのあったセントラルパークのファンが途切れることなく訪れて、ヨーコが何かのにインタビューに語っていたように「まだ生きている。まだ私達と一緒にいる」とヨーコと同じように多くの人々の中で彼の魂は生き続けていることで救われます。
しぼり菜リズム
ジョン・レノンとオノ・ヨーコは、ヨーコの作品を介した運命的な出会いがありました。
二人が愛を通して訴えた『ベットイン』などの活動は、世の人達に強い印象を残しました。
平和を願う歌『イマジン』は、ヨーコの詩集の「想像してごらん」という何度も繰り返される言葉からインスピレーションを得たものでした。
『イマジン』が、今でも歌い継がれるのは、ジョンも語っているように「誰もが口ずさむことが出来るシンプルな歌」だからです。
『イマジン』は、人種差別、分断化、格差、大国の対立、各地の紛争が止まらない「想像力が欠如」した今だからこそ聞きたい曲で、「イマジンを作るために二人は、出会った」というヨーコの言葉が印象的でした。
12月8日のジョンの命日にはセントラルパークには、多くにファンが訪れジョンの魂は、ヨーコと同じように人々の中で生き続けているのです。