小学生の頃、毎週土曜日夜放映していたザ・ドリフターズ(以下ドリフ)の『8時だョ!全員集合』(以下『全員集合』)が楽しみでした。
最高視聴率が50%を超えるお化け番組で、「ちょっとだけョ〜。あんたも好きねェ〜。」「カトちゃんペ!!」「痛いの痛いの飛んでけ〜」などの流行語をいくつも流行らせるほどで同級生で見ていない人がいないほどでした。
私は、特に加藤茶や志村けんのコントや大掛かりなセット、そのセットが絶妙なタイミングで崩れる瞬間がなど好きでした。
音楽が笑いを支えた
そんな『全員集合』は、バンドマンだったドリフの音楽や番組内で使われた「音楽」に焦点を当てた番組や記事(BSNHKプレミアム『アナザーストーリーズ「ザ・ドリフターズの秘密 ~バンドマンが笑いを生んだ~」』、朝日新聞で連載の『ドリフの時代、その音楽』)に接する機会がありいかに『全員集合』は、音楽の果たした役割が大きく番組の立役者でもあったのだということが分かりました。
「8時だよ!」といういかりや長介の号令に、客席の子ども達が「全員集合!」と元気よく応じると法被姿のドリフのメンバーが客席からステージへ駆け上がるときの軽快なオープニング音楽、加藤茶と志村けんのリズミカルな『髭ダンス』のテーマ曲、加藤茶の「ちょっとだけョ〜」の怪しげな旋律のメロディなどが幼心に刷り込まれていきました。
これらの意識している訳ではなのに、自然と耳に入って忘れない『全員集合』の音楽は、台本を練り完璧に計算して稽古して作り上げたコントと同じように実は緻密に作られたものだったそうです。
そして、音楽バンドとして活躍していたドリフターズは、音楽的リズムやテンポを生かして、言葉に頼らず、体で表現していき笑いを作っていき、『全員集合』は、まさに音楽と切っても切り離せない番組で音楽は、ドリフのコントの盛り上げ役でした。
『全員集合』は、突き詰めれば「音楽が、笑いを支えた」といってもいいのではないかとということです。
バンドマンだからの笑い
ドリフターズは、音楽バンドでビートルズの日本公演(1966年)の「前座」を務めました。
いかりや長介、高木ブー、仲本工事、加藤茶、荒井注の初期のメンバー全員が、「バンドマン」でミュージシャンだったのです。
『全員集合』が始まる前は米軍キャンプで、言葉が通じぬ米兵相手にライブの音楽コントで笑わせてきて、それがドリフの基礎になっていました。
ドリフは、音楽バンドとしていつも「生」のステージをこなしてきて、生で鍛えた経験があったから、ぶっつけ本番である「公開生放送」の『全員集合』を受け入れられたのです。
『全員集合』は、全編、生放送だから会場との一体感や嘘偽りのない臨場感が画面越しに伝わり、ここからくる本気の「笑い」が子どもばかりか大人をも引き付けました。
「音楽をベースに、徹底して動きで笑いを取る」というのがリーダーいかりや長介の哲学で、ドリフのコントは常に動きで表現したものに合わせた音楽がありました。
また、ドリフターズのギャグの根底には音楽バンドマンならではの「リズム」がありました。
そして、笑いの「間」やリズムを外す「間」の取り方が絶妙で、ドタバタ劇の中に「間の笑い」を含んだコントを取り入れていました。
これは、音楽ライブを通して「間」の取り方を感覚的に鍛えられて彼らが、ミュージシャンだから自然に出来上がっていったのです。
ドリフは、途中、荒井注が抜けて、志村けんが入り、彼がコントの中心になり随一の人気者になりました。
番組で加藤茶に「人気を奪われて寂しくないのか、志村の人気に嫉妬したことはないか」と尋ねると「僕達はバンドだから、一度もない。バンドの中で一人がソロで目立つということは、音楽では当たり前のことだ」というような話をしていました。
(オーケストラでもソリストのパーツでは、ソリストのみにスポットが当たっているようなものかな。)
だから、コントで加藤茶は自身の「大落ち」を全て志村けんに譲ることが出来、それが、ドリフのスタイルになっていったのも彼のバンドマンとしてのスピリッツがあったからでしょう。
ドリフは「コントグループ」であったけれど、根底は、ずっと「バンドマン」だったのです。
そんなドリフのメンバーで、唯一ミュージシャンではなかったのが志村けんです。
でも、彼は若い頃から洋楽に親しんで「洋楽マニア」というほど洋楽への造詣が深く音楽への情熱は、ドリフのメンバーに決して引けを取りませんでした。
加藤茶との『髭ダンス』で演奏される音楽は、音楽だけ聴いてもいい曲です。
実は、『髭ダンス』の曲は、ファンク好きで音楽にこだわりのある志村けんが持ってきたTeddy Pendergrass の『Do Me』の曲をアレンジして作られたもので、彼の音楽のセンスがコントを一層盛り上げ「伝説のコント」として一世を風靡したのです。
神業の山本直純
『8時だョ!全員集合』は、表舞台に立つドリフやそれを裏から支えるディレクター、構成作家、舞台美術、音楽等スタッフ等々も高度の技術を持つメンバーで構成され、『全員集合』は、当時、随一のプロ集団で作られていました。
中でも『全員集合』の音楽を担った人達の功績は、大きかったのです。
『全員集合』の音楽責任者だった山本直純は、トランペットのイントロのオープニングのいかりや長介の「行ってみよう!」の掛け声で始まる入場マーチを担当していました。
私にとって山本直純は、親しみやすい風貌と歌いながら「大きいことはいいことだ」のCMを地で行く全身を使ったオーバーアクションの指揮がトレードマークのユーモアたっぷりの「おもしろおじさん」といった感じでした。
朝日新聞で連載していた『ドリフの時代、その音楽』を読むといかに『男はつらいよ』の主題歌を作ったこの方は、指揮者の小澤征爾や岩城宏之も認めるほどの天才で(クラッシックマニアの主人曰く、その才能に二人は、「嫉妬していた」そうです)その賦が、『全員集合』にも生かされていたのが分かります。
(私は、音楽そのものより、御大本人が自ら舞台に立って音楽やクラッシックの楽しさを伝えていたところが凄いと思っていました。)
山本直純のオープニングマーチは、専門家曰く「旋律を支えるのがハーモニーではなく、トロンボーンが奏でる精妙なオブリガード」であるところがクラッシックの基礎が叩き込まれている人ならでは高度な「プロの技」だそうで、音楽的なことはよく分かりませんが、私は、この曲で会場に自分もいるように楽しいことを予感させる幕開けのワクワク感が止まりませんでした。
『全員集合』の音楽は、コントが終わる度に流れる「オチ音」の作曲や楽曲の編曲など多岐に渡り膨大なものになります。
(思い返すと色々な音楽が使われていたなあと)
しかし、完成度を高めるために毎回、コントの変更が多く収録日の前日まで内容が決まらないことが常でした。
そんな本番まで時間が迫る中、限られた時間で全ての曲の作曲・編曲を上げなくてはなりませんでしたが、山本直純は、「早業」で仕上げいつも完璧にやってのけたそうです。
この「早業の曲作り」に加えて、「モーツアルトと直純先生か」と助手達が噂したくらいどんな楽譜も隅々まで頭に入っていて、楽員の些細なミスも瞬時に指摘することが出来き、「15秒くらい付け足して」「5秒削って」という現場の無茶ぶりにも瞬時に応えることが出来たそうです。
ぶっつけ本番、失敗の許されない毎週、生放送の『全員集合』(の音楽)が成り立ったのは、やはり天才・山本直純の神業があったからともいえるのです。
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